王太子の仮初めの婚約者

さくらぎしょう

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30. 闇夜の疾走

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 王都を出て暫く走れば、鬱蒼とした森が見えてくる。あの森を越えた先に、おそらくハイステップ連合王国がある。国交がないのでハイステップに繋がる正確な道は知らない。ただ方角的にあちらがハイステップだ。

 アルタン女王は振り返り、大きな声でこちらに叫ぶ。

「ギャロップだ!! 狼の群れに気をつけろ!!」

 アルタン女王が踵で馬の腹を蹴ると、全速力で馬が駆けだした。

 アロイスも馬の速度を上げようと、前に座る私を振り落とさないように更に身体をきつく密着させる。アロイスが馬の腹を蹴れば、荒々しいギャロップが始まり、猛スピードで森の中を駆け抜け始めた。

 前方は闇夜の森で、かろうじて前を走るアルタン女王が見えるだけ。馬の蹄の音だけを頼りに追いかけているような時すらある。
 先頭を走るアルタン女王はまるで明るい日差しの中を駆け抜けているかのように、速度を落とすことなく木々や障害物を軽々と避けて行く。後ろを走る者達は無我夢中でアルタン女王の動きを真似るしかない。少しでもスピードを緩めたら狼の餌食だ。

 木々の合間に現れる星が、流れ星のように去って行く。川の激流にでも呑まれたかのような激しい疾走を続けていると、姿を現す星の数が段々増え始めている事に気が付く。前方には岩陰と焚火が見え始めた。

「速度を落とせ!」

 アルタン女王の声で皆馬の速度を下げ始める。
 焚火のあるところからは男達の声が聞こえた。

女王ハタン!!」

 その声にアルタン女王も嬉しそうに返事をする。

「同胞達よ!」

 ハイステップの者達であろう、屈強そうな大男達がアルタン女王に駆け寄ってきた。ルイスが先に馬から降りて、アルタンを馬から降ろすサポートをしている。

 ハイステップの従者達は私達を見て驚きの声をあげた。

「バラド国王までいらっしゃるじゃないですか!? 他の者達は一体何者ですか?」
「まさかだが、オーバーランド国の王族が私を助けてくれた」
「オーバーランドの!?」

 アルタン女王は痛めた身体を庇うように歩き出し、ルイスが慌てて追いかけて肩を貸す。
 アルタン女王が向かった先はアロイスの前だった。

「確認が遅くなったが、オーバーランド王国王太子で間違いないか?」

 アロイスも馬を降りて、手を胸にあててアルタン女王に丁寧なお辞儀をした。

「ハイステップ連合王国アルタン女王に、遅ればせながらご挨拶申し上げます。オーバーランド王国王太子アロイス・オーバーランドと申します」

 アルタン女王はそれを聞いてアロイスの前に手を差し出し、二人で握手を交わした。

「正式な訪問でなく申し訳ないが、事情があった。両国は国交がないが、取引を出来ないだろうか?」
「事情とは、我が国の貴族が関わっている件ですね?」
「ああ。マーレーンという貴族の密輸問題を発端に我が国は内紛寸前だ。本当はあの貴族の密輸の証拠を王太子に持って行き、この国の公の裁判で処罰をしてもらいたかった。もちろん、我が国側の密輸に関わった者達も我が国で断罪する。だが……」
「証拠はマーレーン伯爵の手に戻ってしまったのでは?」

 アルタン女王は頷いた。

「捕まった時に全て奪われた」
「女王は帳簿の中を読みましたか?」
「ああ、読んだ」
「では、記載されていた取引相手がハイステップ側の裏帳簿を持っているはずです」
「そうだ、それだっ! そんな当たり前の事、捕まってから男どもと殴り合ってたから、すっかり気が回らなかった」

 その発言に、アルタン女王に肩を貸すルイスが唖然として横を見つめた。

「アルタン、いや女王陛下、殴り合ってた???」
「ああ、殴り合ってたよ。一応女だからな、自分の身を守ってた」

 ルイスはその言葉の意味を想像し、怒りで肩が震え始めた。

「あいつら……全員殺してやる……」
「まてルーズ、私は無事だ。私は強い。アイツらの方が今頃重症だよ。全力で股間を蹴り上げてやったから、暫く使い物にならんだろ。まあ、暫くで済んだらラッキーだが」

 アルタン女王はそう言いながら思い出し笑いすら出来る余裕だが、ルイスはアルタン女王を強く抱きしめて涙を流し始めた。

「無事なんかじゃない……こんなに痣だらけじゃないか。私がヘマをしなければ……本当にすまなかった」 

 アルタン女王は眉毛を八の字にして困り顔で笑っていた。

「お前は本当に泣き虫で弱虫だな。もう少し心身を鍛えろ。私は強い男が好きだ」

 アルタン女王は嬉しそうにルイス王子の頭を撫でている。そんな二人にアロイスは気を配りながらも、話を続けた。

「アルタン女王陛下、私もこの問題は早急に解決したい。なので、一緒にハイステップに行って証拠を見つけさせて欲しい」

 アルタン女王は予想外の展開に目を見開いていた。

「それは有難い申し出だ……よし、明日朝一にハイステップに案内しよう」

 バラド国王が安心したように声を出す。

「ここまで見届ければ俺も安心してアウルムに帰れる。俺とジルベールは明日の朝にアウルムへ向かおう」

 話が円滑に上手くまとまり始めたが、ふと私の頭の中に考えがよぎった。私はハイステップに行って何が出来るのだろう……? 密輸相手の情報は女王陛下がわかっているし、戦いはもちろん出来ないし、乗馬もこの森を駆け抜けれるほどの技術もない。
 おそらくアロイスの馬に乗って、完全なお荷物となるだろう。

 私はハイステップでは役に立たない。皆が現状を打破しようと必死に動いているのに、自分だけ何もしないなんて出来ない。

 私は……私が……——ウェリントン家が解決しなくてはいけない問題があるじゃないか。

「バラド国王陛下、私をアウルム国へ連れて行ってください」

 私の発言に真っ先に驚いて声をだしたのはアロイスである。

「シルビア? 待てシルビア。それだと離れ離れになってしまう」
「アロイス、私はハイステップではお荷物にしかならない。お兄様と共にアウルム国の炭鉱の問題解決に取り組むわ。ウェリントン家が解決しないといけない問題。これはあなたがくれたチャンスでしょ?」
「シルビア、だけど——」
「兄上、アウルム国へ行ってください」

 私とアロイスの会話の間に入ったのはルイスだった。

「私がハイステップに行きアルタン女王と共に必ず証拠を見つけてきます。なので、兄上はシルビアと共にアウルム国へ。兄上、今シルビアと離れてはいけない。二人の問題はこの国の未来に関わる」

 私の手を握り、アロイスが葛藤しているのがわかった。ハイステップの問題解決はアウルム国の問題解決よりもオーバーランド国の問題に結びついている。彼には王太子としての立場がある。私は理解している。

「アロイス、私は大丈夫。だから、ハイステップに行って。私達は離れていても大丈夫よ」

 アロイスは私の目を見つめる。私も目を逸らしてはいけないと思い、必死に彼の目を見た。
 そしてアロイスは、握っていた私の手を離し、数歩前に出てルイスに近づいて行った。

 彼が国益を優先するのは分っていたけど、それが正しいとも私も思うけど……。
 ……身勝手な私はどうしても胸が締め付けられ、鼻の奥がツンと痛みだす。

 アロイスはルイスに手を差し出す。

「ルイス、お前を信じている。ルイスだから頼める」

 ルイスの頬が紅潮し、目が潤みだしたのがわかる。その様子はまるでルイスの体温までも伝わってくるようだった。
 彼が一番欲しかったものは、自分の存在意義だったのかもしれない。

「兄上……。必ず見つけるから」
「お前なら大丈夫だ」

 二人は握手を交わした。
 そしてアロイスは振り返り私を見つめる。

「シルビア。一緒にアウルム国へ行こう」

 ルイス以上に私の頬は赤く染まっているのだろう。目頭が熱くなり、体温が上昇していく。

「でも……それでは……」
「頼りになる弟がいる。私も誰かに頼ること、相手を信じる事を学ばなくてはいけなかった。ルイスがハイステップに行ってくれるなら大丈夫。私はシルビアのそばを離れないし、一緒に炭鉱の問題を解決しよう」

 私は思わず馬から飛び降りると、アロイスがその胸で受け止めてくれた。

「シルビアッ。馬から飛び降りるのは危険すぎるだろ。馬も驚いて走り出しかねない」
「アロイスが受け止めてくれる気がしたので……。でも、確かにそうでした。今後は気を付けます」

 アロイスは呆れながらも優しい笑みを浮かべて私を見ている。

「シルビア……。アウルム国の問題解決は、きっともう一つの問題も解決してくれる……」
「もう一つの問題?」
「ああ」

 アロイスはその後は黙ってしまった——。

 ハイステップの野営地で皆が寝静まった頃、私は眠れずに岩陰から外に出た。するとルイスが焚火の番をしていた。

「レディが野宿なんて、そんなのアルタンくらいしか出来ないよね」

 ルイスが岩陰の方に振り返り眺める先には、ぐーぐーと眠るアルタン女王が見えた。ルイスのアルタン女王を見つめるその視線は、見ているこちらが熱くなってしまうほどの熱量だった。

「ルイス……あなた本当は自分の気持ちに気が付いているんでしょ?」

 ルイスは微笑みながら首を横に振った。

「親友がいいんだ」
「なぜ?」

 ルイスは黙って木の枝を焚火に投げ入れた。パチパチと燃え盛る火を眺めて、私に話すかどうかを悩んでいるようだった。

「アルタンは……大切な人なんだよ」
「知ってるわ」
「親友だったら一生繋がっていられる」
「え?」
「もしも求婚なんかして断られたら? それで関係は終わりだ」
「ルイス……あなたそこまで」
「しかも、彼女は女王だった。国交のない国の第二王子が心の赴くままに求婚していい相手ではない。改めて親友のままという判断をしていた自分を褒めたよ」

 ルイスは想像以上に深く未来を考えていて、深く彼女を愛していた。私にはこれ以上何も伝えてあげられる言葉がなかった。

「ルイス、あなたの幸運を祈っている。そして、あなたの幸せも」
「シルビア、私もだ。君と兄上の幸せを切に願っているよ。だから、お互い目の前にある問題解決を頑張ろう」

 




















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