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5)陽炎と遠雷
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熱を裁ち切ってもまだ、衝撃は小さくこだましていく。
夏休みも近い、日曜日。
和都の家のリビングで、水色のビニールでできたケープを巻いて大人しく座っている和都に、ハサミを持った祐介が鏡を手渡しながら言う。
「前髪は、こんなもんでいいか?」
「……うん。マシになった、かも」
頬や腕に絆創膏を貼った和都は、受け取った鏡の中の自分を見ながら頷いた。
普段は眉を隠すくらいの長さに揃えている前髪が、小さな額の真ん中くらいまでの長さで整えられている。和都はその前髪をつまみながら、ため息をつく。
今日は祐介が和都の髪を切ってやっていた。
「だいぶ短くなったな」
近くのソファで、祐介が髪を切る様子を見物していた翔馬が言う。
「まぁ、すぐ伸びるし」
和都はそう言いながら、鏡の中の短くなった前髪と、顔に貼られたたくさんの絆創膏を見つめた。
一学期の半ばくらいから、クラスの女子たちの間で妙な『おまじない』が流行りはじめた。
よくある、これをすれば『魅力的になれる』あれをすれば『成績が上がる』と言った、眉唾のようなオカルト本がキッカケだったのだが、そのうちの一つに『好きな人と両想いなれるおまじない』というのがあった。それを実行するには『好きな人の髪の毛』が必要らしく、その持ち主として和都の髪の毛が狙われたのだ。
もちろん、クラスの女子たちも、最初からそんなものに効果があるとは思っていない。しかしそこに、こっそり和都の髪の毛を手に入れて実行したという女子が現れた。すると、普段自分から話しかけることのない和都から話しかけてもらえた、という奇妙な偶然があったらしい。
それを知った女子たちは目の色を変え、最初はこっそり手に入れようとしていた和都の髪の毛を、最終的には「髪の毛が欲しい」とハサミを持って本人を追いかけ回すという恐ろしい事件に発展した。
その結果、和都はハサミを振り回す複数名の女子生徒に教室の隅へと追い詰められ、和都本人と騒ぎを止めに入った教師が髪の毛だけでなく、顔や腕を斬り付けられるという、流血沙汰の大惨事になった。
結構な騒ぎになった上、和都以外に怪我人も出たというのに、この事件も学校側は「ちょっとした集団パニックが起きた」と通達し『おまじない禁止』という奇妙なルールを増やしただけで終わった。
──やっぱり『大人』は『味方』になってはくれないな。
祐介は自分の中で少しずつ、ハッキリと『大人』への不信感が増えていくのを感じる。『大人』は『命』よりも『世間体』が大事な生き物なのかもしれない。
「しっかし、災難だったなぁ」
「もうやだ。女子のいないクラスないの……」
「そうなるともう男子校に行くしかないな」
ハサミを振り回されたおかげで、髪の毛をあちこち切られてしまい、事件直後の和都の髪型はひどい有様だった。
すぐに行きつけの美容室へ整えてもらいに行ったのだが、女性が苦手な和都に配慮しながら担当してくれていた男性美容師さんは、運悪くお店からいなくなっていたらしい。知っている人なら女性でも大丈夫かもしれないと祐介に頼み、美容師をやっている祐介の母にヘアカットをお願いしてみたのだが、今回の件で和都はすっかり女性がハサミを持っているのを見ることすらダメになったらしく、その場で吐いた。
結局、祐介が母からやり方を簡単に教わり、和都の髪を切ることになり、実際に今日、和都の家で髪を切っているのだった。
「じゃあ次は後ろを……」
「はいはい! 後ろはオレが切る!」
「ふざけんなショーマ! お前がブキッチョなの知ってるかんなっ」
「ちぇっ、バレてたか」
「こら、大人しくしろ」
翔馬の茶々に暴れる和都を落ち着かせると、今度は背中側に回って後ろの髪を切り揃えていく。
後は前髪ほど酷くはなく、変な位置で斜めに切られているところを、目立たなくなるようにハサミを入れる。周りの髪もそれに合わせて違和感が出ないよう、少しずつ切っていった。
「後ろはそんなに切られてないな」
「壁際に追い詰められてたからね……」
艶やかで柔らかい、まっすぐで綺麗な黒髪。
切り離された短い髪の毛は、小さな束を作ってサラサラとその身体を覆うビニールケープの上を滑って床に落ちていく。
「……ユースケ、上手いねぇ」
大人しく切られていた和都が、ふいに口を開いた。
「そうか?」
「小学生の時は、父さんに切ってもらってたんだけど、なんかすごい引っ張られて痛くってさぁ」
そう言いながら、和都が懐かしそうに思い出したという顔で笑う。ここに来る以前はどうしていたのだろうと思っていたのだが、和都の言葉にそうだったのか、と納得する。
「あ、これからはユースケに切ってもーらお」
「えっ」
言われて思わず手が止まる。
それに気づいたように、和都が顔を上げてこちらを見た。
「ダメ?」
「……いや、いいけど」
「じゃあ、よろしくっ」
見上げた顔に嬉しそうに笑われて、なんだか妙に照れてしまった。
昔の姉は、短めに切り揃えた前髪が妙に似合う人で。その時の姉の姿と和都が一瞬だけ、重なって見えてしまったのだ。
──平常心、平常心。
気付かれないよう小さく深呼吸をする。
「えー、オレはぁ?」
「だからお前はダメだっての!」
二人のやりとりに、仲間外れの翔馬が文句を言うが、それには和都が歯を剥いた。きっと翔馬に任せたら、最終的にバリカンが必要になるくらいの悲惨さになってしまうだろう。
「ほら、もう少しだから大人しくしろ」
「はーい」
祐介は和都をきちんと椅子に座らせると、再びハサミを動かし始める。
確かに和都は女性のような柔らかい顔つきをしているが、姉とそんなに似ているわけではない。似てるところを挙げるなら、髪の色と瞳、肌の白さくらいだ。
あとは、その時の感情がそのまま顔に出るところ。
入学当初は常に不機嫌そうにしていたので分からなかったが、一緒に過ごすようになってからそういうタイプだと気付いた。
──似てるのはそのくらいなのにな。
けれどそれが、一緒にいて心地いいのを自分は知っている。
サラサラとこぼれ落ちる髪の破片。
指先で触れている髪に、温度はない。
けれどそれが、熱を帯びたように感じるのは、不意に見せられた、あの顔のせいだ。
陽炎のような熱が伝わらないうちに、少しずつ裁ち切っていく。
「はい、終わり」
「おおー、いい感じ」
「本当?」
和都がそう言いながら、持たせた鏡で懸命に後ろを見ようとしていたが上手くいかず、結局、翔馬にスマホで写真を撮らせて確認していた。
「うん。やっぱり上手いな、ユースケ」
「……母さんに、一応習ったからな」
嬉しそうに笑う顔がちゃんと見れなくて、祐介は和都に付けていたケープを外すと、すぐに片付けを始めてしまった。
小さいホウキで床に散らばる髪を掃いていると、妙に視線を感じるのでそちらを見る。見ていたのは翔馬だった。
「どうした?」
「それ、欲しがってた奴らが見たら喜ぶんだろうなぁって」
「……売りつけようとか考えてないよね?」
翔馬の不穏な発言に、あからさまに嫌そうな顔で和都が言う。
「いやー、欲しいゲームあってさ!」
「ユースケ、それすぐ捨てて! ゴミ箱そっち!」
「分かった」
「あー! ちょびっとだけ! ほんのひと握りだけ!」
「……アホか」
呆れたようにそう言って、祐介は髪の毛をまとめた袋のクチを固く縛り、ゴミ箱に押し込んだ。
夏休みも近い、日曜日。
和都の家のリビングで、水色のビニールでできたケープを巻いて大人しく座っている和都に、ハサミを持った祐介が鏡を手渡しながら言う。
「前髪は、こんなもんでいいか?」
「……うん。マシになった、かも」
頬や腕に絆創膏を貼った和都は、受け取った鏡の中の自分を見ながら頷いた。
普段は眉を隠すくらいの長さに揃えている前髪が、小さな額の真ん中くらいまでの長さで整えられている。和都はその前髪をつまみながら、ため息をつく。
今日は祐介が和都の髪を切ってやっていた。
「だいぶ短くなったな」
近くのソファで、祐介が髪を切る様子を見物していた翔馬が言う。
「まぁ、すぐ伸びるし」
和都はそう言いながら、鏡の中の短くなった前髪と、顔に貼られたたくさんの絆創膏を見つめた。
一学期の半ばくらいから、クラスの女子たちの間で妙な『おまじない』が流行りはじめた。
よくある、これをすれば『魅力的になれる』あれをすれば『成績が上がる』と言った、眉唾のようなオカルト本がキッカケだったのだが、そのうちの一つに『好きな人と両想いなれるおまじない』というのがあった。それを実行するには『好きな人の髪の毛』が必要らしく、その持ち主として和都の髪の毛が狙われたのだ。
もちろん、クラスの女子たちも、最初からそんなものに効果があるとは思っていない。しかしそこに、こっそり和都の髪の毛を手に入れて実行したという女子が現れた。すると、普段自分から話しかけることのない和都から話しかけてもらえた、という奇妙な偶然があったらしい。
それを知った女子たちは目の色を変え、最初はこっそり手に入れようとしていた和都の髪の毛を、最終的には「髪の毛が欲しい」とハサミを持って本人を追いかけ回すという恐ろしい事件に発展した。
その結果、和都はハサミを振り回す複数名の女子生徒に教室の隅へと追い詰められ、和都本人と騒ぎを止めに入った教師が髪の毛だけでなく、顔や腕を斬り付けられるという、流血沙汰の大惨事になった。
結構な騒ぎになった上、和都以外に怪我人も出たというのに、この事件も学校側は「ちょっとした集団パニックが起きた」と通達し『おまじない禁止』という奇妙なルールを増やしただけで終わった。
──やっぱり『大人』は『味方』になってはくれないな。
祐介は自分の中で少しずつ、ハッキリと『大人』への不信感が増えていくのを感じる。『大人』は『命』よりも『世間体』が大事な生き物なのかもしれない。
「しっかし、災難だったなぁ」
「もうやだ。女子のいないクラスないの……」
「そうなるともう男子校に行くしかないな」
ハサミを振り回されたおかげで、髪の毛をあちこち切られてしまい、事件直後の和都の髪型はひどい有様だった。
すぐに行きつけの美容室へ整えてもらいに行ったのだが、女性が苦手な和都に配慮しながら担当してくれていた男性美容師さんは、運悪くお店からいなくなっていたらしい。知っている人なら女性でも大丈夫かもしれないと祐介に頼み、美容師をやっている祐介の母にヘアカットをお願いしてみたのだが、今回の件で和都はすっかり女性がハサミを持っているのを見ることすらダメになったらしく、その場で吐いた。
結局、祐介が母からやり方を簡単に教わり、和都の髪を切ることになり、実際に今日、和都の家で髪を切っているのだった。
「じゃあ次は後ろを……」
「はいはい! 後ろはオレが切る!」
「ふざけんなショーマ! お前がブキッチョなの知ってるかんなっ」
「ちぇっ、バレてたか」
「こら、大人しくしろ」
翔馬の茶々に暴れる和都を落ち着かせると、今度は背中側に回って後ろの髪を切り揃えていく。
後は前髪ほど酷くはなく、変な位置で斜めに切られているところを、目立たなくなるようにハサミを入れる。周りの髪もそれに合わせて違和感が出ないよう、少しずつ切っていった。
「後ろはそんなに切られてないな」
「壁際に追い詰められてたからね……」
艶やかで柔らかい、まっすぐで綺麗な黒髪。
切り離された短い髪の毛は、小さな束を作ってサラサラとその身体を覆うビニールケープの上を滑って床に落ちていく。
「……ユースケ、上手いねぇ」
大人しく切られていた和都が、ふいに口を開いた。
「そうか?」
「小学生の時は、父さんに切ってもらってたんだけど、なんかすごい引っ張られて痛くってさぁ」
そう言いながら、和都が懐かしそうに思い出したという顔で笑う。ここに来る以前はどうしていたのだろうと思っていたのだが、和都の言葉にそうだったのか、と納得する。
「あ、これからはユースケに切ってもーらお」
「えっ」
言われて思わず手が止まる。
それに気づいたように、和都が顔を上げてこちらを見た。
「ダメ?」
「……いや、いいけど」
「じゃあ、よろしくっ」
見上げた顔に嬉しそうに笑われて、なんだか妙に照れてしまった。
昔の姉は、短めに切り揃えた前髪が妙に似合う人で。その時の姉の姿と和都が一瞬だけ、重なって見えてしまったのだ。
──平常心、平常心。
気付かれないよう小さく深呼吸をする。
「えー、オレはぁ?」
「だからお前はダメだっての!」
二人のやりとりに、仲間外れの翔馬が文句を言うが、それには和都が歯を剥いた。きっと翔馬に任せたら、最終的にバリカンが必要になるくらいの悲惨さになってしまうだろう。
「ほら、もう少しだから大人しくしろ」
「はーい」
祐介は和都をきちんと椅子に座らせると、再びハサミを動かし始める。
確かに和都は女性のような柔らかい顔つきをしているが、姉とそんなに似ているわけではない。似てるところを挙げるなら、髪の色と瞳、肌の白さくらいだ。
あとは、その時の感情がそのまま顔に出るところ。
入学当初は常に不機嫌そうにしていたので分からなかったが、一緒に過ごすようになってからそういうタイプだと気付いた。
──似てるのはそのくらいなのにな。
けれどそれが、一緒にいて心地いいのを自分は知っている。
サラサラとこぼれ落ちる髪の破片。
指先で触れている髪に、温度はない。
けれどそれが、熱を帯びたように感じるのは、不意に見せられた、あの顔のせいだ。
陽炎のような熱が伝わらないうちに、少しずつ裁ち切っていく。
「はい、終わり」
「おおー、いい感じ」
「本当?」
和都がそう言いながら、持たせた鏡で懸命に後ろを見ようとしていたが上手くいかず、結局、翔馬にスマホで写真を撮らせて確認していた。
「うん。やっぱり上手いな、ユースケ」
「……母さんに、一応習ったからな」
嬉しそうに笑う顔がちゃんと見れなくて、祐介は和都に付けていたケープを外すと、すぐに片付けを始めてしまった。
小さいホウキで床に散らばる髪を掃いていると、妙に視線を感じるのでそちらを見る。見ていたのは翔馬だった。
「どうした?」
「それ、欲しがってた奴らが見たら喜ぶんだろうなぁって」
「……売りつけようとか考えてないよね?」
翔馬の不穏な発言に、あからさまに嫌そうな顔で和都が言う。
「いやー、欲しいゲームあってさ!」
「ユースケ、それすぐ捨てて! ゴミ箱そっち!」
「分かった」
「あー! ちょびっとだけ! ほんのひと握りだけ!」
「……アホか」
呆れたようにそう言って、祐介は髪の毛をまとめた袋のクチを固く縛り、ゴミ箱に押し込んだ。
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