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4)秘 密〈1〉

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 清詞の提案通り、秋良は新しい引っ越し先から遠いことを理由に、居酒屋のバイトを辞めた。出来れば直接お店に行って、お世話になった店長にお礼を言いたかったのだが、蘇芳のことがあるので電話で済ませてしまった。
 あの日以降、頑なに連絡を拒んでいた蘇芳から『会いたい』という内容のメッセージがくるようになり、昼夜問わず電話がかかってくるようになったので、メッセージも電話も拒否するようにした。
 そうしてからは何もなく、以前のように大学へ通い、弁当屋でバイトをし、そして紺藤家の家事をこなす日々。
 相変わらず清詞はご飯を美味しそうに食べてくれるし、家事をこなす秋良に感謝の言葉をくれる。
 それだけで日々が充実していて、色んなことが満たされる気がした。引っ越し貯金の方も、清詞の言う通り最初こそ買うものが多くてなかなか増えなかったが、弁当屋のバイト代だけでもそれなりの額が貯まってきている。
 こんな日がずっと続けばいいのにと思うけれど、そうはいかない。
 清詞の家にいられるのは、大学を卒業するまで。
 期間限定の家族ごっこ。
 ──オレじゃあ、隣に立てないから。
 彼の本当のパートナーになりたいと思っても、自分にその資格はないのだ。


 夏休みも終わり、日が短くなってきた頃。
 バイトを終えた秋良は、最寄駅についてすぐ、自宅で待っている清詞に『もうすぐ着きます』とメッセージを送る。
 一緒に暮らし始めて数ヶ月。秋良がバイトで遅くなる日は、温めれば食べられる作り置きを用意するようにしてある。
 ──清詞さん、ちゃんとご飯食べたかな?
 今日は一度作ってからすごく気に入ってくれた、鶏肉のトマト煮込みを作っておいていた。遅くなった日は、帰るといつも夕飯の感想を教えてくれるので、それが楽しみになっている。
 そんなことを考えていると、清詞からメッセージの返信が来た。
『暗いから気をつけてね』という文章に、心配そうな表情の犬のスタンプが添えられている。
 ──清詞さんは心配性だなぁ。
 秋良はクスクス笑いながら『分かりました』と返した。
 駅前は商店街のアーケードを照らす明かりで明るいけれど、そこを抜けると、街灯が一気に少なくなる。
 車の通りはそこそこ多いが、確かにこれは心配しても仕方がない暗さだ。
 ──早く帰ろう。
 清詞の家に来るまで相棒にしていた自転車は、駅まで近いこともあって、今では玄関横のシューズクロークに仕舞われている。
 この時期だけでも、駅前への行き帰りは自転車を使うようにしたほうがいいかもしれないな、と道路沿いの歩道を足早に進んでいると、
「ねぇ、ちょっと君さぁ」
 歩道脇から奥へと通じる薄暗い通路。そちらから男の声に呼び掛けられた。
 驚いて立ち止まり、恐る恐るそちらを見る。
 街灯の下に現れたのは、少し長い金に近い茶髪を雑に後ろで一つにまとめた長身の男性──蘇芳だった。
「あはは、やっぱり秋良だ。やーっと会えたなぁ」
「蘇芳……さん? どうして、ここに」
 ゆらゆらと身体を左右に揺らしながら、蘇芳がゆっくり近寄ってくる。秋良はそのどこか異様な様子に、思わず後退った。
「もー連絡つかねーし、居酒屋のバイトも辞めてるし。結構探したんだよぉ?」
「なんでオレを探して……」
「だって、家がなくなって困ってるんだろ?」
 そう言うと、蘇芳が秋良の肩をガツッと勢いよく掴む。
「恋人として、心配だからに決まってるじゃん」
 楽しそうに笑った顔に言われ、秋良はウンザリしたように息を吐いた。
 以前は怖くて堪らなかった彼の視線に見つめられても、今はもう何とも思わない。
 秋良は肩に置かれた蘇芳の手を、ゆっくり押しのける。
「……蘇芳さんとはもう、終わりましたよね?」
「はぁ? 何言ってんの? 一緒に住むのが無理ってだけで、別れるなんて言ってないだろ?」
「『一緒に住むくらいなら別れる』って、ご飯食べた後に部屋から追い出して、そのまま部屋に入れてもくれなかったじゃないですか!」
「……っ!」
 蘇芳は秋良が大声を出して反論してくるとは思っていなかったのか、少しだけたじろいだ。だって彼にとって秋良は、ずっと自分の言う通りにしてきた存在だから。
「もう、蘇芳さんと話すことはありません。失礼します!」
 秋良は蘇芳が怯んだ隙を見て、走り出そうとした。
 しかし一瞬だけ早く、蘇芳の手が秋良の着ていた上着の裾を掴んでいて、危うく転びそうになる。
「うわっ!」
「もー、だーかーらー。それを反省してやってんだろーがよ! 俺が悪かったって! ほら、謝ったんだから、コレで元通りだろ。うちに帰るぞ!」
 服の裾からたぐるようにして秋良の腕を掴むと、そのまま駅の方へ向かって歩き始めた。
「やめてください! オレは清詞さんの家に……」
 秋良が口にした名前に、蘇芳はピタリと足を止める。それからゆっくり秋良のほうを振り返った。
 その不機嫌さを露わにした表情が、車のヘッドライトに一瞬だけ照らされる。
「……あ? なにお前、あのおっさんと付き合ってるわけ?」
「付き合ってるわけじゃ、ないけど」
 視線を逸らして言う秋良に、蘇芳が呆れたような、どこか憐れむような顔をした。
「もしかして、アイツに股開いて家に置いてもらってんのか? まったく、可哀想に。あんなおっさんより、俺のほうがよっぽどいいだろ? 帰ったらタップリ可愛がってやるからな」
 そう言うとすぐに秋良の腕を引いて歩き始める。
「清詞さんはそんなことしない!」
 大声で叫びながら、秋良は蘇芳の腕を思い切り振り払った。すると蘇芳は舌打ちし、すぐに秋良の腕を掴み直す。
「んなの知らねーよ。ほら、いいから帰るぞ」
「離して!」
「ワガママ言ってんなよ!」
「やだ!」
「いーかげんにしろよ、……コノッ!」
 秋良の往生際の悪さに痺れをきらしたのか、蘇芳が手を振り上げた。
 打たれる、と秋良は反射的に目を閉じる。しかし、その手は振り下ろされることはなく、清詞がガッチリと掴んでいた。
「なっ!」
「……清詞さん?」
「あまりしつこいと、然るべき手段に出ると言ったよね?」
 そう言う清詞の息が少し上がっている。
 遠くからパトカーのサイレンと、赤い光がだんだん近づいて来るのが見えた。


 ◇


「やれやれ、災難だったねぇ」
 秋良を待ち伏せしてまで連れていこうとしていた蘇芳は、清詞が呼んでいたパトカーで連行され、二人は被害者として事情を聞かれるなどしていたこともあり、家に帰り着いた時には、すでに日付が変わっていた。
「……あの、どうして、迎えに」
「今朝、会社に行くついでにゴミ出しをしたの、僕だったろう?」
「はい」
「その時、ご近所さんから『最近、夜に不審な男がうろついてる時がある』って教えてもらってね」
 ご近所さんの話によると、その男は若い女性ではなく、小柄な男性を中心に話しかけていたらしい。それを聞いた清詞は、その男が秋良を探している蘇芳ではないか、と気にしていたのだそうだ。
「バイト帰りは、寄り道せずにまっすぐ帰ってくる君が、家に着いてもいい時間になっても帰って来ないから、気になって迎えに向かったんだよ」
 すると案の定、道端で言い合う二人を遠目に見つけたので、先に通報を済ませて、秋良の元へ駆けつけたのだという。
「清詞さんには、助けてもらってばっかりですね」
「そんなことないよ。僕も、秋良くんにはたくさんのものをもらってる。だから、おあいこだ」
 ソファで隣に座った清詞が、目尻に皺を寄せて、にっこり笑った。
 もし、清詞が迎えに来なかったら──。
 きっと今頃、何度も殴られながら蘇芳の家に連れていかれ、連絡を取らなかったお前が悪いのだと詰られながら、蘇芳の言いなりに戻っていただろう。
 想像するだけで背筋が冷えて、秋良は両腕を自分で抱くようにさすった。
 清詞と過ごすようになって、改めてあの頃が異常だったと思える。『好き』と『嫌われたくない』を理由に、盲目的な言いなりになっていただけで、そこに愛なんてなかった。
 唇を噛み締めながら震えている秋良に気付き、清詞はそっと肩を抱き寄せると、そのままぎゅうっと抱きしめる。
「──ちゃんと間に合って、君を助けることが出来て、本当に良かった」
 秋良の小さな額に、そっと柔らかいものが触れた。
「せ、清詞さん?」
 口付けされたのだ気付き、驚いてそちらを見上げると、どこか切なそうな瞳で、清詞がじぃっと見つめてくる。
 こんなことをされたら、好きになっても、勘違いをしても仕方がない。
 でも、この人は女性と結婚したのだ。
 男である自分が対象外なのは知っている。
「……オレ、女の子じゃない、ですよ」
 嬉しいのに、心が痛くて。
 ──女の子だったら、清詞さんの隣に立てたのにな。
 堂々と、お嫁さんにしてくださいって。昔みたいに言えるのに。
 目頭が熱くなってきて、俯いた。
 すると、清詞が再びぎゅっと、力を込めて抱きしめてくる。
「あ、あの。……清詞さん?」
 理由が分からず困惑していると、清詞が静かに口を開いた。
「……秋良くん。僕も君に、話していないことがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「え?」
「僕と梨英さんの、二人だけの、秘密の話」
 清詞はゆっくり身体を離し、いつもの目尻に皺を寄せた優しい瞳のまま、こう言った。
「僕も彼女も、同性愛者だったんだ」
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