創作BL)カイキなる日々短編集(成人向け)

黑野羊

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虚薄のインディケーション

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 三月の頭にあった卒業式も無事に終わり、狛杜こまもり高校は春休みに入った。
 和都は自室で一人、机の上でうーんと伸びをする。春休み中に出された復習用の課題をやっていたが、半分はもう終わってしまった。
 来月からは新学期が始まり、三年生になる。進路も決めたので、大学受験に向けての勉強もちゃんとしていかなければと、和都はここ最近、自宅で机に齧り付いていた。
 春休みではあるが、春日は塾と塾で出される課題で忙しく、菅原と小坂はバスケ部としての最後の試合に向けた練習があるそうで、会ってはいない。
 そして、もう一人。
 和都はスマホを取り出すと、チャットアプリを開いて仁科とのメッセージ履歴を眺めた。
《ちゃんと飯食べた?》
《うん、食べたよ》
《こっちは今日も残業だわ》
 メッセージの最後は、和都の送った『頑張って』とネコが応援するスタンプで、それに『既読』のマークが付いているだけ。
 保健室の先生である仁科は今、新学期に向けての準備でひときわ忙しい時期だ。
 春日や菅原等と違い、大きな予定があるわけでもないので、和都も保健委員として手伝おうかと申し出たのだが、新入生の個人情報を扱う作業も多いらしく、生徒には任せられないから、と断られてしまった。
 ──まぁ、こればっかりはしょうがないけど。
 そうやって忙しいくせに、両親が出張中で不在になっている自分のことも、メッセージだけではあるが、ちゃんと気にかけてくれる。
 それにしても、こんなに長く顔を合わせないのは、ずいぶんと久しぶりだ。
 夏休みは、仁科が関わる研究発表の資料整理を手伝うため、殆ど学校に行っていたし、冬休みも両親が不在だったので、仁科の家でクリスマスや正月を過ごしていた。
「……顔、見たいな」
 平日も長期休みも、呆れるくらいに見ていたはずなのに、たかだか一週間見ていないだけで、このまま顔を忘れてしまうのではないかと錯覚する。
 普段以上に忙しい時期だから、予想よりもよれよれになっているかもしれない。
 そうだ、と思いついて、和都はスマホの写真フォルダを開いた。
 菅原のように普段からやたら写真を撮るほうではないけれど、年末に行った修学旅行は仁科も引率者として参加していて、その時に撮った集合写真があったはず。
 その時期に撮った写真を何枚も見ながら、よく知る顔を探してみた。しかし、殆どの写真が複数人で一緒に撮っていて、仁科は小さく写っているものばかり。
「……先生だけの写真て、持ってなかったのか」
 保健委員の日課で、平日は健康観察記録簿を届けに保健室へいくから、顔なんていくらでも見られると思っていた。
 春休みが終われば三年生。そうしてそのまま卒業したら、毎日会うことは難しいだろう。
 今更ながら、その現実を実感する。
 そう思ったら、なんだか無性に会いたくなった。
 チャットアプリで『会いたい』と送ろうとして、打ち込んだ文字を送信する前に消す。
 向こうはただでさえ忙しいというのに、こんなワガママで困らせたくはない。
「……うー」
 机に突っ伏して、小さく頭を打ちつける。
 会いたい気持ちと、困らせたくない気持ちで収拾がつかなくなってきた。
 ふと顔を上げると、机の端に置いていたキーケースが目に入る。
 深い緑色の、革製のキーケース。
 仁科にクリスマスプレゼントとしてもらったもので、自宅の鍵と仁科の家の合鍵が付けてある。この合鍵は、以前『卒業した後にプロポーズをする』という約束と一緒にもらったものだ。
 ──いつ来てもいいって、言ってたっけ。
 仁科の自宅までの行き方はわかっている。
 そうして家で待って、顔を見て、出来たら写真を撮って。そうしたら、一人で帰ればいい。
 忙しくて疲れているだろう仁科に、手間は掛けさせたくない。
 和都は、よし、とキーケースを握りしめると、チャットアプリで仁科宛にメッセージを送った。
《せんせーの家、行くね》





 一人でくるのは、二回目だった。
 狛杜公園前駅から電車で数駅、市立図書館のすぐ近くにある、見上げるように大きなマンション。出入り口であるエントランスへ向かい、背の高い自動ドアを抜けると、先に入った住人の見様見真似でオートロックの鍵を開けた。
 豪華なシャンデリアの下がるエントランスホールに入ると、おっかなびっくりしながら、こそこそと反対端まで小走りで進み、エレベーターで十五階まで上がる。
 十五階にある『一五〇六』と書かれた部屋を見つけると、和都は扉の前で一度だけ深呼吸をした。
 それから、もらっていた合鍵を鍵穴にそっと差し入れて回す。ガチャリ、と音がして、玄関扉は難なく開いた。
「……お、おじゃまします」
 呟いてからそっと玄関に入ると、明かりのついていない暗い廊下が静かにまっすぐ伸びていた。突き当たりの、リビングに繋がるすりガラスの扉は閉じられていて、その向こうは真っ暗である。
 誰もいない、人の気配のしない、他人の家。
 不意にスマホが振動したので、驚いて取り出すと、メッセージの通知だった。
 確認すると仁科からで、内容も『了解』と書かれたスタンプのみ。
 家に行くというメッセージを送ってから、だいぶ経っている。今頃になって返信がくるということは、やはり予想以上に忙しいのだろう。
──やっぱり、迷惑かな。
 やはり帰ろうか、とも思ったが、向こうはもう自分が家にいると思っているだろうし、ここで帰ったら余計に気を遣わせてしまうだけだ。
 和都は意を決し、靴を脱ぐと、そっと玄関から続く廊下へあがった。
 誰もいないし、悪いことをしているわけではないのに、そろそろと静かに歩いてしまう。
 リビングまでたどり着くと、明かりをつけた。
 よく知る見慣れた室内の様子に、なんだかホッとする。
 とりあえず、いつものソファに座ろうとそちらへ向かうと、見たことのあるルームウェアの上下が無造作に放り投げられていた。仁科が普段から寝間着パジャマにしているものである。普段ならきちんと仕舞っているはずのものだ。
 和都はぐるりと辺りを見回す。ダイニングテーブルには、朝食に使ったと思われるマグカップとお皿が、そのままになっていた。洗わずとも流しに運ぶくらいはしているタイプなのに、今日は寝坊でもしたのだろうか。
──片付けておこうかな。
 和都はマグカップとお皿を流しに運ぶと、そのまま慣れた様子で洗い始めた。
 何度もこの家で一緒に過ごしているけれど、仁科はあんな飄々とした見た目に反して、整理整頓は妙にきちんとしている。気になって理由を聞いたら、実家にいた頃、時々修行と称して安曇神社で手伝いをしていたらしく、その時の習慣が染み付いているらしい。
 洗い物を終えると、今度はソファに放り出されたルームウェアを片付けておこうと手に取った。
 紺色の、柔らかい素材で出来た長袖の上着。
 両手で持って広げると、ふわり、と微かによく知った香りが鼻を掠める。
 ──……先生の、匂いだ。
 ハッとしてから、誰もいないのに辺りを見まわすと、和都はソファに座ってルームウェアの上着をぎゅっと抱きしめた。
 香水とは違う、多分使っているシャンプーかボディソープの香料に、しっとりした肌の匂いが混じった、香り。
「……せんせ」
 春休みに入って一週間、会わなかっただけだ。
 たったそれだけなのに、こんな僅かな痕跡で嬉しくなるなんて。
 ──ああ、そっか。おれ、寂しかったんだ。
 和都はぎゅうっと上着を抱きしめたまま、ずるずると崩れ落ちるようにソファに横になる。
 学校で顔を合わせている時は、なんとも思わなかったのに。
 ほんの少し顔を見ないだけで、こんなに寂しいなんて知らなかった。
 自分はやはり随分と、仁科のことが好きらしい。
 上着に埋めていた顔を上げると、正面にある大きな壁かけテレビが目に入った。
 ふと、前回この家に来た時のことを思い出す。
 この前来た時は、ここで一緒に仁科の好きな映画を観たていた。小さい時からテレビやゲームの類を禁じられていたので、仁科の家に来るようになってようやく、映画も見るようになったのだ。
 そしてその後は、ソファで──。
──こないだは、ここでしてくれたんだっけ。
 年明けくらいから無意識に目覚め始めた、自分の中の白い欲。
 当初は未知の感覚を持て余してしまい、発散の仕方も分からず熱を出していたが、そんな自分に仁科は、半ば無理矢理、けれど丁寧に教えてくれた。
 それからこの家に来る度に、仁科は自分の浅ましい欲の発散に付き合ってくれている。
『ここ気持ちいい?』
『もうちょいチカラいれて。そう、上手』
 チカチカと瞬くように。
 言われた言葉が、耳元で囁いた。
 された場所と、その時に強く感じる匂いを嗅いだせいだろうか。記憶の中の声に煽られて、自分の中心が熱くなってくる。
「……ふ、んんっ」
 ルームウェアに顔を埋めて、ふーふーと息を吐きながら、内側の熱を冷まそうとしたが、上手くいかない。
 熱ばかりが昂ってきて、クラクラする。
 気付けば和都は、空いてる手でジーンズのファスナーを下ろしていた。それから履いていたジーンズを下着ごとズラし、硬くなりはじめた自分のものを手のひらで包むように握る。
 ゆっくりと上下に、躊躇いながら動かすと、それだけで気持ちがいい。だんだんと呼吸が苦しくなってきて、吐く息に色がついた。
 記憶と今と、重なるような心地よさに、頭の中をチリチリと焼かれる。
「……ん、せんせ」
 自分のものとは思えないほど硬くなり、血管の浮き上がるそれの、先端にある窪みを指先でなぞると、先走りがぬるりと滑って溢れていった。
 夕暮れの静かな室内に、自分の粗い息遣いと、ぐちぐちと湿った音が響く。
 仁科がどんなふうに触ってくれていたのか、拙い指先で記憶の中の動きをなぞる。
「……っあ」
『ここが気持ちいいんでしょ?』
 言われた場所で、押し殺していた声が漏れた。
 気持ちいいけれど、された通りにしてみるけれど、やっぱり少し感触が違う。指の長さも太さも、仁科とは違うせいだろうか。
 顔も身体も、全部が熱を持ったみたいに熱くて、もう吐き出したくて堪らないほど昂っているのに、何かが足りなくて。
 ──いつもは、どうしてたんだっけ。
 浮かされた頭で記憶をたどる。
 仁科に手伝ってもらう時は、いつもならキスをしてもらっていた。でも、今はいない。
 それならと、和都は熱い息の漏れ出る口を開けて、抱きしめていたルームウェアの端を小さく唇で噛む。
『いっていいよ』
 そういつも。熱で潤んだ瞳で、妙に嬉しそうに言われたら、身体が大きくドクンと脈を打って。
「あっ……」
 内側からビクビクと、真っ白な欲が溢れ出す。
 咄嗟に先端を手のひらで覆って、ドクドクと吐き出される熱を自分で受け止めた。
「……うあ、や、やばっ」
 我に返り、和都は慌ててローテーブルの上にあったティッシュ箱に手を伸ばす。手のひらや吐き出してくったりしている自分のものに付着した、白い液体を急いで拭き取った。
 それから身体を起こし、ソファに少しだけ溢してしまった分を拭う。幸い、床や仁科のルームウェアに被害は及ばなかったようだ。
 ティッシュであちこちを拭いて周り、和都はようやく自分の履いていたジーンズのファスナーを上げる。
──なにしてんの、おれ。
 一通りの片付けを終え、洗面台で手を洗い、和都はぐったりとソファに沈み込んだ。
 主人不在の、他人の家で。
 自宅でも、一人でまともにしたことはないのに、ここだとどうしても、思い出してしまうからだろうか。
 ソファの上で、和都はもう一度ルームウェアをまじまじと見つめる。抱きしめすぎたのか、だいぶシワシワになってしまった。
「……先生の、ばか」
 そう呟いてから、和都は再びルームウェアをぎゅっと抱きしめて、ソファの上にパタリと横になる。
 スマホは、仁科宅に着いて最初に『了解』とスタンプが来て以降、一度も鳴っていない。
 窓の外の、カーテンに透けていたオレンジ色の光はもう見えず、夜が近づいている。
 保健室の先生は、この時期が一番忙しいのだ。
 だって、春休みが終わったら、入学式があって新入生がやってくる。新学期が始まったら、身体測定に始まり、保健調査や新入生の対応もあって、保健室は休まることがない。
 うつらうつら、と意識が揺らぐ。
 分かっては、いるのだ。
 でも、自分から会いに来る程度には、顔が見たくて、触ってほしくて、堪らない。





「──……都、和都。おい、起きろ」
「……んぇ」
 大きな声と身体を揺らす振動に、和都はパチリと目を開けた。
 目の前には、仁科の顔。
「……あ、せんせ」
 ぼんやりした声で言うと、仁科がどこかホッとしたように息を吐いた。
「帰れるタイミングでメッセージしたのに、全然返信こないから、何かあったのかと思ったよ」
「……あ、ああ。ごめん、寝てた」
 目を擦りながら、和都は今自分がどこにいたのかを思い出す。どうやら諸々の片付けをしてソファに横になった後、そのまま眠ってしまったらしい。
「何事もなくて、よかったよ」
 いつものように、仁科が手を伸ばし、大きな手のひらが頭を撫でた。
 ──ああ、本物の、先生だ。
 そう思ったら、なんだかぷつりと糸が切れたようで、途端に目頭がじんわりと熱くなる。
「……せんせぇ」
「んお?」
 和都はポロポロと涙を溢しながら、仁科に抱きついた。
 驚いた顔をしながら、仁科は和都を優しく抱きとめると、そのままぎゅっと腕に力をこめて、耳元で囁く。
「……寂しかったの?」
「うん……」
「そっか、ごめんなぁ」
 抱きしめられたまま、手のひらが優しく頭を撫でてきた。それから身体を少しだけ離すと、涙で濡れた頬を指先が拭って、顔を引き寄せられて。
──……あ。
 仁科の唇が、小さく開いた自分の唇に噛みついてくる。
 入り込んできた分厚い舌が、自分の舌から唾液を搾り取るみたいに絡んできた。
「……んん」
 和都は目を閉じて、両腕を仁科の首の後ろへと回す。
 触れたくて堪らなかった、匂いと体温。
 しばらく続いた唾液をかき混ぜる音が、ゆっくり離れて息をつく。
「……構ってやれてなくて、ごめんね」
「ううん、先生が忙しいの知ってるから。迷惑かもって思ったけど、ちょっとだけでもって、思って……」
「そっか。でもそうやってちゃんと伝えてくれるのは、嬉しいよ。言ってもらえなきゃ、分かんないからね」
 仁科がもう一度頭を撫でて、それから和都に寄り添うように、ソファに座った。
「会いたかったのも、あるんだけど。あの、その……」
「なぁに?」
「先生の、写真、欲しくて」
「写真?」
 思ってもいなかったお願いに、仁科は目を丸くする。
「うん。先生の顔見たいなって思って写真みてたら、修学旅行でみんなと撮ったのしか、なくて……。だから、撮ってもいい?」
「いいよ」
 仁科が優しく笑うと、和都がおずおずとスマホを持ち、仁科に向けてシャッターをきった。
 画面の中には、仁科だけが写った写真。学校では見ない、自分と二人きりの時だけの顔。
「……ありがと」
「どういたしまして」
 写真を見つめていると、横で頭を撫でながら覗き込んでいた仁科が何か思いついた顔をした。
「あ、どうせならさー」
 そう言うと、仁科は和都のスマホを取り上げ、肩を抱き寄せる。
「えっ」
 それから腕を前に突き出して、持っていたスマホの、カメラのレンズをこちらに向けてから、カシャリとシャッターを押した。
「ほら」
 そう言って返されたスマホを見ると、自分と仁科の二人が納まった写真。
「……あ」
「そういうの、一枚くらいあってもいいんじゃない?」
 二人きりの写真というのも、そういえば撮ったことがない。照れくさいと思っていたし、毎日会えるなら写真だって不要だと思っていたから。
 でも今ならわかる。
 いつでも一緒だという証明として、写真を撮るのだ。
「それ、俺にも送って」
「うんっ」
 和都はチャットアプリを開くと、仁科宛に早速送る。
 お互いにツーショットの写真を持っているだなんて、少し気恥ずかしいけれど、なんだか本当のカップルみたいでちょっと嬉しい。
「あとはー、そうねぇ……」
 仁科は再び考えた顔をしていたが、すぐに和都をゆっくりとソファに押し倒して言う。
「──こういう状態の写真も、オカズになっていーんじゃない?」
 悪戯っ子のような、どこか楽しそうな顔で見下ろされて、顔が赤くなった気がした。
「……ばかっ」
 和都は悪態をつきながらも、ソファの上で見上げるように写真を撮る。
 悔しいけれど、確かにこういう状態の時、仁科の顔はちょっとだけ格好良く見えてしまうので、写真に収められるのは、正直嬉しい。悔しいけれど。
 むーっと口を尖らせつつ、和都は口を開く。
「せんせーは、おれの写真とか、欲しかったりする?」
「お前の写真?」
「……うん」
 なんだか自分ばかりが撮っていて、ちょっとだけ不公平に思えたのだ。
「あー……お前の写真ねぇ、実はいっぱいあってさ」
「はっ?」
 仁科がどこか気まずそうに身体を離すと、そのまま立ち上がって言うので、和都は驚いた反動で跳ね起きる。
「な、なんで?」
「んー、菅原クンがやたら送ってくるんだよね」
「へ?」
 そう言うと仁科は自分のスマホを、ダイニングテーブルに置いていた鞄から取り出し、画像フォルダを開きながらソファに戻って座った。和都が横から覗き込むと、驚くような枚数の、自分の写真。
「……うわぁ」
「学校ある日は、一日一枚は必ず送ってくるんだよね」
 そういえば、菅原はある時期からやたらと自分の写真を撮るようになっていた。普段から何かと写真を撮る奴なので、特に気に留めていなかったのだが、何に使っているのかと思えば、まさか仁科に送っていたなんて。
「……なんで?」
「わかんない」
 二人して頭を捻り、理由を考えてみたが、結局分からなかった。
「まぁでも、お前が気持ちよさそうにしてる顔の写真は、ちょーっと欲しいかなぁ」
「……へんたい」
 ニヤニヤといやらしい顔つきをする仁科から出てきた妄言に、和都はじろりと睨みあげる。何か反論されるかと思ったのだが、何故か少しだけじぃっと見つめられた。
「……なに?」
「──待ってる間、俺のパジャマをオカズに一人でしてたんでしょ? 俺にも可愛いオカズちょーだいよ」
「……っ!!」
 どこか照れたような、ちょっとだけ楽しそうな仁科に言われて、和都の顔が一気に赤くなる。
 終わった後、ちゃんと綺麗に片付けたはずなのに、しっかりバレていたらしい。しかし、よくよく考えれば、ゴミ箱に増えていたゴミの様子から分かってしまう話だ。
「……ご、ごめんなさい」
 他人の家で、することではない。わかっているからこそ、弁明のしようもない。
 真っ赤な顔で項垂れる和都に、仁科はくつくつと喉で笑う。
「ぜーんぜんいいよ、気にしてないから。それに、むしろ嬉しいくらいよ」
「え」
 耳まで真っ赤にした和都の頭を仁科は優しく撫で、その手のひらを、するりと顎下へ滑らせた。そうしてゆっくり顔を上げさせられると、すぐに仁科の唇が唇に触れる。
 甘く噛み合うようなキスをされた後、ふっと離れた仁科の表情は、なんだか嬉しそうな顔のままで。
「……嬉しい、の?」
「うん、嬉しいよ」
「なんで?」
「だって、お前にとって俺が『そういうことをしたい対象』ってことでしょ? 好きな人にそう思われてるのは、なんだかんだ、嬉しいよ」
「……そう、ですか」
『好きな人』という言葉にドキリとする。
 仁科にとって、自分が『好きな人』だということを改めて言われると、やっぱり嬉しい。
 そっと抱き寄せられて、和都はそのまま仁科の肩に顔を埋めた。
 今、こうしていられる時間が、幸せだと思う。
 不意に、ぐぅ~っと腹の虫が鳴った。
 その音に、和都と仁科は顔を見合わせて笑い合う。
「ん、腹減ったな。飯いくか」
「う、うん」
「どうせ泊まってくだろ? どこ行こうか?」
「えっいや、顔見て写真撮ったら、帰るつもりで……」
 迷惑になるかもしれないからと、泊まる支度は何もして来なかった。でも、こうして会ってしまうと、離れがたくて仕方ない。
「明日は俺も休みだし。──飯の後に抜くの手伝うから、可愛い顔の写真撮らせてもらおーと思ったんだけど?」
 仁科が顔をグッと近づけて、囁くようにそう言った。仁科の指は和都の太ももの上を滑って、するりとその内側の、小さな隙間に入り込んでくる。
「……いや?」
 目の前の、誘うような顔から逃げられず、和都は顔を赤くして答えた。
「イヤじゃ、ない……」
 一人でしてみて、思い知ったのだ。
 だって、この内側に渦巻く浅ましい欲は、この人の手指じゃないと満足できない。
 そのくらい、自分でも驚くくらい、欲張りになってしまった。
「……そっか。じゃあ飯のついでに、こっちに置いておく用の着替えとかも買ってこようか」
「え?」
「どうせもうすぐお前の親も、長期間の出張に行くんだろ?」
「うん、四月入ったら、すぐって言ってた」
「それならいつでも泊まれるよう、着替え置いてても変じゃないだろ。ここももう、半分くらいはお前の家みたいなもんだし」
「……分かった」
 和都が頷くと、よし、と仁科が笑って頭を撫でる。
 それからゆっくり立ち上がると、ネクタイを外し始めた。
「じゃあ、流石にスーツじゃまずいし、着替えてくるから、何食うか考えといて」
「はーい」
 仁科が奥の部屋に入っていくのを見送って、和都は近辺の飲食店を調べようとスマホを取り出す。
 画面を開くと、ちょうど先ほど撮った写真の、画像フォルダが表示された。二人だけで写っている写真に、つい頬が緩んでしまう。
「……あ、調べなきゃ」
 和都は頭を振ってフォルダを閉じると、地図アプリを開いて飲食店を探し始めた。

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