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17)花を埋める

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 春日が二年三組の教室に戻ると、クラスメイトたちは変わらず作業を続けていた。
 が、教室の中を見回しても、和都の姿が見えない。
「あれ、和都は?」
「トイレに引きこもり中~」
「おめぇが変な質問しまくるからだろうが」
 入り口近くにいた菅原と小坂に聞くと、そんな風に返された。
 どうやら自分が教室を出た後、何かに勘づいた菅原に神社に行った時のことをあれこれ聞かれ、和都はトイレに逃げ込んだらしい。
「えー、でもやっぱ気になるじゃん! 先生と二人きりで泊まりがけの旅行だったんだよ?!」
「……お前みたいなのを『デリカシーがない』って言うんだよ」
 小坂が菅原をたしなめるのを聞きながら、春日は保健室から持ち帰った封筒を通学鞄に仕舞う。
「春日は何してたの? 先生ぶん殴ってきた?」
 菅原がやたら楽しげに聞いてくるので、さすがの春日も呆れてしまった。
「受け取る書類があったから、行ってきただけだ。……一応、向こうでの話も聞いては来たけど」
「えっ、じゃあやっぱり?」
 菅原が目を輝かせて食い気味に聞いてくる。だが春日は普段通りに返した。
「……酔っ払って、ふざけてやったらしいから、菅原が思ってるようなことじゃないぞ」
 本当にそれだけなのか、真偽は正直分からない。
 ただ、そう言われてしまったので、そう答えるのが今の状況としては適切だろう。
「えー、なんだよそれぇ」
「おら、んなことどーでもいいから、こっち手伝えっての」
 心底残念そうな声をあげる菅原を、呆れたような顔で小坂が教室の奥に引き摺っていく。
 その様子を見届けてから、春日は一人、中央階段の向かい側にあるトイレへ向かった。
 しんと静まり返ったトイレの室内。
 小便器の向かいに三つ並んでいる個室の、ドアが一つだけ閉まっている。
「和都、いるのか?」
 トイレの入り口で声を掛けると、ややあって、閉まっているドアの向こうから和都の声が聞こえた。
「……なに?」
「隠れてるだけなら出てこい」
「菅原は?」
 よほど嫌な目にあったらしく、拗ねた声が返ってくる。
 呆れつつも春日は閉まっている個室の前に立った。
「ちゃんと小坂が叱ってたよ」
「ユースケ、先生んとこ行ってきたの?」
「ああ。……進路関係で受け取る書類あったの思い出したから。まぁ、ついでに問い詰めてはきたけど」
「……先生、無事?」
 和都が少し心配するような声音で言う。
 仁科との間には、やはり何かあったのだろうと予想がついた。
 ──でもそれは、俺が聞いていいことじゃない。
 和都から話してこないことに、自分が口出しする権利はないのだ。
「酔っ払った先生がふざけただけなんだろ。……殴ってねぇよ。絆創膏貰ってきた。貼ってやるから、出てこい」
 そこまで言って、ようやく個室のドアが開く。
 中から出てきた和都は、目の端が少し赤くなっていて、不機嫌そうに口を『へ』の字に結んでいた。
「おら、後ろ向け」
 言われて和都は春日に背中を向け、シャツのボタンを上から二つ外す。
「……おれ、しばらく菅原のこと無視してもいい?」
「何言われたか知らんが、泣くからやめてやれ」
 口を尖らせて和都が言うのを春日は宥めつつ、貰った絆創膏を個装紙から取り出して、裏紙を剥がした。
「去年のこと、話したんだな」
「……うん」
 シャツの襟を後ろに引っ張ると、白くて細い首の根元が見える。
 小さな赤紫の、花びらのような痕跡が一つ。
「なんで?」
「先生は『味方』だから」
「……お前がそう決めたなら、それでいいよ」
 春日はそう言って、小さな内出血の痣を覆うように絆創膏を貼って、ほら、と背中を小突いた。
「向こうでのこと、詳しくは聞かないし、どういう関係になったかは知らねーけど」
「……べつにそういうんじゃないし」
「それでも、もし助けが必要になったら、ちゃんと言え」
「うん、ありがと」
 こちらを向いて笑う和都の顔には、戸惑っているような、困ったような色が滲む。
 春日はなんとなく、開いたままの、和都の襟元を引っ張って胸元を覗いた。
「……うわ」
 鎖骨の下、インナーでギリギリ見えない位置に、首の後ろに付いていたのと同じような、それよりサイズの大きい赤紫の痕を見つけて、春日は顔をしかめる。
「あっ、見るなよ」
 和都が慌てて胸元を隠し、外していたボタンを急いで留めた。困ったような顔をしつつ、少し耳が赤い。
 春日は今日、何度目となるのか分からない、深いため息をついた。
「──学校外でのことを、俺は何も聞かないし言わない。だが、学校内外問わず、面倒になるようなことはせず、節度を持って行動しろよ、
 呆れたように睨む春日に、和都は口を尖らせて返す。
「わ、分かってるよ」
「なんかやらかしたら、として、お前でも容赦無く吊し上げるからな」
「……はぁい」
 和都の申し訳なさそうな返事を聞いてから、二人揃ってトイレから出た。
 教室に戻ろうと廊下を歩いていると、和都が不意に両腕を寒そうにさする。
「どうした?」
「なんかさ、寒くない?」
 まだ季節は夏で、夏休み期間だ。
 外はカンカンに晴れていて、冷房をつけた教室の窓を解放しているので廊下側も多少は涼しいものの、寒いと感じるほどではない。
「いや?」
「えー、おれだけ?」
 廊下では別のクラスの生徒達が作業していたが、彼らも春日同様、寒そうにしている人間は見当たらなかった。
「ジャージならあるぞ、着とくか?」
「うん、借りる」
 そう言いながら、和都の視線は廊下の突き当たり、西階段のほうを向いている。
「……なんかいるのか?」
「んー、わかんない。でも、嫌な感じするなって」
「とりあえず、教室に戻ろう」
「うん」
 春日は和都にそう促し、いつもと変わらない廊下の端を見つめてから、教室に入った。
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