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12)遠雷の行方

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「……おれ、やっぱりさっさと死ぬべきじゃないかと思うんだけど」
 腕と足と、あちこちが擦り剥けて、それぞれに滲んだ血が痛い。
 大きい背中に背負われて、どこかへ運ばれている。これはたぶん、春日だ。
「ふざけんな。俺の目が黒いうちは勝手に死なせねーからな」
 走りながら、怒った声で春日が言った。顔は見えない。
 少し考えて、口をついて出てきた言葉が最悪だった。
「……ユースケって、もしかしておれのこと好きなの?」
「嫌い」
「即答かよ」
「嫌いだから、嫌がらせしてる」
「なるほどね?」
 さぁ死んでやるぞ、という時に限って、何故か毎回助けにくるから勘違いしていた。
 ああ、なんだ。そういうことか。
 嫌いなのか。そうか。だから近くにいても、コイツは変にならないんだな。
 でも、それならいっそ、放っておいてくれればいいのに。やっぱり変なヤツだ。
「……高校も、同じとこ行くからな」
「はぁ?! お前とおれじゃ偏差値違いすぎるでしょ」
「どーとでもなるし、する」
「……嫌がらせのレベルえっぐい。おばさんにおれが睨まれるじゃん」
 春日家には、ただでさえ迷惑をかけている。
 自分なんかを理由に、息子が全く希望していない高校に行くなんて知ったら、どう思うだろう。なんでそんなことまで考えが至らないんだ。
 こいつ、やっぱり馬鹿なんじゃないか。
「じゃあとっとと、その死にたがる癖を治せ」
 それは無理だよ。
 死にたくない理由が見つからない。
「……大学までついてこないよね?」
「高校で治らなかったら続けるぞ」
「あーもー、わかったよ。……完敗だよ」
 また、迷惑をかけてる。
 これ以上はダメだ。
 でもきっと、本当に高校はついてくるんだろうなぁ。
 それ以上はダメだ。
 自分のせいで、誰かの人生がおかしくなるのは、もう見たくない。
 もう見たくないのに、嬉しいのはなんでだろうな。
 視界が滲んで、鼻の奥がじんわり痛い。
「困ってることは、全部助けてやる。全部俺に言え。全部、なんとかするから」
「うん」
「だから、自分から死にに行くな」
「……うん」


「……なっつかしい夢ぇ」
 和都はそう呟きながら目を開けた。辺りはすでに明るい。
 あれは、いつだっただろうか。
 確か中学の頃。当時は気持ちが塞ぐとすぐ死にたくなって、死ねそうな場所を探して彷徨っていた。
 学校の裏手を彷徨ってたら、知らないヤツに追いかけ回され、最終的に裏山の崖から滑り落ちたところを春日が助けてくれた、のではなかったか。
 意識がぼんやりしている片隅で、スマホが鳴っている気がした。
 アラームをかけたような気もするし、そうじゃなければメッセージの通知音だろう。
 ──まだ眠い……。
 昨日はなかなか寝付けなかったし、今日は休みだからもう少し眠っていたい気持ちが強かった。
 しかし、一向に止まる気配がない。
 ああ、これは着信か、とようやく思考が繋がって、ベッドのどこかに放ったスマホを手で探って捕まえ、応答を押す。
「あい……」
 誰からだったか見なかったな、とふんわり思いながら、寝起きのあまり出ない声で言う。
「まだ寝てんのか。早く来ないと置いてくぞ」
 春日の声で言われて、思考が一気に現実に引き戻された。
「あっ!!」
 和都は短く叫んで飛び起きると、慌てて支度を始める。
 今日は仁科を含めたみんなと一緒に、白狛神社の跡地に行く日だった。





「ごめん、遅れた」
 急いで支度して、待ち合わせ場所にしていた駅裏の公園までたどり着くと、すでに春日と菅原がいた。
「大丈夫、大丈夫。先生も渋滞で遅れてる」
「よかったぁ」
 期末テストも終わり、間も無く夏休みという時期。
 和都は安堵の息を吐きながら、暑さと走ってきたせいで吹き出る汗を拭いた。
 以前、仁科と出掛ける際も指定した公園だが、相変わらず人がおらず、休日だというのに閑散としている。今日もよく晴れていて、日差しもそこそこに強く、どこか少し蒸し暑い。
「夜更かしでもしたのか?」
「いや、普通に寝たんだけど……」
 今日が楽しみで寝付けず、寝坊したとは言えなかった。
 言い訳を考えていたのだが、和都は頭を掻きつつ、春日のほうをチラリと見て。
「ん?」
「……昔の夢、見てた」
 少し前のことのはずなのに、もう懐かしいと思ってしまう、昔の夢。
 死にたくて堪らなかった頃の、記憶の断片。
 ──今は、考えなくなったなぁ。
 多分、自分の厄介な特性の理由と、その解決策が見えてきたからというのが一番大きい。そしてそれを、助けてくれる人が増えた。今日だってその為の、自分なんかの為の外出である。
 そんなことを考えながら辺りを眺めて、和都は自分を含めて三人しかいないことに気付いた。
「あれ、小坂は?」
「配達の手伝いが入ったらしくてな、途中で拾う」
「そうそう。あいつんち、山の麓だし」
 そんな話をしていたら、駅前の方から見覚えのある白い乗用車が一台近づいてくる。
「車来たぞ」
「あ、先生の車、あれだよ」
 和都が話していると、車はウインカーを光らせ、三人の前に静かに停止した。
「悪いねー。日曜だと混むのね、この辺」
 仁科がそう言いながら、助手席側の窓を開ける。
「おはよーございまーす」
「前来た時、土曜だったもんねぇ」
 停車した車の助手席に、和都が当たり前のように乗ろうとすると、着ていたパーカーのフードを春日が掴んで制止した。
「和都、お前は後ろ。俺と菅原が後ろだと小坂が乗れないだろ」
「……たしかに」
 言われて和都は頷く。体格の、こればかりは仕方がない話。
 結局助手席には春日が乗り、後部座席に菅原と和都が乗ることになった。
「先生、いい車乗ってんね」
 全員が乗り込んで出発すると、菅原が妙にはしゃいで車内を見回す。
「あぁ、実家の金だけどね」
「安曇家の親戚なんでしたっけ」
「そうそう。元はいわゆる分家だったのを、姓を変えて分けててね」
 隣県を拠点とする安曇家こと安曇グループは、こちらの県でも有名な代々続くグループ企業だ。有名百貨店やレストラン、マンションなどなど、誰もが知っている事業を幅広く手掛けている。
「安曇神社が一番有名っちゃ有名だけど、神社以外にやってる不動産とかアパレルとか、そっち系は仁科家うちも代々一緒にやってるのよ」
「かー! 羨ましい話!」
「色々面倒臭いことも多いけどね」
 仁科が苦笑しながら菅原に返す言葉を聞いて、和都は婚約者の話を思い出していた。それもまた、面倒なことの一つなのだろう。
 ──ずっと、気にしちゃってるんだよなぁ。
 電話越しに怒っている声を聞いたせいなのか、それともこれまでのことへの申し訳なさなのか。仁科が気にしないせいで、余計に気にしているのかもしれない。
 車は一方通行の多い住宅街の路地をぐるりと抜けて、進行方向に山の先端が見え始める。遠い狛山の辺りには、青空の下でもくもくと入道雲が大きく伸び、緑色の斜面に濃い影を落としていた。
「あ、相模。例のノートは持ってきた?」
「うんっ」
 隣に座る菅原に言われ、和都は持ってきたショルダーバッグから、これまでのことをまとめた大学ノートを取り出し広げる。
「おぉ、すげーすげー。えー、まず『狛犬の目』ね。これのせいで色々寄ってきちゃうんだっけ?」
「うん。いろんな人に言い寄られたり、襲われかけたりね」
「あれなー。去年も大変だったもんなぁ、本当」
 菅原が過去のことを思い出しながら、和都の頭を撫でた。
 一年の頃から頻繁に呼び出される以外に、ほぼ毎日下駄箱に手紙が入っているのも見ているので、菅原たちもその大変さを知らないわけではない。
「……最近はあまりないな。その必要な霊力チカラって奴が強くなったおかげか?」
 助手席に座る春日が、こちらを見ながら聞いてくる。
「うん、そうだと思う!」
 今ではそれらの回数も減って、ほぼゼロに等しくなってきていた。着実にチカラは増えているようで、その凄さを実感する。
「保健委員としてコキ使ってるからねぇ」
「……真っ当な理由があったのが、未だに解せないです」
 運転する仁科が楽しそうに言うのを、春日は隣から冷たい視線を向けた。
「もうちょい信用して欲しいんだけどなぁ」
「無理ですね」
「えぇー」
 春日と仁科の会話に、菅原は眉をひそめつつ和都にコソコソと聞いてくる。
「あの二人、なんかあったの?」
「ユースケが先生に一回、おれに委員の仕事させすぎって言いにいったことあってさ」
「うわ、まじかぁ」
 和都の答えに、菅原も呆れた顔を助手席のほうに向けた。
「春日ぁ、先生はもう警戒しなくていいじゃないのぉ? こんだけ協力してくれてるんだしさ」
「いいぞ菅原、もっと言え」
「まだ検討中」
「きびしーなぁ」
 春日の中ではまだしばらく、仁科は警戒対象のままのようだ。
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