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3)無限階段
03-03
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◇
保健室に入り、ガラガラと引き戸を閉めた。
「ケガとかしてないか?」
「あー、はい。もう痛くないんで、大丈夫です」
そう答えながら、和都は小さく安堵の息をつく。
別の先生と一緒にいれば、あの鬼もこれ以上追いかけてくることはないだろう。
「そっか、それならいいけど」
仁科が抱えていた紙の束を保健室の中央にある、広い談話用テーブルに積み上げた。
「……あ、えっと、準備って?」
和都はあまり深く追求されないうちにと、保健室にきた理由を思い出して仁科に尋ねる。
テーブルの上には、プリントの山が三種類並んでいて、横にホチキスが置かれていた。
「うん。各クラスで配ってもらう用のアンケート、委員会の時に渡す予定のなんだけど、三枚で一セットだから留めてもらおうと思ってね」
「全クラス分ですか? ……これ、留める機械とかなかったですっけ?」
狛杜高校は全校生徒、各学年六クラスなので、七百人以上はいる。なかなかの分量だ。
「こないだ教頭がぶっ壊して、今修理中なんだよね。はい、ホチキス」
「……はい」
二人は談話用テーブルの端と端に座り、三種類あるプリントを一枚ずつ取っては右上の端をパチンと留めていく。ひたすらに三枚一組を取っては留める作業を繰り返した。
「……もう少し、人数呼ぶべきだったんじゃないですか?」
あまりの作業量に、和都は早々にうんざりしながら言う。
「他の奴らは塾だなんだで断られたの。お前くらいよー暇そうな奴」
「……そうですか」
言われてみれば、今年の保健委員はそのほとんどが塾に通っている。保健委員の活動でよくペアになっている岸田も、確か今年から受験に向けて塾に通うようになったと言っていた。
「まぁ、結構時間かかるし、遅くなっちゃうだろうから、親に心配されるとかなら早めに言ってね」
「大丈夫です。どうせ、どっちも残業で帰ってくるの夜中ですし」
「……あぁそう」
仕事の忙しい両親は、帰宅時間が基本的に遅い。ここ最近は、顔を合わせるのもほとんど朝だけになっているので、自分の帰宅時間が多少遅くなろうが、気にもしないだろう。
留め終わったプリントの数を数えていると、仁科が不意に口を開く。
「そういや、なんで川野先生に追っかけられてたの?」
パチン、パチンと、ホチキスの留まる音が響く合間の、雑談のようだ。
「……あー」
「言いたくないならいいよ」
返答に困っていると、仁科にそう言われてしまった。
和都はそのまま口をつぐみかけたが、ああでも、と始業式の日のことを思い出す。
この人は、あの時起きた出来事を、全部見ていた。
「……始業式の日の、みたいな?」
「え? ……マジで?」
さすがの仁科も手が止まり、困惑した顔を和都に向ける。
「一緒に神社巡りしませんか、だって。……行くわけないし」
「その、やたら人に好かれちゃうってのは、なんとも考えものだねぇ」
努めて普通を装って話したつもりだが、仁科にはなんとなく見透かされているような気がした。
「みんな勝手ですよね。おれのこと、たいして知らない癖に」
「……そうだね」
再び静かになった保健室に、パチン、パチンとホチキスの音が響く。
窓の外の空は、夕暮れが近づいているのを知らせるように、薄らオレンジ色が混ざり始めていた。
不意に視界の隅に何か見えた気がして、和都はそちらを見る。保健室の入り口辺りの空中で、白い半透明のモヤが渦を巻きながら犬の生首の形を作るところだった。
〔カズトー! 大丈夫だった?〕
頭の中に少年のような声が響く。元狛犬のハクの声だ。
モヤだった犬のお化けのその姿は、最初に出会った時よりだいぶ輪郭がハッキリしてきている。
(ハク! 呼んでも出てこないから心配しちゃったよ)
向こうは自分の心を読めると言っていたので、和都は声を出さずに心の中で返答した。
〔ごめんね。あの変な空間に入られちゃうと、ボク助けてあげられないんだよぉ~〕
(あー、そうだったの)
思った通り、自分がいた場所はこことは違う世界だったらしい。
──じゃあ、なんで出られたんだろう。
保健室の入り口を見つめたまま、ついぼーっと考え込んでしまった。
「相模」
「は、はい!」
仁科に声をかけられて、ハッと我に返る。そちらを見れば、仁科が不思議そうな顔で自分を見ていた。
「どうした? 手が止まってるぞ」
「……す、すみません」
和都は慌てて作業に戻る。すると今度は仁科が、和都の見つめていた辺りにじぃっと視線を向けていて。
「……で? その犬みたいなのは、何なの?」
声色はいつもと変わらない。
「えっ」
〔やっぱり! ニシナはボクが視えてるんだね!〕
「ほー、俺の名前も知ってるわけね。……なんなんだ、お前」
はしゃいで跳ねるハクを、仁科の目はしっかりと捉えていて、警戒するように小さく眉を顰めていた。
「うそぉ……」
〔ほらね! ほらね! ちゃんとニシナは強いチカラがあるでしょ?〕
ちゃんとハクが視えていて、声も聞こえているようだ。
倒れた時の一件で霊力を持っていることは確信していたが、改めて目の当たりにすると驚きを隠せない。
「……先生、こういうの、視える人だったんですか?」
「うん、まぁわりと?」
ハクを指差しながら尋ねると、本人から出てくるのはあっさり肯定する言葉。
半信半疑だった和都も、これでは納得せざるを得ない。
「まじか──」
「で、言いたくないなら聞かないけど?」
それはつまり、話したいことなら聞いてやる、という意味。
どこか楽しげにこちらを見る仁科に、和都は観念したように大きく息をつき、口を開く。
「……実は、その」
自分がこのハクと番であった狛犬の生まれ変わりで、幽霊が視えたり人間をやたら惹き寄せたりしてしまうこと、霊力が弱く悪霊などに当てられて倒れしまうこと、そして今は『鬼』に狙われていることまでを、ポツポツと正直に話した。
「──へぇ、お前が狛犬ねぇ」
「なんですか」
「いやぁ、なんか誰かに仕える感じじゃないなって」
「そうですか?」
校内では『姫』と揶揄されているせいだろうか。
「堂島と川野先生が『鬼』で、奴らに食われないよう、ハクを強くするには霊力が必要。んで、チカラを増やすためには俺と一緒にいる必要がある、と。……なるほどねぇ」
仁科は変わらずプリントの端をホチキスで留めながら、和都の話した内容を口に出して反芻していた。頭の中で整理しているのだろう。
「……ごめんなさい」
その様子を見ながら、和都は小さくそう言った。
「え、なんで?」
「倒れる理由、ずっと言えなくて……」
「気にするなよ。お前のせいじゃないんだし」
「そう、だけど……」
口籠もりながら、和都はぎゅっと唇を引き結ぶ。
仁科は自分が倒れる度に、なんでだろうな、と原因を一緒に考えようとしてくれていた人だ。ずっと騙していたみたいで、どうしても申し訳ない気持ちになってしまう。
「しかし、その『鬼』って、本当に『鬼』なのか?」
「えっ」
「いや、こっちに赴任してきてすぐ堂島と話をしてるけど、アイツは普通に俺の知ってる堂島だったからさ」
「でも、始業式とか、最初の授業の時とかも、目が赤くなってましたよ?」
「まじで?」
二人して首を傾げていると、ハクがあっと何かを思いついたような顔をした。
〔ドージマは『鬼』なんじゃなくって『鬼』が憑いてる状態なのかも?〕
「あぁ、なるほど」
「悪霊が憑いてる、みたいな感じ?」
〔そうそう! 鬼も悪霊も似たようなもんだからね。肉体や意識を操れるくらいチカラの強い悪霊は『鬼』とも呼ぶんだよ!〕
「確かに、なーんかぼんやりしてる感じの時があったし、その可能性は高そうだな」
プリントを留める作業を続けつつ、仁科は何か考えるような顔をする。旧い友人に『鬼』が憑いているというのだから、無理もないだろう。
保健室に入り、ガラガラと引き戸を閉めた。
「ケガとかしてないか?」
「あー、はい。もう痛くないんで、大丈夫です」
そう答えながら、和都は小さく安堵の息をつく。
別の先生と一緒にいれば、あの鬼もこれ以上追いかけてくることはないだろう。
「そっか、それならいいけど」
仁科が抱えていた紙の束を保健室の中央にある、広い談話用テーブルに積み上げた。
「……あ、えっと、準備って?」
和都はあまり深く追求されないうちにと、保健室にきた理由を思い出して仁科に尋ねる。
テーブルの上には、プリントの山が三種類並んでいて、横にホチキスが置かれていた。
「うん。各クラスで配ってもらう用のアンケート、委員会の時に渡す予定のなんだけど、三枚で一セットだから留めてもらおうと思ってね」
「全クラス分ですか? ……これ、留める機械とかなかったですっけ?」
狛杜高校は全校生徒、各学年六クラスなので、七百人以上はいる。なかなかの分量だ。
「こないだ教頭がぶっ壊して、今修理中なんだよね。はい、ホチキス」
「……はい」
二人は談話用テーブルの端と端に座り、三種類あるプリントを一枚ずつ取っては右上の端をパチンと留めていく。ひたすらに三枚一組を取っては留める作業を繰り返した。
「……もう少し、人数呼ぶべきだったんじゃないですか?」
あまりの作業量に、和都は早々にうんざりしながら言う。
「他の奴らは塾だなんだで断られたの。お前くらいよー暇そうな奴」
「……そうですか」
言われてみれば、今年の保健委員はそのほとんどが塾に通っている。保健委員の活動でよくペアになっている岸田も、確か今年から受験に向けて塾に通うようになったと言っていた。
「まぁ、結構時間かかるし、遅くなっちゃうだろうから、親に心配されるとかなら早めに言ってね」
「大丈夫です。どうせ、どっちも残業で帰ってくるの夜中ですし」
「……あぁそう」
仕事の忙しい両親は、帰宅時間が基本的に遅い。ここ最近は、顔を合わせるのもほとんど朝だけになっているので、自分の帰宅時間が多少遅くなろうが、気にもしないだろう。
留め終わったプリントの数を数えていると、仁科が不意に口を開く。
「そういや、なんで川野先生に追っかけられてたの?」
パチン、パチンと、ホチキスの留まる音が響く合間の、雑談のようだ。
「……あー」
「言いたくないならいいよ」
返答に困っていると、仁科にそう言われてしまった。
和都はそのまま口をつぐみかけたが、ああでも、と始業式の日のことを思い出す。
この人は、あの時起きた出来事を、全部見ていた。
「……始業式の日の、みたいな?」
「え? ……マジで?」
さすがの仁科も手が止まり、困惑した顔を和都に向ける。
「一緒に神社巡りしませんか、だって。……行くわけないし」
「その、やたら人に好かれちゃうってのは、なんとも考えものだねぇ」
努めて普通を装って話したつもりだが、仁科にはなんとなく見透かされているような気がした。
「みんな勝手ですよね。おれのこと、たいして知らない癖に」
「……そうだね」
再び静かになった保健室に、パチン、パチンとホチキスの音が響く。
窓の外の空は、夕暮れが近づいているのを知らせるように、薄らオレンジ色が混ざり始めていた。
不意に視界の隅に何か見えた気がして、和都はそちらを見る。保健室の入り口辺りの空中で、白い半透明のモヤが渦を巻きながら犬の生首の形を作るところだった。
〔カズトー! 大丈夫だった?〕
頭の中に少年のような声が響く。元狛犬のハクの声だ。
モヤだった犬のお化けのその姿は、最初に出会った時よりだいぶ輪郭がハッキリしてきている。
(ハク! 呼んでも出てこないから心配しちゃったよ)
向こうは自分の心を読めると言っていたので、和都は声を出さずに心の中で返答した。
〔ごめんね。あの変な空間に入られちゃうと、ボク助けてあげられないんだよぉ~〕
(あー、そうだったの)
思った通り、自分がいた場所はこことは違う世界だったらしい。
──じゃあ、なんで出られたんだろう。
保健室の入り口を見つめたまま、ついぼーっと考え込んでしまった。
「相模」
「は、はい!」
仁科に声をかけられて、ハッと我に返る。そちらを見れば、仁科が不思議そうな顔で自分を見ていた。
「どうした? 手が止まってるぞ」
「……す、すみません」
和都は慌てて作業に戻る。すると今度は仁科が、和都の見つめていた辺りにじぃっと視線を向けていて。
「……で? その犬みたいなのは、何なの?」
声色はいつもと変わらない。
「えっ」
〔やっぱり! ニシナはボクが視えてるんだね!〕
「ほー、俺の名前も知ってるわけね。……なんなんだ、お前」
はしゃいで跳ねるハクを、仁科の目はしっかりと捉えていて、警戒するように小さく眉を顰めていた。
「うそぉ……」
〔ほらね! ほらね! ちゃんとニシナは強いチカラがあるでしょ?〕
ちゃんとハクが視えていて、声も聞こえているようだ。
倒れた時の一件で霊力を持っていることは確信していたが、改めて目の当たりにすると驚きを隠せない。
「……先生、こういうの、視える人だったんですか?」
「うん、まぁわりと?」
ハクを指差しながら尋ねると、本人から出てくるのはあっさり肯定する言葉。
半信半疑だった和都も、これでは納得せざるを得ない。
「まじか──」
「で、言いたくないなら聞かないけど?」
それはつまり、話したいことなら聞いてやる、という意味。
どこか楽しげにこちらを見る仁科に、和都は観念したように大きく息をつき、口を開く。
「……実は、その」
自分がこのハクと番であった狛犬の生まれ変わりで、幽霊が視えたり人間をやたら惹き寄せたりしてしまうこと、霊力が弱く悪霊などに当てられて倒れしまうこと、そして今は『鬼』に狙われていることまでを、ポツポツと正直に話した。
「──へぇ、お前が狛犬ねぇ」
「なんですか」
「いやぁ、なんか誰かに仕える感じじゃないなって」
「そうですか?」
校内では『姫』と揶揄されているせいだろうか。
「堂島と川野先生が『鬼』で、奴らに食われないよう、ハクを強くするには霊力が必要。んで、チカラを増やすためには俺と一緒にいる必要がある、と。……なるほどねぇ」
仁科は変わらずプリントの端をホチキスで留めながら、和都の話した内容を口に出して反芻していた。頭の中で整理しているのだろう。
「……ごめんなさい」
その様子を見ながら、和都は小さくそう言った。
「え、なんで?」
「倒れる理由、ずっと言えなくて……」
「気にするなよ。お前のせいじゃないんだし」
「そう、だけど……」
口籠もりながら、和都はぎゅっと唇を引き結ぶ。
仁科は自分が倒れる度に、なんでだろうな、と原因を一緒に考えようとしてくれていた人だ。ずっと騙していたみたいで、どうしても申し訳ない気持ちになってしまう。
「しかし、その『鬼』って、本当に『鬼』なのか?」
「えっ」
「いや、こっちに赴任してきてすぐ堂島と話をしてるけど、アイツは普通に俺の知ってる堂島だったからさ」
「でも、始業式とか、最初の授業の時とかも、目が赤くなってましたよ?」
「まじで?」
二人して首を傾げていると、ハクがあっと何かを思いついたような顔をした。
〔ドージマは『鬼』なんじゃなくって『鬼』が憑いてる状態なのかも?〕
「あぁ、なるほど」
「悪霊が憑いてる、みたいな感じ?」
〔そうそう! 鬼も悪霊も似たようなもんだからね。肉体や意識を操れるくらいチカラの強い悪霊は『鬼』とも呼ぶんだよ!〕
「確かに、なーんかぼんやりしてる感じの時があったし、その可能性は高そうだな」
プリントを留める作業を続けつつ、仁科は何か考えるような顔をする。旧い友人に『鬼』が憑いているというのだから、無理もないだろう。
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