創作BL)相模和都のカイキなる日々

黑野羊

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3)無限階段

03-01

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「保健室行ってくるねー」
 朝のホームルームが終わり、担任教師の後藤から『健康観察記録簿 二年三組』と書かれた黒い厚紙の表紙のファイルを受け取ると、二年三組の保健委員である和都は教室を出る。
「あっ相模、仁科んとこ?」
 足早に廊下を進んでいたら後ろから知っている声に呼び止められた。そちらを見れば、同じクラスの菅原がトイレから出てくるところで。
「そうー。なにー?」
「トイレのハンドソープ、一個なくなってるから貰ってきてくんない?」
「え、うそ。一昨日二個とも詰め替えしたよ?」
 トイレの手洗い用ハンドソープの詰め替えも基本的には保健委員の仕事なので、一昨日の放課後に詰め替え作業をした記憶がある。
「あ、違う違う、本体のほう。昨日誰かが一個ぶっ壊したんだって。今一個しかない」
「えぇ、なにそれ。わかった、もらってくる」
「よろしくー」
 菅原がそう言うのを背中で聞きながら、和都は足早に廊下の突き当たりまで向かう。
 それから東階段を一階まで降り、第二体育館への通用口を挟んだ反対側、そこに毎朝通う保健室がある。
「二年三組でーす。観察簿持ってきましたぁ」
「おー、ご苦労さん」
 ノックして保健室の引き戸を開けると、椅子に座ったままの仁科がこちらを見た。白衣にワイシャツと紺のネクタイ、少しくせっ毛が目立つ短い黒髪に、メガネをかけた養護教諭。
 普段から猫背なのでそうだが、今日はより気怠そうに見える。
「はい、どうぞ。……先生、なんか眠そうですね?」
「あー、今朝寝坊しちゃってねぇ」
 観察簿を受け取りながら欠伸する仁科に、和都は呆れたように笑う。
「夜更かしでもしたんですか?」
「ちげーわ。昨日は残業だったんだよ」
 新学期になって数週間が経ち、学校のある日はこうして毎朝顔を合わせているせいか、以前よりは何でもない話をするようになった。仁科が年齢のわりに砕けた物言いをするので、話しやすいというのもあるかもしれない。
 ──まぁ、仲良くやっておかないと、チカラも増えないだろうしね。
 新学期初日に現れた元狛犬のお化け『ハク』に言われ、自分を食べようとしている『鬼』に対抗すべく、和都は霊力とやらを増やす必要があった。
 この霊力チカラを増やすには、強い霊力を持つ波長の合う人間と一緒にいる必要がある。そして今のところ、この学校でその条件を満たしていたのは、この仁科だけだったのだ。
 幸か不幸か、保健委員として毎朝会うこととなり、仲良くしておくか、と不本意ながら考えている。
「あっそうだ。トイレ用ハンドソープの、本体ください」
 和都はここに来る前、菅原に言われたことを思い出した。
「え、詰め替えじゃなく?」
「はい、本体を」
「なんで」
 訝しむように言う仁科に、和都は申し訳なさそうに答える。
「誰かが一個壊しちゃった、らしいデス」
「ったく、しょーのない……」
 仁科が頭を掻きながら面倒くさそうに立ち上がる。ちゃんと立つと自分より二十センチ以上は高いので、少し見上げてしまう。ただこれは仁科が極めて大きいわけではなく、和都が高校生男子の平均身長よりも低いせいだ。
 手当のための消毒液や薬剤、書類の並ぶ棚の、下段の引き戸を開けると、普段は使わないストック品を収めているのが見えた。そこに積まれた小さな段ボールの中から新品のハンドソープを取り出すと、仁科は和都のそばまでやってきてこちらに渡す。
「ほれ、無駄遣い禁止だよ」
「はーい」
 ハンドソープを受け取ると、仁科の指先がそのまま顎下に当たって顔を上げさせられた。こちらを見下ろす仁科と、ちょうど目が合う。
「……なん、ですか」
「今日は顔色、悪くないね」
「まぁ、はい……」
 戸惑うような和都の返事に、まだ少し寝ぼけたような顔の仁科が、眼鏡の向こうの目を細めた。
 新学期初めの、体育の時のことを思い出してしまって、和都は少しだけ身構えてしまう。
 しかし、この男は忘れているのかとぼけているのか。
 ──なーんか、掴めない先生なんだよなぁ。
 悪い先生ではないのだが、普段から飄々としているので、どうにも接し方に迷ってしまう。
「ほれ、一限始まるぞ」
「あ、やべ。失礼しましたー」
 言われて時計を見ると、チャイムの鳴り出す三分前を指していて、和都は慌てて保健室を出て東階段を駆け上がっていった。





 保健委員の仕事には、週替わりの保健室清掃もある。
 今週は二年三組と四組が担当であるため、和都も放課後の清掃時間は保健室が担当だ。保健室の中央にある丸い談話用テーブルの周りを逆T字型の箒で掃きながら、憂鬱な顔でため息をつく。
 同じく当番として清掃に来ていた四組の保健委員である岸田が、チリトリに集めた埃をゴミ箱へ捨てながら不思議な顔をした。
「おぉ相模、どうしたよ」
「いやーこの後、日本史の補習受けなくちゃでさぁ」
「へぇ? 珍しい」


 三限の日本史の時間に返された、テストの答案を見て和都は絶句した。
 先週の授業で『一年生の時の総復習』という名目で行われたテストだったのだが、今までに見たことがない点数のうえ、放課後に補習対象となる数字が残酷にも書かれていたのである。
「えー、ウソでしょ?」
 和都は部活も塾も行ってはいないが、その分自宅にいて暇なので、勉強はそれなりにしているほうだった。それもあって、春日ほどとは言わないまでも成績はそれなりにいいし、日本史もそこそこ出来る自信があったので、補習はなかなかのショックである。
「和都、問題用紙は?」
「え。あ、うん……」
 春日に言われて問題用紙への書き込みを確認すると、そちらを見る限り正しい回答ができている。
 しかし、解答用紙の書かれている箇所は絶妙にズレていた。
「……書き写すの間違えたっぽいな」
「くそー、確認したのにぃ」
 脱力のまま和都は机に突っ伏す。思い返すも確実に確認はしたはずだ。しかしこうして結果が出ている以上はどうしようもない。
「てか、テストの補習って何すんの?」
「だいたいは復習のプリントやる感じ。そこでも間違ってる問題は、先生がちゃんと解説してくれる」
 和都の答案用紙を覗き込んでいた小坂が説明すると、和都は感心したように言う。
「おー、さすが補習常連の小坂」
「殴るぞお前……。おれ今回補習じゃねーかんな」
「それが一番ショックかも……」
「このヤロウ」
 小坂と言い合いつつも、和都はなんとなく補習になった理由に心当たりがあった。
 教科担当となった川野からは、堂島と同じような、鬼が持つ独特の嫌な気配が常にしていて、普段の授業中もテストの時間も、正直気が散って仕方がない。それともう一つ。
 ──あれは、『鬼のツノ』だよなぁ。
 川野の額の右端、こめかみの少し上から、まるで牛のようなツノが一本、スラリと伸びて視えるのだ。
 普通の人には視えていないらしい半透明のそれを生やした男が、黒板の前で揚々と話している姿を見て、落ち着くわけがない。
「最近、なーんかぼんやりしてること多いし、注意力散漫なんじゃないの?」
「べつに……そんなことないよ」
 菅原の言葉を否定はしたが、当たらずといえども遠からず。今回は成績に影響のないテストだったが、このままでは本当に成績に響いてきそうだ。
 ──……補習、無事に終わればいいんだけど。


「相模」
 三限の後の休み時間に思いを馳せていたら、声と共に目の前に仁科が立っていた。
「ぅわっ」
「手が止まってるぞ」
「すみません……」
 仁科に呆れたように言われて、和都は掃除を再開する。
「でも相模、一年の時はわりと日本史の成績よかったじゃん」
「だから凹んでんのー」
 岸田とは一年の時に同じクラスだった上、隣のクラスということもあって委員活動ではペアになることが多かった。そのため、ついつい雑談も多くなる。
「教科担当、川野先生?」
「そうー。岸田んとこは?」
「同じ同じ。授業はわかりやすいと思うけどな」
「わかんなかったんじゃなくて、ただの書き写しミスっ」
 和都はチリトリに集めた埃を、岸田の持っているゴミ箱に捨てながら言う。
「よりだっせぇじゃん」
「うっさいなぁ」
 軽口を言いつつ、岸田がゴミを大きなゴミ袋にまとめ始めていた。
 なんだかんだでそろそろ掃除の時間も終わりである。
「はいはい、雑談してんなよ。もう終わるぞ。岸田はゴミ捨てついでにそのまま帰っていいから。相模は道具片付けて」
「はーい」
「んじゃ、お先ー」
 そう言って岸田がゴミ袋を持って出ていった。中央階段と事務室の間に室内ゴミの集積場所があるので、そこまで持っていくのが岸田の仕事だ。和都は使った箒やチリトリなどをまとめ、保健室の奥にある掃除用具入れに入れていく。そんな和都を見ながら、仁科が少し考えた顔で口を開いた。
「……補習って、この後やんの?」
「あ、はい」
「どんくらいかかる?」
「んー、三十分くらいですかねぇ。何かあるんですか?」
 掃除用具入れの戸を閉めて仁科を見ると、腕を組んで少し困ったような顔をしていた。
「いや、次の委員会で使うプリントの準備、手伝ってもらおうかなーと思ってたんだけど」
「あぁ、別にいいですよ。終わったら保健室に来ますね」
 和都としては、霊力を増やせるチャンスなので、面倒ではあるが手伝いは積極的に受けたいところ。
「助かるわ。よろしくね」
「……はぁい」
 何も知らない仁科にそう言われ、ちょっとだけ罪悪感を持ちつつも、先生も助かるのだから問題はないはず、と自分に言い聞かせながら教室へ戻った。
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