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1)狛犬
01-02
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◇
狛杜高校の新学年になって最初の日は、朝のホームルームの後に始業式が行われ、その後各教室で委員会決めなどのホームルームで午前中が終わり、午後からは普通に授業がある。
朝のホームルームが終わり、全校生徒が整列できる広さのある第一体育館で、学年クラス別に並んだ中、始業式が始まった。
二年三組に属するため、ちょうど集団の真ん中辺りに整列して立っている和都は、こういう人の集まるイベントが少し苦手だ。
人の集まる場所──特に室内では、普通の人の目には視えない『いやなもの』も寄り集まってきやすい。そのため和都は集まってきた『いやなもの』たちに当てられて、具合が悪くなったり、心臓が痛くなる発作をよく起こしてしまうのだ。
──……去年よりは、まだ平気かな。
一年生の時はこうした行事の度に倒れており、『保健室の常連』という不名誉な呼ばれ方をし、遂に『保健室の利用回数年間一位』にまでなってしまった。
ただ年齢が上がるにつれて多少の耐性がついているらしく、一年生の後半は中学の時より酷い倒れ方をすることは減っている。
──成長して治ってくるものなら良いんだけど。
そう思いながら、和都は長ったらしい校長の話を聞き流していた。ところが、式次第が進み、新任教師の紹介に入った途端、辺りの空気がずんと重苦しいものになった。
正面のステージ上には、小豆色のジャージの男と、紺色のスーツに青いネクタイを結んだ男が並んでいる。
ジャージの男はハツラツとした雰囲気で背が高く、見た目通りの体育教師で『堂島遥岐』と名乗った。その隣の、紺色のスーツを着た生真面目そうな男は『川野昭彦』といい、日本史を担当するらしい。
もちろんこの日初めて見る二人だ。どこかで会った覚えもない。それなのに。
──……なんか、怖い。
確かに人間である。
周りの人たちにもちゃんと同じように見えているようなので、人間に間違いはない。
なのに二人を見ていると、とてつもなく『いやなもの』に遭遇した時のような、鳥肌が立つゾワゾワとした感じが両腕を這い上がり、心が妙にザワザワした。嫌な汗がじわじわと背中に浮いてくるのが分かる。
不意に、ステージの上に立つ堂島がこちらを見た。
立っている場所とステージはかなり離れているのに、確実に目があった、そう思った次の瞬間、一気に身体中の血が凍ったようになって、思わず顔を伏せる。
見てはいけない。
目を合わせてはいけないモノだ。
遠くてハッキリとはしないが、目の色が人間のものとは違う、赤い色をしていなかったか?
身体が小刻みに震え出して、心臓がドクドクと早鐘を打つ。
──心臓、痛い。
胸元の心臓の辺りを、両手でギュッと握るように押さえる。呼吸がだんだん苦しくなってきた。
と、後ろからツンツンと背中を指で突かれる感触がして、肩越しに後ろを見る。出席番号順に並んでいるので、すぐ後ろにいるのは菅原だ。
「相模、大丈夫か? 具合悪い?」
和都の様子がおかしいことに気付いて、心配そうに小声で声を掛けてきた。
「ごめ、ちょっと無理かも……」
心臓を凍りつせるような痛みが増していく。
息をすることすら辛くなってきた。
「おー、無理すんな、しゃがめしゃがめ」
菅原が背中を摩りながら、一緒にその場に屈んでくれた。
……そこまでの記憶はあるが、その後は視界が真っ暗になって、ぶっつりと切れている。
ハッとして気付いた時には保健室のベッドの上にいて、一年生の頃から見慣れた白い天井を見ながらチャイムの音を聞いていた。
視界を横にずらすと、ベッド一台をぐるりと囲むクリーム色のベッドカーテンが目に入る。ぼんやりとその薄い黄色を眺めていると、ふっと閉じていたところが少しだけ開き、見知った顔がこちらを覗き込んだ。
「あ、起きた? もうお昼休みだよ」
ピンストライプのワイシャツに紺のネクタイ、そこに白衣を着た眼鏡の青年──養護教諭の仁科弘孝が笑いながらベッドカーテンを半分だけ開ける。
「……うっそ、寝過ぎだぁ」
和都は頭をかきながら上半身をゆっくり起こす。
学ランの上着は身につけておらず、長袖シャツの襟元は一番上のボタンだけ外れていた。ベッドに運ばれた時に脱がされたのだろう。
「今日は一段と長かったねぇ。もしかして寝不足だった?」
「……二十二時には寝てました」
不貞腐れながら答えると、仁科があらまぁ、と呆れたような顔をした。
養護教諭の仁科には、イベントで倒れる度にこうして迷惑をかけている。多分今回も、体育館の真ん中でぶっ倒れたのを、衆目の中運んでくれたに違いない。
「よく寝るわりに、伸びない子だねぇ」
「怒りますよ?」
降ってきた軽口に、条件反射で返してしまう程度には、背の低さを気にしている。
言ってきた本人は一八〇センチ以上ある長身の人間なので、見上げながら怒りを露わにするしかできないのが悔しいところ。
仁科の言葉に頬を膨らませていると、保健室のドアがノックと共に開いて、春日と菅原が入ってきた。
「二年三組です。……和都、起きました?」
「ああ、ちょうど起きたとこだよ」
仁科が答えながら、半分だけ開けていたベッドカーテンを全開していく。
「おっ、顔色よくなってる。よかったぁ」
菅原が駆け寄ってきて、笑いながら和都の頭を撫でた。
「……ごめんね」
「気にすんな、気にすんな」
話をしている最中に意識が飛んだので、菅原には余計に心配を掛けたに違いない。
「ほれ、お迎えもきたし戻りなさい」
「はーい」
仁科が椅子に掛けていた和都の学ランを寄越してきたので、和都はベッドから降りると、受け取った学ランを羽織ってボタンを留め始める。
「あ、仁科先生。これ、遅くなってすみません」
「おぉ、やっときたかー。はいはい」
春日が思い出したように、『健康観察記録簿 二年三組』と書かれた黒い厚紙の表紙の記録簿を仁科に差し出した。
「なぁに、今年も春日クンが保健委員なの?」
仁科は観察簿を受け取りながら、自分と同じくらいの目線の春日を見る。
「いえ。二年三組の保健委員は、和都になったんでよろしくお願いします」
「おやまぁ」
「えっ! うそ?!」
和都には全く予想のしていなかった知らせだった。
というのも、狛杜高校の保健委員は他の委員に比べて仕事が多く、大変な不人気なのである。
「委員会決めまでに戻ってこないからだろ」
「うぅ……」
春日の呆れたような視線に見下ろされ、和都は何も言い返せなかった。
普段と同じ発作であれば、始業式後のホームルームまでに復帰できているはずだったが、今回ばかりは事情が違う。だがそれを説明することは、どうしたって難しい。
「担任の後藤先生が『普段からお世話になってるんだから、恩返しのつもりでやればいい』って言ってたよ」
「なーんか、俺が後藤先生に問題児を押し付けられた気がしなくもないんだけど」
菅原のフォローに仁科は頭を掻いたが、和都の方を改めて見て、笑いながら言う。
「ま、一年間よろしくね」
「……はい」
和都は不服そうな顔のまま、そう返事をした。
狛杜高校の新学年になって最初の日は、朝のホームルームの後に始業式が行われ、その後各教室で委員会決めなどのホームルームで午前中が終わり、午後からは普通に授業がある。
朝のホームルームが終わり、全校生徒が整列できる広さのある第一体育館で、学年クラス別に並んだ中、始業式が始まった。
二年三組に属するため、ちょうど集団の真ん中辺りに整列して立っている和都は、こういう人の集まるイベントが少し苦手だ。
人の集まる場所──特に室内では、普通の人の目には視えない『いやなもの』も寄り集まってきやすい。そのため和都は集まってきた『いやなもの』たちに当てられて、具合が悪くなったり、心臓が痛くなる発作をよく起こしてしまうのだ。
──……去年よりは、まだ平気かな。
一年生の時はこうした行事の度に倒れており、『保健室の常連』という不名誉な呼ばれ方をし、遂に『保健室の利用回数年間一位』にまでなってしまった。
ただ年齢が上がるにつれて多少の耐性がついているらしく、一年生の後半は中学の時より酷い倒れ方をすることは減っている。
──成長して治ってくるものなら良いんだけど。
そう思いながら、和都は長ったらしい校長の話を聞き流していた。ところが、式次第が進み、新任教師の紹介に入った途端、辺りの空気がずんと重苦しいものになった。
正面のステージ上には、小豆色のジャージの男と、紺色のスーツに青いネクタイを結んだ男が並んでいる。
ジャージの男はハツラツとした雰囲気で背が高く、見た目通りの体育教師で『堂島遥岐』と名乗った。その隣の、紺色のスーツを着た生真面目そうな男は『川野昭彦』といい、日本史を担当するらしい。
もちろんこの日初めて見る二人だ。どこかで会った覚えもない。それなのに。
──……なんか、怖い。
確かに人間である。
周りの人たちにもちゃんと同じように見えているようなので、人間に間違いはない。
なのに二人を見ていると、とてつもなく『いやなもの』に遭遇した時のような、鳥肌が立つゾワゾワとした感じが両腕を這い上がり、心が妙にザワザワした。嫌な汗がじわじわと背中に浮いてくるのが分かる。
不意に、ステージの上に立つ堂島がこちらを見た。
立っている場所とステージはかなり離れているのに、確実に目があった、そう思った次の瞬間、一気に身体中の血が凍ったようになって、思わず顔を伏せる。
見てはいけない。
目を合わせてはいけないモノだ。
遠くてハッキリとはしないが、目の色が人間のものとは違う、赤い色をしていなかったか?
身体が小刻みに震え出して、心臓がドクドクと早鐘を打つ。
──心臓、痛い。
胸元の心臓の辺りを、両手でギュッと握るように押さえる。呼吸がだんだん苦しくなってきた。
と、後ろからツンツンと背中を指で突かれる感触がして、肩越しに後ろを見る。出席番号順に並んでいるので、すぐ後ろにいるのは菅原だ。
「相模、大丈夫か? 具合悪い?」
和都の様子がおかしいことに気付いて、心配そうに小声で声を掛けてきた。
「ごめ、ちょっと無理かも……」
心臓を凍りつせるような痛みが増していく。
息をすることすら辛くなってきた。
「おー、無理すんな、しゃがめしゃがめ」
菅原が背中を摩りながら、一緒にその場に屈んでくれた。
……そこまでの記憶はあるが、その後は視界が真っ暗になって、ぶっつりと切れている。
ハッとして気付いた時には保健室のベッドの上にいて、一年生の頃から見慣れた白い天井を見ながらチャイムの音を聞いていた。
視界を横にずらすと、ベッド一台をぐるりと囲むクリーム色のベッドカーテンが目に入る。ぼんやりとその薄い黄色を眺めていると、ふっと閉じていたところが少しだけ開き、見知った顔がこちらを覗き込んだ。
「あ、起きた? もうお昼休みだよ」
ピンストライプのワイシャツに紺のネクタイ、そこに白衣を着た眼鏡の青年──養護教諭の仁科弘孝が笑いながらベッドカーテンを半分だけ開ける。
「……うっそ、寝過ぎだぁ」
和都は頭をかきながら上半身をゆっくり起こす。
学ランの上着は身につけておらず、長袖シャツの襟元は一番上のボタンだけ外れていた。ベッドに運ばれた時に脱がされたのだろう。
「今日は一段と長かったねぇ。もしかして寝不足だった?」
「……二十二時には寝てました」
不貞腐れながら答えると、仁科があらまぁ、と呆れたような顔をした。
養護教諭の仁科には、イベントで倒れる度にこうして迷惑をかけている。多分今回も、体育館の真ん中でぶっ倒れたのを、衆目の中運んでくれたに違いない。
「よく寝るわりに、伸びない子だねぇ」
「怒りますよ?」
降ってきた軽口に、条件反射で返してしまう程度には、背の低さを気にしている。
言ってきた本人は一八〇センチ以上ある長身の人間なので、見上げながら怒りを露わにするしかできないのが悔しいところ。
仁科の言葉に頬を膨らませていると、保健室のドアがノックと共に開いて、春日と菅原が入ってきた。
「二年三組です。……和都、起きました?」
「ああ、ちょうど起きたとこだよ」
仁科が答えながら、半分だけ開けていたベッドカーテンを全開していく。
「おっ、顔色よくなってる。よかったぁ」
菅原が駆け寄ってきて、笑いながら和都の頭を撫でた。
「……ごめんね」
「気にすんな、気にすんな」
話をしている最中に意識が飛んだので、菅原には余計に心配を掛けたに違いない。
「ほれ、お迎えもきたし戻りなさい」
「はーい」
仁科が椅子に掛けていた和都の学ランを寄越してきたので、和都はベッドから降りると、受け取った学ランを羽織ってボタンを留め始める。
「あ、仁科先生。これ、遅くなってすみません」
「おぉ、やっときたかー。はいはい」
春日が思い出したように、『健康観察記録簿 二年三組』と書かれた黒い厚紙の表紙の記録簿を仁科に差し出した。
「なぁに、今年も春日クンが保健委員なの?」
仁科は観察簿を受け取りながら、自分と同じくらいの目線の春日を見る。
「いえ。二年三組の保健委員は、和都になったんでよろしくお願いします」
「おやまぁ」
「えっ! うそ?!」
和都には全く予想のしていなかった知らせだった。
というのも、狛杜高校の保健委員は他の委員に比べて仕事が多く、大変な不人気なのである。
「委員会決めまでに戻ってこないからだろ」
「うぅ……」
春日の呆れたような視線に見下ろされ、和都は何も言い返せなかった。
普段と同じ発作であれば、始業式後のホームルームまでに復帰できているはずだったが、今回ばかりは事情が違う。だがそれを説明することは、どうしたって難しい。
「担任の後藤先生が『普段からお世話になってるんだから、恩返しのつもりでやればいい』って言ってたよ」
「なーんか、俺が後藤先生に問題児を押し付けられた気がしなくもないんだけど」
菅原のフォローに仁科は頭を掻いたが、和都の方を改めて見て、笑いながら言う。
「ま、一年間よろしくね」
「……はい」
和都は不服そうな顔のまま、そう返事をした。
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