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渇いた世界に潤いの雨を

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 この地区に雨が降らなくなったのは、戦争が始まってからだった。
 彩りのあったこの地区は戦争のせいで灰色の世界に激変した。見渡すかぎり瓦礫の山。道路脇に横たわる屍は手作り人形のように積み重ねられている。腐敗臭はすでに感じない。乾いた血溜まりを踏んだせいで足がべたつく。歩きづらい。

 そんなくそったれな世界を僕は歩いていた。

「そこの小汚い男や」

 小汚い男はいっぱいいるが、何となく自分が呼ばれた気がした。振り向くと横たわる老婆がいた。目が合った。正解だった。

「なんだい小汚いお姉さん」
「おっほっほ、儂をお姉さんと呼んでくれるとは、最後に良い男に出会えた」
「死ぬのか?」
「死ぬさ。どうせ助からんし死んだ方が楽じゃろう」
「ごもっともだ」

 言葉を交わしたのはそれだけ。再び歩きはじめると、背後で老婆の命が消えた気がした。

 すこし進むと道路の中心で女性が泣き叫んでいた。地面に膝をつけて天に祈りを捧げている。そして女性は悪魔に憑りつかれたかのような声で怨毒の言葉を空に放つ。死者の代弁者として憎しみを天に届ける。心地よい叫び声だった。この世に呪いが存在するならば、全人類はこの女性によって呪われてしまっただろうに。

 すると生存者は彼女に同調し、阿鼻叫喚の合唱がはじまった。戦火で炎上してる屑と瞋恚のほむらに焦がれる人々。賑やかしい地獄のパレードのようだ。憎しみの音楽に乗りながら僕はふたたび歩き出す。

 ようやく目的地へ到着し、その場にしゃがみ込んだ。

「やあ君に会いに来たんだ」
「……」

 下半身を喪失した屍。美しい金色の髪をした女性。彼女は戦争が始まる前に婚約したばかりの恋人だった。

「ようやく戦争が終わったんだってさ。ほら空を見てごらん、大きな飛行船が沢山飛んでいるだろう。あれに乗っているのは敵対国の兵士たちさ。ははっ笑顔で手を振ってら」
「……」
「君はこれが気になるのかい?」

 恋人にそう訊ねられた気がして、首にぶら下げているボタンを見せた。

「言葉をオブラートに包めば、これは雨を降らせる装置とでも言っておこうか。これを設置するのは大変だったんだ。おかげで僕と片腕と片目、それと大切な友人達が犠牲になってしまったよ」
「……」
「その話はまた今度聞かせてあげるさ。美味しいハーブティーとお菓子を用意してね。君の作るお菓子は絶品だから楽しみだ。想像したら喉が渇いてきてしまったよ」

 唇を数回舐める。パキッと唇が割れてしまった。

「…ここは渇ききっている。空気も、地面も、人も、屍も。まるで地獄の世界に迷い込んだみたいに潤いが足りていない。君もこんなに渇いてしまって見るに堪えない。美容が好きな君にとって渇きは嫌いだろう。僕も嫌いさ」

 ふう、一息ついて恋人の髪を撫でた。相変わらず触り心地が良い。

「被害を受けた我が国を、声をあげて擁護してくれる他国は多かった。金銭的支援以外にも様々な支援や補助を受けられるだろうね。五年たらずでこの地区も元どおりに復興するだろうよ。いいやきっと今まで以上に生活は潤うだろう。お金に余裕があれば好きなことをして生きていける」

 暗闇に照らされた一筋の光を感じた。この先の未来を想像すると自然と頬が緩む。
 雲の隙間から青空がみえた。まるで悲惨な僕らを明るい未来が出迎えてくれたような気がした。

 それを背景に飛んでいる飛行船に顔を向け、僕はようやく、笑うことができた。

「地獄に墜ちろクソ野郎」

 渇きを潤す美しい雨が降る。
 地獄のパレードに歓喜の声が湧き上がった。
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