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カフェ 前編

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 今日の私は一味違う。
 まず今日という日の始まりである夜中の零時、時計の短針がその時間を通過する頃には、既に私は就寝していたのだ。主に夜行性である私がその時間に寝ているなんて数ヶ月振りな気がする。
 だがそれだけで驚いてもらっちゃ困る。

「よし出来た! これ私史上渾身の力作だよ、凄く可愛いよ」

 私の妹である祈は額に滲み出る汗を拭い、爽快な笑顔をしているが鏡越しから見えた。祈の右手にはアイラインのペンシルを持ち、まじまじと私の顔を覗いてきては、やり切った感を表情に浮かばせていた。便秘状態の人がトイレに数分間籠もった結果、便秘が解消された時のスッキリした表情にどこか似ている……なんて言ったら怒られるだろうか。

「お姉ちゃん、ちょっとそのままで待ってて。この作品を写真に収めるから」

 私は今、祈の部屋で祈の服を借りて祈の化粧品で化粧してもらっていた。

「そんな人の顔を芸術作品みたいに言わないでよ」

「何言ってんの、メイクは一種の芸術作品だよ。人それぞれメイクのやり方は違うし、雑誌とかで可愛いメイクのやり方ってのが掲載されてるけど、必ずしもそのやり方で全員が可愛くてなれるなんてあり得ないからね。その人に合ったメイクが――」

「あぁもう分かった分かったから。私メイクとか分からないし、この先々で使うこともないだろうしさ……あはは」

「あら、今後メイクを使わないってどういうことかしら?」

「はうっ!?」

 恐る恐る声のする方へ顔を向けると、ドアの前で腕を組み、失笑している私の母がいた。こいつ就職しないつもりか、と言わんばかりの冷たい視線が私に突き刺さる。

「ママ……いつからそこに」

「ねぇ糸乃? 就職活動するには化粧をしなきゃいけないのよ? あなたそれを理解していますか?」

 あぁやばい…これキレとる。
 声のトーンがいつもと違うもん。これは私の力で倒せる相手じゃない、そう思った私は祈にSOSの視線を送る。それを察した祈はウインクで返してくれた。

「お母さんお母さん。就職活動するのに化粧しなきゃいけないって考えは古いんだよ。今は化粧が一般常識という考えを持つ企業も減ってきてるんだ。私の職場も化粧している人は半数もいないよ」

「そ……そーだそーだ!」

「へぇ」

 駄目だ祈、今の攻撃は弱すぎる。
 きっと今の攻撃は母のHPを三ミリ位しか削れていない。というか、さっきより睨みがキツくなっている気がするんだけど……。私はもう一度祈に視線を送ると、再びウインクで返してくれた。え、何このイケメン。

「それにお母さん、お姉ちゃんは私のお世話係として私に就職するんだから。安心してよお母さん」

「そ……そーだそーだ……んん!?」

 祈の言葉にピキッと空気が凍りつく。
 私はどこか聞き覚えのある言葉に記憶を辿る。

 ジジッ……カラカラカラ。

 ◇しのちゃんの回想◇ 

 それは小学生の頃だった。
『ねぇお姉ちゃんは将来何やるの? 私はね立派なレディーになるんだ! ママみたいな格好いいきゃりあうーまんになる』

『そっかぁ……じゃあ私は祈に養ってもらう! 私が祈の生活をサポートするから、祈が働いてお金を稼ぐの! そうすればどっちも幸せだね』

『お……お姉ちゃん天才やぁー』

 ◇しのちゃんの回想終◇

 あーうん。確かに昔『ねぇ祈。私が家事をやるから祈は働いてよ』なんて言った気がする。けど、それをここで言っちゃいますか。流石の母も表情筋がピクリとも動いてないよ。

「ちょっと糸乃、こっちに来なさい?」

「……ひぃ」

 その後一時間に渡って母に説教された私ですが、そうそう言い忘れてました。
 私は本日、久々に外出します。


 ◆

 私は今、東京都の湖袋に来ている。
 埼玉県心沢市から西武線湖袋線を使って四十分。
 都心の端くれである湖袋は、意外にも老若男女に人気の高い街だ。少し都会に出掛けたいけど、渋山とか原熟とかお洒落な街は行きづらい……そんな時、都会でありながら田舎民が気軽に行ける街がこの湖袋である。
 もし渋山や原熟が洋食と例えるならば、湖袋はいわゆる和食のようなものだ。和食はやはり母国を代表とする食べ物だからか、どこか安心感を与えてくれる。湖袋もまたそんな安心感を与えてくれる街、そこに私は舞い降りた。

 底上げしてあるおしゃれなブーツを履いて(妹の物)、蝶々の刺繍がしてある可愛らしい紺色のロングスカート(妹の物)を靡かせて、白色のロングコート(妹の物)を着て家を出た。

「ふんふふーん♪」

 服装は人に自信を持たせてくれる。服を変えただけで今日は良い日になりそうだと言う人の気持ちが分からなくもない。私はスキップしそうなる気持ちを落ち着かせて、姿勢を正し、足並みを乱す事なく堂々と歩いていく。もはや歩く姿は百合の花、今の私にはその言葉が一番似合うだろう。この服装にさらさらの長い黒髪をした私は、パッと見ればお嬢様だ。上品すぎて湖袋の街が霞んで見えてしまう。

「さてさて、どこにあるんだっけか」

 スマホの地図アプリを開いて目的の場所へ向かう。やはり休日という事もあり人混みが激しい。さすが都会と言うべきか、地元の心沢も人は多い方だが湖袋と比べてしまえばちっぽけなものだ。
 私はスマホを片手に賑わいで溢れるサンシャイン通りを歩く。サンシャイン通りとはサンシャインシティという六十階建ての建物に通じる道の事である。

 そこは映画館やラウンドツー、アニマイト、UNIQMAやデヌーズなど、求めているものが全て揃っているまさに夢のような繁華街だ。
 けれど私はそこに用があるわけじゃない。そのままサンシャイン通りを歩き、途中の交差点を右に曲がると人気が少ない道に差し掛かる。その近くにあるらしいのんだが……。

「あった!」

 そこは焦げ茶色をした木造の2階建てお店だ。
 少し古風な感じのお店で、外には四席のテラスがあり、珈琲を飲みながらパソコンを操作する人や本を読む人、楽しく談笑するカップルなどTheお洒落なcafeがそこにあった。

 お店の名前はクロエcafe。

 私は緊張によって強張った顔を緩めるため、数回深呼吸をしてから店内に入る。

「いらっしゃいませ」

 店内は焦げ茶色から明るい茶色の木板、そして天井に設置してある大きなシーリングファンがお店の独特な雰囲気を作り出していた。私が一番驚いたのは、店内の内装全てが濃い色から薄い色の茶色で塗られた木板で構成され、その絶妙なグラデーションに思わず感嘆の声が漏れる。こんなお洒落なお店、生まれて初めて入店したかもしれない。

 まてまて気を緩めちゃいかん、戦いはもう始まっているんだ。目先の戦いに集中しなければ殺られてしまう。よし、まずは注文だ。『私リア充ですけど何か?』と顔に書いてある美人店員に圧倒されるもんか。あくまで『いつも違うcafeに行ってますけど、今日はたまたまここに来ました』風を醸し出すんだ。余計な緊張は相手に悟られ、馬鹿にされる。堂々とするんだ神崎糸乃。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「はい。ホットコーヒーひとつ」

「サイズはどうなさいますか?」

 ふはっ、聞いてきたな『サイズはどうなさいますか』というコミ症を苦しめる言葉。英語の発音はコミ症にとって苦行の他ないが、甘い。私は家でしっかり英語の発音練習をしてきた。それにcafeについてしっかり調べて予習してきたんだ。

「ふっ、トールサイズで」

「はいLサイズですね、かしこまりました。ではお会計が――」

 ――んんんんんんっ。

 この店員なんて言った、え、えるってエルって何!? エルサイズって……アレかゲームとかでよく聞く死神が持つ鎌(それはデスサイズ cv井上喜久子風)。というか何でトールじゃないの!?
 まさかここはエス、エム、エル、システムのお店か。お洒落なcafeはてっきり、ショート、ミディアム、トールかと思ってたけど……もうっ、訳分かんないよ!!

「けほっ……失礼しました。では隣のカウンターで少々お待ちください」

「――ッ!!」

 この店員いま絶対笑ったろ。
 あのタイミングで咳き込む奴なんて、肺炎患ってる人以外あり得ないからな。どうせ『トールだってさ、Lをトールって言う奴初めて見たぜ』って仲間内で笑いのネタにされるに違いない。それに私の背後にある席で、イチャコラしながら座るカップルが私を見て笑ってるような気がしてならない(ただ談笑しているだけです cv井上喜久子風)。
 くぅぅぅ、落ち着け、落ち着くんだ糸乃。心を乱すな平常心平常心。大人の女性になるんだろわたしっ。

「ホットコーヒーのLサイズです。お待たせしました、ごゆっくりどうぞ」

 こいつ可愛い顔して性格悪いな。
 わざと触れてほしくない言葉を繰り返しやがった。もういい早く席に座ろう。
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