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愛憎の果て
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大和と会った後、美姫は智子に連絡した。
それから暫くして、智子が美姫を訪ねて来た。
「智子さん......急にお呼び立てして、すみません」
「いえ、大丈夫です。まだ、ごたごたはしてますけど......」
智子は以前よりもやつれたように見えた。秀一の失踪以来、コンサートのキャンセルの手配、スポンサーやCMを契約していた企業への詫び入れ、マスコミやファンからの問い合わせへの対応等で追われ、ろくに寝ていないことが想像ついた。
「来栖さんから、何か言づけでも頼まれたのですか」
智子は美姫からまだ何も事情を聞かされていないので、秀一に頼まれて智子が呼び出されたのだと思ったのだ。
美姫は無言で首を振った。
「ここには、私しかいません。
今日、ここに智子さんを呼び出したことを、秀一さんは知りません」
智子の瞳が訝しげに美姫を見つめる。
「どういう、ことですか?」
「智子さんが、お母様に私たちの居場所を教えたって聞きました」
その言葉に、智子が表情を固くする。
「智子さん......私のこと、恨んでますよね。
ピアニスト、来栖秀一を奪ってしまった私のことを......」
智子は全身を震わせた。
すぐに否定しないということは、肯定を意味していた。少なくとも、智子の場合は。
重い沈黙を破り、智子の声が静かに落とされる。
「ピアニスト、来栖秀一は私の憧れであり、夢であり、誇りでもありました。
私はデビュー時から彼を支え、彼のピアノの才能を信じ、愛していました。彼の為なら、私の生活など全て犠牲にしても構わないと、全てを捧げてきたつもりです。
世界一のピアニスト、来栖秀一を私の腕で広めていくんだ......そう思って、今までやってきました」
初めて明かされる智子の秀一への思いに、美姫は圧倒された。
智子はある意味、美姫と同じであり、対極でもある。
ふたりとも秀一を愛する気持ちに変わりはないが、美姫はひとりの男性として秀一自身を愛し、智子はピアニストとしての秀一を愛している。
「美姫さんのことは、来栖さんがデビューした時からずっと存じ上げていました。そして、いつしかふたりが恋人同士になっていたことも。
私はそれさえも、彼のピアニストとしての表現の幅に繋がるのであれば、たとえ許されない恋であっても構わないと思っていました......実際、それまで来栖さんはどちらかというと悲愴感漂う、人生の苦しみや悲しみ、孤独を表現するような曲調が得意でしたが、美姫さんと恋人になってからは愛情表現に深みが増しました。聴いている者の全身を熱く高鳴らせ、胸の中の蕾が花開いていくような昂りに、私は興奮を覚えました」
智子の言葉に、美姫はウィーンでの出来事を思い出した。
そういえば、秀一さんがセレナードを弾いた時にレナードも言っていた。秀一さんのピアノを奏でる曲調が変わったって。
「私は、今後、来栖秀一は日本を代表するピアニストだけでなく、世界の舞台へと羽ばたいていくと確信していました。
あなたが、来栖さんの仕事場に土足で踏み込むようになるまでは。あれから......少しずつ、何かが狂っていったんです」
その言葉からは、智子の静かな怒りが感じられた。
「美姫さん、あなたがファーストフードの店から逃亡してから来栖さんに電話するまで、長いと感じませんでしたか?
それは、来栖さんの様子を見ておかしいと思い、美姫さんが彼をつけるつもりだと知り、泳がせることにしたのです。そして願わくば、ふたりが別れてくれればいい、と......思っていました」
美姫は、心の中で小さく叫んだ。
あの異常な中で頭が回らなかったが、冷静に考えてみれば、美姫がいなくなってから優に1時間経ってからようやく智子が秀一に連絡したのは普通ではない。そこには智子のそんな思惑があったのだと知らされ、美姫はゾクリと背筋に悪寒が走った。
「ところが、私の思惑は大きく外れました。来栖さんは美姫さんと別れるどころか、週刊誌にふたりの記事があがることを知り、全てを私に丸投げし、失踪してしまったんです。
ふっ、ふふっ......私の夢が、希望が......見事に打ち砕かれました。ねぇ、美姫さん......私、この先どうやって生きていったらいいのか、分からないんです。
毎日ただ仕事に追われるだけ。それもなんのためにやっているのか分からない。
私の知っている来栖さん......来栖、秀一は......いつでも自信に溢れ、美しくて、魅力的で、指先が鍵盤に触れるだけで人々の琴線に触れるような調べを奏でる、素晴らしいピアニストなんです。彼は、これからもっともっと活躍するべき人なんです!
どうか、どうか......彼を、返して下さい。私の夢を、希望を、誇りを......奪わ、ないで......ッグ、ッグ」
智子はワァーッと咆哮を上げ、泣き崩れた。
美姫が智子が落ち着いた頃を見計らい、寄り添うとその頭に触れる。智子はビクッとさせた後、美姫を見上げた。
「智子さん......自分勝手だとは、重々承知しています。
でも、どうか......秀一さんを救ってもらえないでしょうか。お願い、します」
美姫は潤んだ瞳で智子に頼むと、深く頭を下げた。
「救う...... ですか?」
智子は、美姫の言葉にキョトンとした。
それから暫くして、智子が美姫を訪ねて来た。
「智子さん......急にお呼び立てして、すみません」
「いえ、大丈夫です。まだ、ごたごたはしてますけど......」
智子は以前よりもやつれたように見えた。秀一の失踪以来、コンサートのキャンセルの手配、スポンサーやCMを契約していた企業への詫び入れ、マスコミやファンからの問い合わせへの対応等で追われ、ろくに寝ていないことが想像ついた。
「来栖さんから、何か言づけでも頼まれたのですか」
智子は美姫からまだ何も事情を聞かされていないので、秀一に頼まれて智子が呼び出されたのだと思ったのだ。
美姫は無言で首を振った。
「ここには、私しかいません。
今日、ここに智子さんを呼び出したことを、秀一さんは知りません」
智子の瞳が訝しげに美姫を見つめる。
「どういう、ことですか?」
「智子さんが、お母様に私たちの居場所を教えたって聞きました」
その言葉に、智子が表情を固くする。
「智子さん......私のこと、恨んでますよね。
ピアニスト、来栖秀一を奪ってしまった私のことを......」
智子は全身を震わせた。
すぐに否定しないということは、肯定を意味していた。少なくとも、智子の場合は。
重い沈黙を破り、智子の声が静かに落とされる。
「ピアニスト、来栖秀一は私の憧れであり、夢であり、誇りでもありました。
私はデビュー時から彼を支え、彼のピアノの才能を信じ、愛していました。彼の為なら、私の生活など全て犠牲にしても構わないと、全てを捧げてきたつもりです。
世界一のピアニスト、来栖秀一を私の腕で広めていくんだ......そう思って、今までやってきました」
初めて明かされる智子の秀一への思いに、美姫は圧倒された。
智子はある意味、美姫と同じであり、対極でもある。
ふたりとも秀一を愛する気持ちに変わりはないが、美姫はひとりの男性として秀一自身を愛し、智子はピアニストとしての秀一を愛している。
「美姫さんのことは、来栖さんがデビューした時からずっと存じ上げていました。そして、いつしかふたりが恋人同士になっていたことも。
私はそれさえも、彼のピアニストとしての表現の幅に繋がるのであれば、たとえ許されない恋であっても構わないと思っていました......実際、それまで来栖さんはどちらかというと悲愴感漂う、人生の苦しみや悲しみ、孤独を表現するような曲調が得意でしたが、美姫さんと恋人になってからは愛情表現に深みが増しました。聴いている者の全身を熱く高鳴らせ、胸の中の蕾が花開いていくような昂りに、私は興奮を覚えました」
智子の言葉に、美姫はウィーンでの出来事を思い出した。
そういえば、秀一さんがセレナードを弾いた時にレナードも言っていた。秀一さんのピアノを奏でる曲調が変わったって。
「私は、今後、来栖秀一は日本を代表するピアニストだけでなく、世界の舞台へと羽ばたいていくと確信していました。
あなたが、来栖さんの仕事場に土足で踏み込むようになるまでは。あれから......少しずつ、何かが狂っていったんです」
その言葉からは、智子の静かな怒りが感じられた。
「美姫さん、あなたがファーストフードの店から逃亡してから来栖さんに電話するまで、長いと感じませんでしたか?
それは、来栖さんの様子を見ておかしいと思い、美姫さんが彼をつけるつもりだと知り、泳がせることにしたのです。そして願わくば、ふたりが別れてくれればいい、と......思っていました」
美姫は、心の中で小さく叫んだ。
あの異常な中で頭が回らなかったが、冷静に考えてみれば、美姫がいなくなってから優に1時間経ってからようやく智子が秀一に連絡したのは普通ではない。そこには智子のそんな思惑があったのだと知らされ、美姫はゾクリと背筋に悪寒が走った。
「ところが、私の思惑は大きく外れました。来栖さんは美姫さんと別れるどころか、週刊誌にふたりの記事があがることを知り、全てを私に丸投げし、失踪してしまったんです。
ふっ、ふふっ......私の夢が、希望が......見事に打ち砕かれました。ねぇ、美姫さん......私、この先どうやって生きていったらいいのか、分からないんです。
毎日ただ仕事に追われるだけ。それもなんのためにやっているのか分からない。
私の知っている来栖さん......来栖、秀一は......いつでも自信に溢れ、美しくて、魅力的で、指先が鍵盤に触れるだけで人々の琴線に触れるような調べを奏でる、素晴らしいピアニストなんです。彼は、これからもっともっと活躍するべき人なんです!
どうか、どうか......彼を、返して下さい。私の夢を、希望を、誇りを......奪わ、ないで......ッグ、ッグ」
智子はワァーッと咆哮を上げ、泣き崩れた。
美姫が智子が落ち着いた頃を見計らい、寄り添うとその頭に触れる。智子はビクッとさせた後、美姫を見上げた。
「智子さん......自分勝手だとは、重々承知しています。
でも、どうか......秀一さんを救ってもらえないでしょうか。お願い、します」
美姫は潤んだ瞳で智子に頼むと、深く頭を下げた。
「救う...... ですか?」
智子は、美姫の言葉にキョトンとした。
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