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叩扉(こうひ)

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 凛子と美姫は看護師に誠一郎を任せ、江沼の案内に従い、同じ階にある面談室へと通された。面談室も外観や病室同様、木の造りとなっていた。窓が大きく取られ、明るく、落ち着ける雰囲気を醸し出していた。

 凛子と美姫はソファに腰掛けたが、江沼は立ったままだった。

 彼の後ろにはホワイトボードがあり、その横には様々な人体のパーツの模型が入った透明のプラスチックケースが積んであった。江沼は天井から吊り下がっているスクリーンをホワイトボードの前に下ろし、テーブルに置いてあるパソコンの電源を入れた。

 暫くしてパソコンが立ち上がると、スクリーンにパソコンの画面が反映される。そこには、心臓がドクドクと脈うつ様子がリアルに映し出されていた。

 江沼はスクリーンの裏側に手を回して指示棒を取ると、スクリーン中の心臓に当て、説明を始めた。

「来栖さんの症状を説明する前に、軽く心臓の働きを説明しておきましょう。
 心臓は、全身に酸素や栄養素を含んだ血液を送り出すポンプの役割があります。さらに心臓は肺との交通によって血液内の酸素のやり取り、ガス交換を行います。

 正常な心臓の場合、左右の心房と左右の心室、弁膜によって以下のように2つの大きな流れとして機能しています。左心系の体循環は、各器官---手足、臓器、脳などですね......へ酸素を送り、代わりに二酸化炭素を受け取る循環です。右心系の肺循環は、肺で血液から二酸化炭素を取り出し、酸素を取り込む循環になります」

 江沼がマウスをクリックすると、血液が循環する様子が赤と青に分かれ、矢印で循環の流れを示していた。

「来栖さんの場合、以前発症した心筋梗塞が再発したのが原因で心不全を起こしたものと思われます。心筋梗塞は、心臓の筋肉に酸素や栄養を供給する冠動脈が、何らかの原因で狭窄、または閉塞する病気です。
 これを起こすと、心臓の筋肉は虚血または壊死えしの状態になり、正常なポンプ機能を失います。これにより心臓の全身に血液を送り出す力が低下し、心不全を起こします。

 今回来栖さんは、心筋の広い範囲に症状が起きたことにより一気に心不全の状態に陥ったため、重篤な症状を呈したといえます。また、血圧が高くなっている為、心臓が強い拍出を続け、心臓に負担がかかっている状態です」

 どうして、そんなことに......

「あの、病気になった原因は何なんですか」

 美姫は、あれほど元気に見えた父の病気が未だに信じられなかった。

 江沼は少し躊躇するような仕草を見せたものの、息を吐き出した後、話し始めた。

「もともと心臓が弱かったことに加え、様々なストレスが重なったことが恐らく原因ではないかと......」

 美姫の心臓が凍りついた。

「ストレス...ですか?」

 小さく尋ねた美姫に、江沼は眼鏡のレンズを繋ぐブリッジを軽く持ち上げた。

「えぇ。『キラーストレス』という言葉を、聞いたことがありますか」
「い、え...... 」

『キラー』という言葉から得体の知れない恐ろしさを感じ、美姫は身を竦めた。

「現在、脳科学や生理学など最先端の研究によって、ストレスが血管や脳を破壊したり、がんを悪化させたりするといった、人を病に陥れる詳細なメカニズムが明らかになってきています。
 脳の扁桃体が不安や恐怖を感じるとストレス反応が起こり、ストレスホルモンが分泌されたり自律神経が興奮したりします。そのために心拍数が増える、血圧が高くなるといった反応が起こります。これは、人間なら誰しも持っている、危険に対処するための通常の機能です。 
 ですが、多くのストレスが解消されないまま重なり続けていくと、それはキラーストレスともいうべき危険な状態に陥ります。血管が破壊され、脳卒中や心筋梗塞、大動脈破裂を引き起こす、原因となるのです。

 最新の研究では ストレス反応は、心臓の筋肉を流れる血液が減少し心不全を引き起こす、がんを悪化させる、体内に入った細菌を増やして血管の破壊を起こすなど、命に関わることがわかってきました」

『命に関わる』と聞き、凛子と美姫は同時に全身を固くした。

「来栖さんは以前、心筋梗塞で倒れています。心筋梗塞を起こした人は、健康な人に比べて何倍もキラーストレスによる耐性が低いということが研究の結果明らかになっています。
 彼の場合、重なったストレスが心臓の血圧を上昇させ、それとは逆に血液を送るポンプが圧迫され、心不全を起こしたのでしょう」
「そ、んな......」
「今すぐにでも、そのストレスの原因を取り除かねば、来栖さんの命の保証は出来ません。今回助かったのは、奇跡といえる状況です」
「ストレスを、取り除く......」

 美姫は顔を青ざめた。父のストレスの原因が自分にあることを、美姫は痛いほど理解していた。


「このままだと来栖さんは......
 2年以上生きられる可能性は、非常に低いと言わなければなりません」


 2、年......

 医師から余命を告げられた途端、美姫の頭は真っ白になった。

「それで、今後の内科治療と手術についての話ですが......」

 その後も医師の話は続いたが、美姫の耳には全く入ってこなかった。
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