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悍しい記憶 ー秀一回想ー

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 遺体安置所のある警察署は事故の起きた長野県にある為、兄様の運転する車に乗せてもらい、向かうことになった。

 しばらくして、兄様が学校に車で迎えに来た。

「秀一……大丈夫か?」

 そう尋ねた兄様の方が、よほど青ざめた顔をしていた。どうやら、動揺は演技ではなかったらしい。

 警察署に車で向かう中、終始二人とも無言だった。兄様は唇を噛み締め、時々苛々したように拳をギュッと固く握り締め、ハンドルに叩きつけた。

 私はそんな彼の様子をただ黙って観察していた。

 警察署に着き、兄様が受付に向かって歩いて行く。その足はおぼつかなく、震えていた。

「すみません……戸田、さんはいらっしゃいますか」

 その声を聞きつけて、戸田と思われる署員が立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。ひととおり挨拶をすると、戸田の案内に従ってついて行く。

 いったん外に出ると、警察署の裏側にある倉庫のような所へ案内された。そこには「霊安室」と書かれていた。

 重い扉を開くと、中からひんやりとした空気が漂ってきた。右手には白いコインロッカーのようなものが天井から床まで占めており、全て同じ大きさだった。ここに、遺体が安置されるのだろう。

 目の前には、3台のステンレス製のストレッチャーが並んでいた。いずれも躰全体に白い布が覆われ、顔には小さい白い布が被せられている。

 死んでしまえば、皆同じ扱い。女も男も、老いも若いも、金持ちも貧乏もない。同じストレッチャーの上に、『遺体』として並べられるだけ。

 生きている間思うままに権力を振りかざし、多くの人間を跪かせてきたあの人たちに対し、いい気味だと思った。

 兄様が恐る恐る遺体のひとつに近づくと、そっと顔を覆っていた布を持ち上げた。

「ッ……」

 側に立つ戸田が、声を掛ける。

「こちら、来栖嘉一さんで間違いないですか?」

 兄様は掠れた声で、呟いた。

「……はい、間違いありません」

 私も確認しようと近づくと、兄様に制された。

「秀一は……見ないほうが、いい」
「はい、兄様」

 素直に頷いた。

 続いて、兄様は自分の母親と荒木さんの身元確認も済ませた。荒木さんには身寄りがない為、兄様が身元引受人となることを申し出た。

「突然の事故死になりますので、これから検死を行います。検死の結果、事件性が疑われる場合は更に司法解剖をすることになります」

 戸田の説明に、兄様の肩が震えた。

「検死、ですか……」

 検死によって、事故死ではなく、荒木さんの殺害によるものだと露呈する可能性もある。思いもよらなかった事態に、兄様は激しく動揺していた。

 戸田は、両親の遺体が傷つけられるのではと兄様が恐れていると思ったようで、同情的な態度を見せた。

「まぁご遺族の方には辛いと思いますが……これも遺体を引き渡すのに必要な手続きですので、ご理解頂ければ幸いです。検死と言っても形式的なものですから、1、2時間もあれば終わりますので」
「わ、かりました……」
「では、その間に車にあった遺留品を確認して頂いてよろしいですか。
 こちらです」

 私たちが霊安室を出ると同時に、検視官と思われる人たちが中に入っていった。

 署内へと戻り、一室に案内され、車内に残されていたスーツケースや鞄の中身をひとつずつ確認した。だが、それだけで1時間もかかるはずなどなく、私たちはそれが終わると検死が終わるまで待たされることとなった。

 それは、まるで死刑宣告を待つ罪人を隣で見ているような心境だった。兄様の顔は真っ白で、唇は紫に震え、足がガクガクと大きく揺れていた。重々しい空気の中、私の視界に映る長机に置かれた遺留品が、私たちの罪を知っているような気がして、思わず目を逸らした。

 私は、このまま何事もなく検死が終わるよう、密かに祈った。

 長い沈黙が続き、兄様の精神疲労が限界に達そうという時、扉がガチャッと開き、戸田が入って来た。

「どうも、お待たせしました」

 彼の顔を見た途端、懐かしい友人に再会できたような安堵感を私も兄様も感じた。

「検死の結果、3人の死亡原因は運転手の不注意による転落事故によるものと判断されました。事故の起こったあの崖は今までにも転落事故が多く、地元住民からガードレールの設置をと申し立てがあったばかりでして。運転手からはアルコールやドラッグを摂取した形跡はありませんでしたし、後部座席のふたりには転落した際の損傷以外は見当たりませんでした。
 司法解剖する必要はないですので、これから遺体を搬送することになりますが、葬儀社はお決まりですか」
「えぇ。うちは代々お世話になっているところがありますので……」 

 深く息を吐き出した兄様に、戸田は3人分の死亡診断書と死体検案書を渡した。

「分かりました。
 この度は、ご両親を一度に亡くされて、本当に不幸なことでした……どうぞ、気をしっかりお持ち下さい」
「お気遣い、ありがとうございます」

 ふたりとも、両親を亡くしたというのに、涙ひとつ流すことはなかった。
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