205 / 1,014
一抹の不安
2
しおりを挟む
食事が終わると、世界で最も美しい宮殿の一つに数えられる、ハプスブルク家の夏の離宮であったシェーンブルン宮殿へと向かった。落ち着いた深みのある黄色と鮮やかな黄色の2トーンで彩られた壁のウィーンロココ風の建築は、華やかで荘厳な雰囲気を醸し出し、ハプスブルク家の栄華を今に伝えていた。
『素敵な色合いの宮殿ですね。』
『あの壁はテレジアン・イエローと呼ばれていますが、マリア・テレジアが好んでいた色ではなく、夫のフランツが金で装飾する予定だったのを財政を懸念したテレジアが金色に近い色で塗るように指示したのだとか…』
あ、マリア・テレジアってマリー・アントワネットのお母様で『女帝』と呼ばれた人だよね……
母親と違い浪費家だったマリー・アントワネットは国民の怒りを買い、それはやがてフランス革命へと導き、自らの運命をも狂わせた。
もし、アントワネットがテレジアのように堅実派だったなら、歴史も変わっていたのかな……
けれど…...幼くして誰とも分からぬ人の元へと嫁ぎ、異国の地で孤独の中、慣れない言語と慣習に戸惑い、頼りにしたい肝心な夫は自分に愛情どころか関心すらも持ってくれない。そんなやるせない気持ちを浪費という形でしか発散することが出来なかった彼女を全面的に批判することは、美姫には出来なかった。
さすが世界的な観光地だけあって、午前中の早い時間にも関わらず、既に入口付近には大勢の人で賑わっていた。自動券売機で秀一がチケットを3人分購入し、渡した。
『ザックは今日は一応ツアーガイドなので……』
『えっ…僕、ツアーガイド!?じゃあさ、ランチもシューイチの奢りってことで、よろしくね♪』
ザックはイェーイ!と言いながら両腕を上げた。ピアノを弾いている時の大人びた彼の表情からは想像出来ない、少年のような屈託のない笑顔だった。
3人は114室あるうちの40室を見て回ることが出来るインペリアルツアーに参加することにした。ツアーと言っても、オーディオガイドを受け取り、自分達で回るセルフスタイルだ。日本語のオーディオガイドがあるのがとても有り難い。宮殿内は何度感嘆の溜息を漏らしたか分からないほど絢爛豪華で、ハプスブルクの栄華を肌で触れた気がした。
真っ直ぐに伸びるどこまでも続く長い廊下。真っ白な壁には金の装飾がほどこされ、等間隔に並んだ豪華な金の燭台。天井はたくさんの天使達が舞っている天井画となっており、それが壁際の窓硝子に映り込んでいた。
至る所にある金の装飾は、膨大な数の肖像画の額縁や置き時計、衝立、バスルームの蛇口や栓までに至り、眩い輝きを放っていた。各部屋ごとにテーマがあって、中国風や南国風の部屋など、それに沿った装飾が工夫されていて、贅を尽くしてあった。
『あっ、ミキミキー!!ここ、知ってる?鏡の間!!』
ザックがおいでおいでをしながら、後ろを歩く美姫と秀一に合図をした。
『ここさ、当時6歳だったモーツァルトがこの宮殿に招待されて、マリア・テレジアやマリー・アントワネットらの前で演奏したんだって。この時、宮殿内で転んだモーツァルトを助け起こした当時7歳のマリー・アントワネットに、モーツァルトが「僕と結婚して」ってプロポーズしたって話が残ってるらしいよ。まぁ嘘かホントか分かんないけどね』
その話なら聞いたことあるけど、それがここだったんだ……
モーツァルトやマリア・テレジア、マリーアントワネットがいた場所に今、自分が立っていることがとても不思議な気がした。
『幼い子供は『好き』と思うと、すぐ結婚に結びつくところが無邪気で可愛いですね』
秀一の言葉に、美姫は少し驚きを感じた。秀一が子供のことをそんな風に言うのを聞くのは、初めてだった。不思議に思いながら秀一を見上げると、彼は真っ直ぐに美姫を見つめた目を細め、口の端を上げた。
『ねぇ、美姫?貴女も...幼い頃は無邪気で可愛かったですね……』
『!!!』
途端に美姫は、幼い頃…...自分がまだ秀一のことを『しゅーちゃん』と呼んでいた頃、真似事の結婚式を彼と挙げたことを思い出した。
カフェカーテンのレースをベールに見立て、覚束ない足取りでヒールを履いて歩き、お気に入りのぬいぐるみの参列者に見守られて、大好きな『しゅーちゃん』から初めてもらった唇への口づけとともに交わされた愛の誓い。
それで、秀一さん……
美姫の頬がだんだんと熱を持ち始める。
秀一さんの言っていたのは、一般的な子供に対してじゃなくて、幼い頃の私に対しての言葉、だったんだ。
秀一さんは今でもアルミホイルで作った指輪とか結婚証明書とか持ってるのかな……おままごとみたいなものだったし、きっと…もう、捨てちゃったよね。それでも……秀一さんの記憶の引き出しにあの出来事が存在していることが嬉しい……
だが、美姫は急に現実へと引き戻されてしまう。
幼い私は、純粋だった。好きな人、『しゅーちゃん』といつか結ばれて結婚するんだと信じて疑わなかった。大人になった今、その純粋さが切ないほど、眩しい。
あの頃にはもう、戻れない……私達の未来は……どこへ続いているのだろう……
ゴールの見えない迷路を歩いているような気持ちになり、美姫は心細い思いで少し先を歩く秀一を見つめた。
『素敵な色合いの宮殿ですね。』
『あの壁はテレジアン・イエローと呼ばれていますが、マリア・テレジアが好んでいた色ではなく、夫のフランツが金で装飾する予定だったのを財政を懸念したテレジアが金色に近い色で塗るように指示したのだとか…』
あ、マリア・テレジアってマリー・アントワネットのお母様で『女帝』と呼ばれた人だよね……
母親と違い浪費家だったマリー・アントワネットは国民の怒りを買い、それはやがてフランス革命へと導き、自らの運命をも狂わせた。
もし、アントワネットがテレジアのように堅実派だったなら、歴史も変わっていたのかな……
けれど…...幼くして誰とも分からぬ人の元へと嫁ぎ、異国の地で孤独の中、慣れない言語と慣習に戸惑い、頼りにしたい肝心な夫は自分に愛情どころか関心すらも持ってくれない。そんなやるせない気持ちを浪費という形でしか発散することが出来なかった彼女を全面的に批判することは、美姫には出来なかった。
さすが世界的な観光地だけあって、午前中の早い時間にも関わらず、既に入口付近には大勢の人で賑わっていた。自動券売機で秀一がチケットを3人分購入し、渡した。
『ザックは今日は一応ツアーガイドなので……』
『えっ…僕、ツアーガイド!?じゃあさ、ランチもシューイチの奢りってことで、よろしくね♪』
ザックはイェーイ!と言いながら両腕を上げた。ピアノを弾いている時の大人びた彼の表情からは想像出来ない、少年のような屈託のない笑顔だった。
3人は114室あるうちの40室を見て回ることが出来るインペリアルツアーに参加することにした。ツアーと言っても、オーディオガイドを受け取り、自分達で回るセルフスタイルだ。日本語のオーディオガイドがあるのがとても有り難い。宮殿内は何度感嘆の溜息を漏らしたか分からないほど絢爛豪華で、ハプスブルクの栄華を肌で触れた気がした。
真っ直ぐに伸びるどこまでも続く長い廊下。真っ白な壁には金の装飾がほどこされ、等間隔に並んだ豪華な金の燭台。天井はたくさんの天使達が舞っている天井画となっており、それが壁際の窓硝子に映り込んでいた。
至る所にある金の装飾は、膨大な数の肖像画の額縁や置き時計、衝立、バスルームの蛇口や栓までに至り、眩い輝きを放っていた。各部屋ごとにテーマがあって、中国風や南国風の部屋など、それに沿った装飾が工夫されていて、贅を尽くしてあった。
『あっ、ミキミキー!!ここ、知ってる?鏡の間!!』
ザックがおいでおいでをしながら、後ろを歩く美姫と秀一に合図をした。
『ここさ、当時6歳だったモーツァルトがこの宮殿に招待されて、マリア・テレジアやマリー・アントワネットらの前で演奏したんだって。この時、宮殿内で転んだモーツァルトを助け起こした当時7歳のマリー・アントワネットに、モーツァルトが「僕と結婚して」ってプロポーズしたって話が残ってるらしいよ。まぁ嘘かホントか分かんないけどね』
その話なら聞いたことあるけど、それがここだったんだ……
モーツァルトやマリア・テレジア、マリーアントワネットがいた場所に今、自分が立っていることがとても不思議な気がした。
『幼い子供は『好き』と思うと、すぐ結婚に結びつくところが無邪気で可愛いですね』
秀一の言葉に、美姫は少し驚きを感じた。秀一が子供のことをそんな風に言うのを聞くのは、初めてだった。不思議に思いながら秀一を見上げると、彼は真っ直ぐに美姫を見つめた目を細め、口の端を上げた。
『ねぇ、美姫?貴女も...幼い頃は無邪気で可愛かったですね……』
『!!!』
途端に美姫は、幼い頃…...自分がまだ秀一のことを『しゅーちゃん』と呼んでいた頃、真似事の結婚式を彼と挙げたことを思い出した。
カフェカーテンのレースをベールに見立て、覚束ない足取りでヒールを履いて歩き、お気に入りのぬいぐるみの参列者に見守られて、大好きな『しゅーちゃん』から初めてもらった唇への口づけとともに交わされた愛の誓い。
それで、秀一さん……
美姫の頬がだんだんと熱を持ち始める。
秀一さんの言っていたのは、一般的な子供に対してじゃなくて、幼い頃の私に対しての言葉、だったんだ。
秀一さんは今でもアルミホイルで作った指輪とか結婚証明書とか持ってるのかな……おままごとみたいなものだったし、きっと…もう、捨てちゃったよね。それでも……秀一さんの記憶の引き出しにあの出来事が存在していることが嬉しい……
だが、美姫は急に現実へと引き戻されてしまう。
幼い私は、純粋だった。好きな人、『しゅーちゃん』といつか結ばれて結婚するんだと信じて疑わなかった。大人になった今、その純粋さが切ないほど、眩しい。
あの頃にはもう、戻れない……私達の未来は……どこへ続いているのだろう……
ゴールの見えない迷路を歩いているような気持ちになり、美姫は心細い思いで少し先を歩く秀一を見つめた。
0
お気に入りに追加
345
あなたにおすすめの小説


義妹のミルク
笹椰かな
恋愛
※男性向けの内容です。女性が読むと不快になる可能性がありますのでご注意ください。
母乳フェチの男が義妹のミルクを飲むだけの話。
普段から母乳が出て、さらには性的に興奮すると母乳を噴き出す女の子がヒロインです。
本番はありません。両片想い設定です。


甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる