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71.離れ離れの生活
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サラが小さくステファンに呼びかけた。
「ザルツブルク音楽祭に……招待されていたのですね」
ホテルの部屋へ戻り、互いに寄りかかるような姿勢でカウチに身を沈めていた。シフォンドレスが皺になってしまうことすら、気遣う余裕などなかった。
ステファンはサラの髪を撫でてから、少しの間を空けて答える。
「……えぇ」
「いつ、から知ってたんですか?」
「去年の9月頃に正式なオファーが来ました」
私たちが、恋人になる前から……
愕然とするサラに、ステファンも苦しそうに眉を寄せた。
「実は、オファーを受けてから迷いました。私がサラに告白し、恋人となってすぐにザルツブルクに行くことになれば、サラに辛い思いをさせてしまう。ですから、サラに告白するのは音楽祭が終わってからにするべきかと。
けれど、貴女の誕生日を共に過ごしているうちに想いが高まり、どうしても貴女を今すぐに私のものにしたくなりました。
正直言うと、私がいない間に誰か他の男性に心惹かれないかと焦っていたという気持ちもありました。恋人となって貴女の心を引き留めておけば、たとえ遠距離になっても不安になることはないと。
私は、狡い男ですね」
ステファンはフッと自嘲するような笑みを見せた。
私のせいで辞退するか迷っているのに、私がこんなことを聞くべきではないのかもしれない。
そう思いながらも、サラはカラカラに乾いた喉から言葉を絞り出した。
「ザルツブルク音楽祭には……参加しないのですか」
重い沈黙の後、ステファンがサラの髪を撫でながら小さく声を落とす。
「正直言うと……迷っています。
昨日までは、音楽祭は辞退しようと考え、その意向をラインハルトに伝えるつもりでした。ですが、それがあれ程彼の逆鱗に触れることになるとは予想していませんでしたので、動揺し、迷いが生じ始めています」
『なぜ、辞退しようと考えたのですか?』
そう尋ねようとして、サラは口を閉じた。それが、自分の為だと言われることで、ステファンの足枷となっていることを知りたくなかった。
「あの……ラインハルトは、なんと仰ったのですか」
「……もし、ザルツブルク音楽祭の出演を私が断るのであれば、破門すると」
破門……
あまりにも強い言葉に、サラは衝撃を受けた。
ザルツブルク音楽祭がどれだけピアニストにとって大きな意味のあるものか、正直サラにはよく分からない。けれど、ラインハルトに師弟を解消すると言わしめるほどの大きなものなのだろうということが、伝わってきた。
「もし、この音楽祭に参加するのであれば、私はオーストリアにウィーン滞在含めて半年ほどは滞在することになるでしょう」
そう言った後についたステファンの深い溜息が、二人の間に流れる空気をより一層重苦しいものにする。
「そ、んなに……」
「ソロのみであれば、英国で準備することは可能ですが……オケとの演奏がありますので、それを考えるとやはり、それぐらいは必要になるかと思います」
半、年……
ザルツブルク音楽祭は夏に開催される。半年前といえば、来月にはもうここに戻ってくることになる。
サラは目の前が真っ暗になるのを感じた。3年間ステファンを思って寂しく過ごした日々が蘇る。ようやく想いが実り、恋人となったというのに、半年もの間離れてしまうのかと思うと、あの時以上の辛さが込み上げてきた。
けれど、ステファンが音楽祭への出演を断ればラインハルトに破門されてしまうのだ。
「ステファン。どうか、ザルツブルク音楽祭に出てください」
「サラ。貴女は心からそう思っていますか?」
心から……そう言われてしまうと、素直には頷けない。
ステファンに嘘を吐いたところで、すぐに彼に見抜かれてしまうこともわかっている。
ステファンがサラを強く抱き締めた。
「……あんなことがあった後で、やはり貴女と半年も離れて暮らせまん。もしサラに何かあった時に私が傍にいなかったら、私は自分を許せないでしょう」
サラはビクッと躰を震わせた。
ハリーのレイプ未遂は、サラが思っていたよりも深くサラの心を傷つけていた。知らない男性に声を掛けられると躰が竦み、震えてしまう。あの時の恐怖が蘇ってしまう。
本当は、ステファンに1日中だって一緒にいてほしいし、安心させてもらいたい。
それでも、ステファンを送り出さなくては。
彼が、世界で羽ばたくために。
「貴方は世界中の人々に愛されるピアニストです。私の為に、大きな仕事を投げ打たないでください。
もちろん寂しいです。寂しくて、寂しくて……仕方ありません。ステファンがいっそ、世界的なピアニストじゃなかったら良かったのにと思ってしまうほど。
どうか……どうか、音楽祭が終わったらすぐに帰ってきてください。私を安心させてください」
サラが恐れているのは、半年間ステファンがザルツブルクに行ってしまうこともそうだが、これをきっかけにステファンが英国に戻ってこないのではないかということだった。
ステファンは、どうするべきか答えを出せずにいた。
「ザルツブルク音楽祭に……招待されていたのですね」
ホテルの部屋へ戻り、互いに寄りかかるような姿勢でカウチに身を沈めていた。シフォンドレスが皺になってしまうことすら、気遣う余裕などなかった。
ステファンはサラの髪を撫でてから、少しの間を空けて答える。
「……えぇ」
「いつ、から知ってたんですか?」
「去年の9月頃に正式なオファーが来ました」
私たちが、恋人になる前から……
愕然とするサラに、ステファンも苦しそうに眉を寄せた。
「実は、オファーを受けてから迷いました。私がサラに告白し、恋人となってすぐにザルツブルクに行くことになれば、サラに辛い思いをさせてしまう。ですから、サラに告白するのは音楽祭が終わってからにするべきかと。
けれど、貴女の誕生日を共に過ごしているうちに想いが高まり、どうしても貴女を今すぐに私のものにしたくなりました。
正直言うと、私がいない間に誰か他の男性に心惹かれないかと焦っていたという気持ちもありました。恋人となって貴女の心を引き留めておけば、たとえ遠距離になっても不安になることはないと。
私は、狡い男ですね」
ステファンはフッと自嘲するような笑みを見せた。
私のせいで辞退するか迷っているのに、私がこんなことを聞くべきではないのかもしれない。
そう思いながらも、サラはカラカラに乾いた喉から言葉を絞り出した。
「ザルツブルク音楽祭には……参加しないのですか」
重い沈黙の後、ステファンがサラの髪を撫でながら小さく声を落とす。
「正直言うと……迷っています。
昨日までは、音楽祭は辞退しようと考え、その意向をラインハルトに伝えるつもりでした。ですが、それがあれ程彼の逆鱗に触れることになるとは予想していませんでしたので、動揺し、迷いが生じ始めています」
『なぜ、辞退しようと考えたのですか?』
そう尋ねようとして、サラは口を閉じた。それが、自分の為だと言われることで、ステファンの足枷となっていることを知りたくなかった。
「あの……ラインハルトは、なんと仰ったのですか」
「……もし、ザルツブルク音楽祭の出演を私が断るのであれば、破門すると」
破門……
あまりにも強い言葉に、サラは衝撃を受けた。
ザルツブルク音楽祭がどれだけピアニストにとって大きな意味のあるものか、正直サラにはよく分からない。けれど、ラインハルトに師弟を解消すると言わしめるほどの大きなものなのだろうということが、伝わってきた。
「もし、この音楽祭に参加するのであれば、私はオーストリアにウィーン滞在含めて半年ほどは滞在することになるでしょう」
そう言った後についたステファンの深い溜息が、二人の間に流れる空気をより一層重苦しいものにする。
「そ、んなに……」
「ソロのみであれば、英国で準備することは可能ですが……オケとの演奏がありますので、それを考えるとやはり、それぐらいは必要になるかと思います」
半、年……
ザルツブルク音楽祭は夏に開催される。半年前といえば、来月にはもうここに戻ってくることになる。
サラは目の前が真っ暗になるのを感じた。3年間ステファンを思って寂しく過ごした日々が蘇る。ようやく想いが実り、恋人となったというのに、半年もの間離れてしまうのかと思うと、あの時以上の辛さが込み上げてきた。
けれど、ステファンが音楽祭への出演を断ればラインハルトに破門されてしまうのだ。
「ステファン。どうか、ザルツブルク音楽祭に出てください」
「サラ。貴女は心からそう思っていますか?」
心から……そう言われてしまうと、素直には頷けない。
ステファンに嘘を吐いたところで、すぐに彼に見抜かれてしまうこともわかっている。
ステファンがサラを強く抱き締めた。
「……あんなことがあった後で、やはり貴女と半年も離れて暮らせまん。もしサラに何かあった時に私が傍にいなかったら、私は自分を許せないでしょう」
サラはビクッと躰を震わせた。
ハリーのレイプ未遂は、サラが思っていたよりも深くサラの心を傷つけていた。知らない男性に声を掛けられると躰が竦み、震えてしまう。あの時の恐怖が蘇ってしまう。
本当は、ステファンに1日中だって一緒にいてほしいし、安心させてもらいたい。
それでも、ステファンを送り出さなくては。
彼が、世界で羽ばたくために。
「貴方は世界中の人々に愛されるピアニストです。私の為に、大きな仕事を投げ打たないでください。
もちろん寂しいです。寂しくて、寂しくて……仕方ありません。ステファンがいっそ、世界的なピアニストじゃなかったら良かったのにと思ってしまうほど。
どうか……どうか、音楽祭が終わったらすぐに帰ってきてください。私を安心させてください」
サラが恐れているのは、半年間ステファンがザルツブルクに行ってしまうこともそうだが、これをきっかけにステファンが英国に戻ってこないのではないかということだった。
ステファンは、どうするべきか答えを出せずにいた。
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