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31.無邪気だった頃の思い出
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食事が終わると、世界で最も美しい宮殿の一つに数えられる、ハプスブルク家の夏の離宮であったシェーンブルン宮殿へと向かった。落ち着いた深みのある黄色と鮮やかな黄色の2トーンで彩られた壁のウィーンロココ風の建築は、華やかで荘厳な雰囲気を醸し出し、ハプスブルク家の栄華を今に伝えていた。
「素敵な色合いの宮殿ですね」
「あの壁はテレジアン・イエローと呼ばれていますが、マリア・テレジアが好んでいた色ではなく、夫のフランツが金で装飾する予定だったのを財政を懸念したテレジアが金色に近い色で塗るように指示したのだとか」
マリア・テレジアってマリー・アントワネットのお母様で『女帝』と呼ばれた人ですわよね。
母親と違い浪費家だったマリー・アントワネットは国民の怒りを買い、それはやがてフランス革命へと導き、自らの運命をも狂わせた。
もし、アントワネットがテレジアのように堅実派だったなら、歴史も変わっていたのでしょうか……
けれど……幼くして誰とも分からぬ人の元へと嫁ぎ、異国の地で孤独の中、慣れない言語と慣習に戸惑い、頼りにしたい肝心な夫は自分に愛情どころか関心すらも持ってくれない。そんなやるせない気持ちを浪費という形でしか発散することが出来なかった彼女を全面的に批判することは、サラには出来なかった。
さすが世界的な観光地だけあって、午前中の早い時間にも関わらず、既に入口付近は大勢の人で賑わっていた。自動券売機でステファンがチケットを3人分購入し、渡した。
「ベンジーは、今日は一応ツアーガイドなので……」
「えっ、僕がツアーガイド!? じゃあさ、ランチもステファンの奢りってことで、よろしくね♪」
ベンジャミンは「イェーイ!」と言いながら両腕を上げた。ピアノを弾いている時の大人びた彼の表情からは想像出来ない、少年のような屈託のない笑顔だった。
3人は114室あるうちの40室を見て回ることが出来るインペリアルツアーに参加することにした。ツアーと言っても、オーディオガイドを受け取り、自分達で回るセルフスタイルだ。宮殿内は何度感嘆の溜息を漏らしたか分からないほど絢爛豪華で、ハプスブルク家の栄華に肌で触れた気がした。
真っ直ぐに伸びるどこまでも続く長い廊下。真っ白な壁には金の装飾がほどこされ、等間隔に並んだ豪華な金の燭台。天井はたくさんの天使達が舞っている天井画となっており、それが壁際の窓硝子に映り込んでいた。
至る所にある金の装飾は、膨大な数の肖像画の額縁や置き時計、衝立、バスルームの蛇口や栓までに至り、眩い輝きを放っていた。各部屋ごとにテーマがあって、中国風や南国風の部屋など、それに沿った装飾が工夫されていて、贅を尽くしてあった。
「あっ、サラー! ここ、知ってる? 鏡の間!!」
ベンジャミンがおいでおいでをしながら、後ろを歩くサラとステファンに合図をした。
「当時6歳だったモーツァルトがこの宮殿に招待されて、マリア・テレジアやマリー・アントワネットらの前で演奏したんだって。この時、宮殿内で転んだモーツァルトを助け起こした当時7歳のマリー・アントワネットに、モーツァルトが『僕と結婚して』ってプロポーズしたって話が残ってるらしいよ。まぁ、嘘かホントか分かんないけどね」
その話なら聞いたことがありましたが、ここでしたのね……
モーツァルトやマリア・テレジア、マリーアントワネットがいた場所に今、自分が立っていることがとても不思議な気がした。
「幼い子供は『好き』と思うと、すぐ結婚に結びつくところが無邪気で可愛いですね」
ステファンの言葉に、サラは少し驚きを感じた。ステファンが子供のことをそんな風に言うのを聞くのは、初めてだった。不思議に思いながらステファンを見上げると、彼は真っ直ぐにサラを見つめた目を細め、口の端を上げた。
「ねぇ、サラ? 貴女も……幼い頃は無邪気で可愛かったですね……」
「ッッ……」
途端にサラは、幼い頃……自分がまだステファンのことを『スティ』と呼んでいた頃、真似事の結婚式を彼と挙げたことを思い出した。
カフェカーテンのレースをベールに見立て、覚束ない足取りでヒールを履いて歩き、お気に入りのぬいぐるみの参列者に見守られて、大好きな『スティ』から初めてもらった唇への口づけとともに交わされた愛の誓い。
それで、ステファン……
サラの頬が、だんだんと熱を持ち始める。
ステファンの言っていたのは、一般的な子供に対してではなく、幼い頃の私に向けられた言葉でしたのね。
ステファンは今でもアルミホイルで作った指輪や結婚証明書を持っているのでしょうか……おままごとみたいなものでしたから、きっと……もう、捨ててしまいましたわよね。それでも……ステファンの記憶の引き出しに、あの出来事が存在していることが嬉しいです……
だが、サラは急に現実へと引き戻されてしまう。
幼い私は、純粋でした。好きな人、『スティ』といつか結ばれて結婚するのだと信じて疑いませんでした。大人になった今、その純粋さが切ないほど、眩しいですわ。
あの頃にはもう、戻れません。
私達の未来は……どこへ続いているのでしょう……
ゴールの見えない迷路を歩いているような気持ちになり、サラは心細い思いで少し先を歩くステファンを見つめた。
「素敵な色合いの宮殿ですね」
「あの壁はテレジアン・イエローと呼ばれていますが、マリア・テレジアが好んでいた色ではなく、夫のフランツが金で装飾する予定だったのを財政を懸念したテレジアが金色に近い色で塗るように指示したのだとか」
マリア・テレジアってマリー・アントワネットのお母様で『女帝』と呼ばれた人ですわよね。
母親と違い浪費家だったマリー・アントワネットは国民の怒りを買い、それはやがてフランス革命へと導き、自らの運命をも狂わせた。
もし、アントワネットがテレジアのように堅実派だったなら、歴史も変わっていたのでしょうか……
けれど……幼くして誰とも分からぬ人の元へと嫁ぎ、異国の地で孤独の中、慣れない言語と慣習に戸惑い、頼りにしたい肝心な夫は自分に愛情どころか関心すらも持ってくれない。そんなやるせない気持ちを浪費という形でしか発散することが出来なかった彼女を全面的に批判することは、サラには出来なかった。
さすが世界的な観光地だけあって、午前中の早い時間にも関わらず、既に入口付近は大勢の人で賑わっていた。自動券売機でステファンがチケットを3人分購入し、渡した。
「ベンジーは、今日は一応ツアーガイドなので……」
「えっ、僕がツアーガイド!? じゃあさ、ランチもステファンの奢りってことで、よろしくね♪」
ベンジャミンは「イェーイ!」と言いながら両腕を上げた。ピアノを弾いている時の大人びた彼の表情からは想像出来ない、少年のような屈託のない笑顔だった。
3人は114室あるうちの40室を見て回ることが出来るインペリアルツアーに参加することにした。ツアーと言っても、オーディオガイドを受け取り、自分達で回るセルフスタイルだ。宮殿内は何度感嘆の溜息を漏らしたか分からないほど絢爛豪華で、ハプスブルク家の栄華に肌で触れた気がした。
真っ直ぐに伸びるどこまでも続く長い廊下。真っ白な壁には金の装飾がほどこされ、等間隔に並んだ豪華な金の燭台。天井はたくさんの天使達が舞っている天井画となっており、それが壁際の窓硝子に映り込んでいた。
至る所にある金の装飾は、膨大な数の肖像画の額縁や置き時計、衝立、バスルームの蛇口や栓までに至り、眩い輝きを放っていた。各部屋ごとにテーマがあって、中国風や南国風の部屋など、それに沿った装飾が工夫されていて、贅を尽くしてあった。
「あっ、サラー! ここ、知ってる? 鏡の間!!」
ベンジャミンがおいでおいでをしながら、後ろを歩くサラとステファンに合図をした。
「当時6歳だったモーツァルトがこの宮殿に招待されて、マリア・テレジアやマリー・アントワネットらの前で演奏したんだって。この時、宮殿内で転んだモーツァルトを助け起こした当時7歳のマリー・アントワネットに、モーツァルトが『僕と結婚して』ってプロポーズしたって話が残ってるらしいよ。まぁ、嘘かホントか分かんないけどね」
その話なら聞いたことがありましたが、ここでしたのね……
モーツァルトやマリア・テレジア、マリーアントワネットがいた場所に今、自分が立っていることがとても不思議な気がした。
「幼い子供は『好き』と思うと、すぐ結婚に結びつくところが無邪気で可愛いですね」
ステファンの言葉に、サラは少し驚きを感じた。ステファンが子供のことをそんな風に言うのを聞くのは、初めてだった。不思議に思いながらステファンを見上げると、彼は真っ直ぐにサラを見つめた目を細め、口の端を上げた。
「ねぇ、サラ? 貴女も……幼い頃は無邪気で可愛かったですね……」
「ッッ……」
途端にサラは、幼い頃……自分がまだステファンのことを『スティ』と呼んでいた頃、真似事の結婚式を彼と挙げたことを思い出した。
カフェカーテンのレースをベールに見立て、覚束ない足取りでヒールを履いて歩き、お気に入りのぬいぐるみの参列者に見守られて、大好きな『スティ』から初めてもらった唇への口づけとともに交わされた愛の誓い。
それで、ステファン……
サラの頬が、だんだんと熱を持ち始める。
ステファンの言っていたのは、一般的な子供に対してではなく、幼い頃の私に向けられた言葉でしたのね。
ステファンは今でもアルミホイルで作った指輪や結婚証明書を持っているのでしょうか……おままごとみたいなものでしたから、きっと……もう、捨ててしまいましたわよね。それでも……ステファンの記憶の引き出しに、あの出来事が存在していることが嬉しいです……
だが、サラは急に現実へと引き戻されてしまう。
幼い私は、純粋でした。好きな人、『スティ』といつか結ばれて結婚するのだと信じて疑いませんでした。大人になった今、その純粋さが切ないほど、眩しいですわ。
あの頃にはもう、戻れません。
私達の未来は……どこへ続いているのでしょう……
ゴールの見えない迷路を歩いているような気持ちになり、サラは心細い思いで少し先を歩くステファンを見つめた。
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