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52.綱渡りの会話
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翌朝、サラとナタリーはホテルのロビーにてジョージを見送った。
「あなた……やっぱり、私も行きます」
不安そうに見つめるナタリーに、ジョージは彼女の肩に手を置いて笑顔を見せた。
「昨夜も言っただろう、心配するな。お前には、サラとの時間を大切にして欲しい」
「あなた……」
サラは母の不安を遠ざけるように、わざと明るく声を掛けた。
「お父様、お気をつけて」
「あぁ、行ってくる」
ジョージはスーツケースを手にタクシーに乗り込み、窓からふたりに手を振ると去って行った。
スイートルームにナタリーひとりとなった為、サラは母の部屋に移動することになった。
サラはステファンと一緒に過ごせなくなることを寂しく感じたが、貴重な母娘の時間を大切にしたいというナタリーの提案を無下に断ることなど出来ないし、変に疑われるような真似はしたくなかった。
それに、母と同じ部屋で一緒に寝るという初めての体験を嬉しくも思っていた。
幼い頃からサラは両親とは別室で、同じ部屋で寝ることはなかった。
さらが幼かった頃、眠れなくて両親の寝室を訪れたことがあった。あの時、ふたりは怖くて眠れないと言ったサラを優しく受け入れ、一緒のベッドで寝かせてくれたのだが、朝になって自分のベッドで寝ていることに気付いたサラはとても悲しい思いをした。
あれ以来、さらには眠れない時や怖い時でも決して両親の寝室を訪れようとはしなかった。
それもあって、サラは両親への愛情を感じながらも、どこかふたりの間に入り込めないものを感じていた。サラはそれを、両親がお互いを思う愛情が娘に対する愛情よりも強いからなのだと思っていた。
ジョージを見送った後、サラとナタリーは午後にオペラ、夕方にミュージカルを観劇することにした。ナタリーは観劇の前後だけでなく、インターミッションの僅かな時間ですら、スマホを手に出て行った。昼食の間も何度かスマホが鳴ったり、ナタリーが電話をかけたりと、忙しなかった。
ホテルの部屋に戻った途端、ナタリーはパソコンを開き、仕事を始めた。
その後、「ちょっとごめんなさいね……」と言うとスマホを手にし、別の部屋へと移った。
電話を終えて戻って来たナタリーにサラが声を掛ける。
「お母様、大丈夫ですか」
「えぇ……こちらでやれることは全て手配したので大丈夫だと思うんですけど……駄目ね、なんだか落ち着かなくて。せっかくの旅行だから楽しもうと思っているのに、どうしてもお父様や仕事のことを考えてしまって。ごめんなさいね……」
ナタリーは、サラの隣に座った。
「常にお父様の側にいて支えてらっしゃるんですもの、落ち着かないのは当然です。
私、お母様が羨ましいです。いつも好きな人の側にいられて……」
思わず本音が漏れてしまう。
「ねぇ、サラ……」
ナタリーがサラの瞳を覗き込んだ。
「なんですか、お母様?」
何を聞かれるのか不安に慄き、サラの心臓が落ち着かない。
「サラは……今は結婚したり、子供を産んだりすることは考えられないって言っていたでしょう?
確かに、それだけが幸せの道ではない。他に幸せな道を見つけ、歩んでいる人も大勢いるわ。
でも……親心、なのよね。自分の娘には愛し愛される人と巡り合って、結婚して、子供を産んでーーそんな幸せを、望んでしまう。たとえそれがサラには、大きなプレッシャーだと分かっていても。
貴女が不幸になるような道を選んで欲しくない。辛くて苦しくて、そこから抜け出せなくなるような、恋愛関係には踏み込んで欲しくないの……」
サラの心臓が早鐘を打ち、背中を伝って冷たい汗が流れる。
お、母様……もしかして、ステファンと私の関係に気付いているのでは。
でも、それならなぜお母様は直接聞かないの?
もし私がステファンと付き合っているのでは、と疑っているのならば、問いただしてもおかしくないはず。
けれど、お母様は直接的な言葉は何も仰らない……
ナタリーの言葉に、真綿でギリギリと首を絞められているようだった。優しく見せかけて、じわりじわりと追い詰められていく。
これは、警告なのかもしれない。
これ以上、禁忌の関係に踏み込まないようにというお母様からの警告。
けれど、私は……もう、戻れないところまで来てしまっている……
サラはそんな暗い気分を払拭しようと、無邪気な女を演じた。
「そ、そうですわ。お父様とお母様ってどうやって恋に落ちたんですか? クリステンセン財閥の次期社長と秘書の恋、だなんて、まるでシンデレラストーリーですよね、素敵!」
「シンデレラストーリーなんて、素敵な話ではなかったわ……」
少しの間があいて違和感を感じたサラがナタリーの顔を覗き込んだ。
「お母様?」
ナタリーはハッとし、笑みを浮かべた。
「シンデレラなら、お父様は王子様ということになるけれど……フフッ、そんな感じではなかったわね。
最初はね、まだ大学生だったあの人が見習いとして会社に来た時、なんて頼りない男性なんだろうって思っていたんですよ。私は彼よりも5歳年上で、もうその時既にキャリアも積んでいましたし、それなりに仕事に対する知識もありましたから。
ジョージは仕事の上では新人で、右も左も分かりませんでしたけれど......彼と一緒に仕事をするうちに、彼の仕事に対する真摯な態度、部下や下請け先の従業員であっても変わらない接し方、そして真面目で誠実な性格に少しずつ惹かれていったの。
でも、彼はクリステンセン財閥の御曹司。私とは住む世界が違う……と、彼との恋愛関係は望んでいなかったわ。私は彼の側で彼の仕事を支えられるだけで、幸せだと思っていたの。
それが、突然ジョージから告白されて......嬉しかったけれど、身分違いだからと断ったんですよ。身寄りのない、一介の秘書である私がクリステンセン財閥の一族になど、とてもなれるはずがない、と身の程をわきまえていましたから。
それでもあの人は引いて下さらなくて……何度も何度も想いを伝えて下さり、彼の熱意に根負けして、私も彼の想いに応えたいと思えるようになったのですよ。
ジョージと結婚して、サラ、貴女が生まれて......本当に私は幸せです。家族の幸せを守るためならなんだって出来る......そう、感じています」
身分違いの恋に身をやつしたお父様とお母様......きっと、相当の覚悟をしたに違いありません。苦しく、辛い思いをした末に、ハッピーエンドに辿りつくことが出来ましたのね。
私とステファンの関係には……ハッピーエンドなど、ありません。
私たちが幸せになることで、不幸になる人がいるのです。私を、家族を大事に思ってくれているお父様とお母様の娘への将来の夢を、希望を、私は踏みにじろうとしている......
分かっています。許されることじゃないと、ふたりを悲しませることだと。
私たちが罪を背負っていかなければならないことだと。
......それでもこの恋心の火を消すことができないのです。
「素敵ですね……私もお父様やお母様のように、愛し愛されるような恋人と巡り会えるといいなと願っています」
サラの言葉に、ナタリーはにこやかに微笑んだ。
「えぇ、きっと出会えますよ」
「あなた……やっぱり、私も行きます」
不安そうに見つめるナタリーに、ジョージは彼女の肩に手を置いて笑顔を見せた。
「昨夜も言っただろう、心配するな。お前には、サラとの時間を大切にして欲しい」
「あなた……」
サラは母の不安を遠ざけるように、わざと明るく声を掛けた。
「お父様、お気をつけて」
「あぁ、行ってくる」
ジョージはスーツケースを手にタクシーに乗り込み、窓からふたりに手を振ると去って行った。
スイートルームにナタリーひとりとなった為、サラは母の部屋に移動することになった。
サラはステファンと一緒に過ごせなくなることを寂しく感じたが、貴重な母娘の時間を大切にしたいというナタリーの提案を無下に断ることなど出来ないし、変に疑われるような真似はしたくなかった。
それに、母と同じ部屋で一緒に寝るという初めての体験を嬉しくも思っていた。
幼い頃からサラは両親とは別室で、同じ部屋で寝ることはなかった。
さらが幼かった頃、眠れなくて両親の寝室を訪れたことがあった。あの時、ふたりは怖くて眠れないと言ったサラを優しく受け入れ、一緒のベッドで寝かせてくれたのだが、朝になって自分のベッドで寝ていることに気付いたサラはとても悲しい思いをした。
あれ以来、さらには眠れない時や怖い時でも決して両親の寝室を訪れようとはしなかった。
それもあって、サラは両親への愛情を感じながらも、どこかふたりの間に入り込めないものを感じていた。サラはそれを、両親がお互いを思う愛情が娘に対する愛情よりも強いからなのだと思っていた。
ジョージを見送った後、サラとナタリーは午後にオペラ、夕方にミュージカルを観劇することにした。ナタリーは観劇の前後だけでなく、インターミッションの僅かな時間ですら、スマホを手に出て行った。昼食の間も何度かスマホが鳴ったり、ナタリーが電話をかけたりと、忙しなかった。
ホテルの部屋に戻った途端、ナタリーはパソコンを開き、仕事を始めた。
その後、「ちょっとごめんなさいね……」と言うとスマホを手にし、別の部屋へと移った。
電話を終えて戻って来たナタリーにサラが声を掛ける。
「お母様、大丈夫ですか」
「えぇ……こちらでやれることは全て手配したので大丈夫だと思うんですけど……駄目ね、なんだか落ち着かなくて。せっかくの旅行だから楽しもうと思っているのに、どうしてもお父様や仕事のことを考えてしまって。ごめんなさいね……」
ナタリーは、サラの隣に座った。
「常にお父様の側にいて支えてらっしゃるんですもの、落ち着かないのは当然です。
私、お母様が羨ましいです。いつも好きな人の側にいられて……」
思わず本音が漏れてしまう。
「ねぇ、サラ……」
ナタリーがサラの瞳を覗き込んだ。
「なんですか、お母様?」
何を聞かれるのか不安に慄き、サラの心臓が落ち着かない。
「サラは……今は結婚したり、子供を産んだりすることは考えられないって言っていたでしょう?
確かに、それだけが幸せの道ではない。他に幸せな道を見つけ、歩んでいる人も大勢いるわ。
でも……親心、なのよね。自分の娘には愛し愛される人と巡り合って、結婚して、子供を産んでーーそんな幸せを、望んでしまう。たとえそれがサラには、大きなプレッシャーだと分かっていても。
貴女が不幸になるような道を選んで欲しくない。辛くて苦しくて、そこから抜け出せなくなるような、恋愛関係には踏み込んで欲しくないの……」
サラの心臓が早鐘を打ち、背中を伝って冷たい汗が流れる。
お、母様……もしかして、ステファンと私の関係に気付いているのでは。
でも、それならなぜお母様は直接聞かないの?
もし私がステファンと付き合っているのでは、と疑っているのならば、問いただしてもおかしくないはず。
けれど、お母様は直接的な言葉は何も仰らない……
ナタリーの言葉に、真綿でギリギリと首を絞められているようだった。優しく見せかけて、じわりじわりと追い詰められていく。
これは、警告なのかもしれない。
これ以上、禁忌の関係に踏み込まないようにというお母様からの警告。
けれど、私は……もう、戻れないところまで来てしまっている……
サラはそんな暗い気分を払拭しようと、無邪気な女を演じた。
「そ、そうですわ。お父様とお母様ってどうやって恋に落ちたんですか? クリステンセン財閥の次期社長と秘書の恋、だなんて、まるでシンデレラストーリーですよね、素敵!」
「シンデレラストーリーなんて、素敵な話ではなかったわ……」
少しの間があいて違和感を感じたサラがナタリーの顔を覗き込んだ。
「お母様?」
ナタリーはハッとし、笑みを浮かべた。
「シンデレラなら、お父様は王子様ということになるけれど……フフッ、そんな感じではなかったわね。
最初はね、まだ大学生だったあの人が見習いとして会社に来た時、なんて頼りない男性なんだろうって思っていたんですよ。私は彼よりも5歳年上で、もうその時既にキャリアも積んでいましたし、それなりに仕事に対する知識もありましたから。
ジョージは仕事の上では新人で、右も左も分かりませんでしたけれど......彼と一緒に仕事をするうちに、彼の仕事に対する真摯な態度、部下や下請け先の従業員であっても変わらない接し方、そして真面目で誠実な性格に少しずつ惹かれていったの。
でも、彼はクリステンセン財閥の御曹司。私とは住む世界が違う……と、彼との恋愛関係は望んでいなかったわ。私は彼の側で彼の仕事を支えられるだけで、幸せだと思っていたの。
それが、突然ジョージから告白されて......嬉しかったけれど、身分違いだからと断ったんですよ。身寄りのない、一介の秘書である私がクリステンセン財閥の一族になど、とてもなれるはずがない、と身の程をわきまえていましたから。
それでもあの人は引いて下さらなくて……何度も何度も想いを伝えて下さり、彼の熱意に根負けして、私も彼の想いに応えたいと思えるようになったのですよ。
ジョージと結婚して、サラ、貴女が生まれて......本当に私は幸せです。家族の幸せを守るためならなんだって出来る......そう、感じています」
身分違いの恋に身をやつしたお父様とお母様......きっと、相当の覚悟をしたに違いありません。苦しく、辛い思いをした末に、ハッピーエンドに辿りつくことが出来ましたのね。
私とステファンの関係には……ハッピーエンドなど、ありません。
私たちが幸せになることで、不幸になる人がいるのです。私を、家族を大事に思ってくれているお父様とお母様の娘への将来の夢を、希望を、私は踏みにじろうとしている......
分かっています。許されることじゃないと、ふたりを悲しませることだと。
私たちが罪を背負っていかなければならないことだと。
......それでもこの恋心の火を消すことができないのです。
「素敵ですね……私もお父様やお母様のように、愛し愛されるような恋人と巡り会えるといいなと願っています」
サラの言葉に、ナタリーはにこやかに微笑んだ。
「えぇ、きっと出会えますよ」
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