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50. クリスマスコンサート

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 この日のクリスマスコンサートはチャリティーを目的としており、主催者であるラインハルトが引退してから初めて公共の場で演奏することになっていた。

 当然コンサートは注目を浴び、自ら値段を決めるプレミアチケットを手にいれた誰もが高額な金額を払い、チャリティーは大成功を収めた。

 コンサートホールは、ブラームスが3年間指揮を振り、自身のピアノ作品の初演を行った功績を称え、「ブラームス・ザール」と名付けられている。ギリシャ・ルネッサンス様式で建てられたホールはまるで神殿のように神々しく輝いていた。

 サラたちは開演30分前に到着したのだが、600ある座席はほぼ満席で、皆の期待がどれだけ高いのか感じられた。

 さすが、『ピアノの巨匠』と呼ばれたラインハルトが演奏するだけあって、会場全体が凄い熱気に包まれていますわ……

 サラはプログラムを手に、興奮を隠しきれずに頬を熱くした。

 まずはベンジャミンが明るい笑顔を振りまきながら舞台に立ち、「くるみ割り人形」を演奏した。

 ドイツの作家E.T.Aホフマンの童話に基づいてピョートル・チャイコフスキーが作曲した「くるみ割り人形」は、彼の三大バレエの一つである。クリスマスの夜に起こった少女クララとくるみ割り人形に変えられてしまった王子の不思議な話がベンジャミンの指先から語られるように弾き出され、観客は彼の「くるみ割り人形」の世界にみるみるうちに引き込まれていった。

 観客達の熱がヒートアップするうちに演奏が終わり、ベンジャミンは歓声の中、いつものように大袈裟にお辞儀をすると、会場をどっと沸かせてから退場した。

 ラファエルは個性的なジャズで観客を沸かせ、楽しませた。

 ノアが登場すると、サラの鼓動が一瞬跳ねた。音もなく椅子に腰掛け、すっと背筋が伸び、ノアの指がピアノの高音部の鍵盤に触れると演奏が始まった。 

「ラ・カンパネッラ (la Campanella)」 は、フランツ・リストのピアノ曲。ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンド『ラ・カンパネッラ』の主題を編曲して書かれた。永遠にレのシャープが続くかのようなこの曲名のCampanellaとは、イタリア語で「鐘」を意味している。

 す、凄い……

 ステファンからノアが12歳からピアノを習い始めたということを聞いていたので、サラは彼の技術力の高さに圧倒された。

 作曲家としてだけでなく超絶的な技巧をもつ当時最高のピアニストで『ピアノの魔術師』とも呼ばれていたリストの曲は、非常に困難なテクニックを要求する曲が多い。だが、ノアはミスタッチなく流れるような所作で指先から次々と鐘を鳴らすような美しく響くメロディーを紡ぎ出していた。

 観客は皆、息を詰めるように彼の指先を見つめ、感嘆の声を漏らした。

 曲の終わりとともにスタンディング・オベーションと拍手が沸き起こった。ノアは真っ直ぐにクリスタルブルーの瞳を向け、美しい所作でお辞儀をした。それはどこか、ステファンのお辞儀と重なって見えた。

 ステファンが舞台の袖から姿を現わすと、一気に観客がどよめき、大歓声と割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 今日ステファンが特別ゲストで招かれていることはサプライズであり、プログラムには載っていなかったので、観客は誰も彼の出演を知らなかったのである。

 すごい、歓声……

 ステファンがオーストリアという異国の地でも大勢の人々から支持され、愛されていることを嬉しく思う反面、焦燥も感じた。

 3年間オーストリアで暮らし、活躍していた頃のステファンを、私は知りません。
 この人たちは、どこでどのようにしてステファンを知り、ファンになったのでしょう……

 不安に思うサラの心を知ってか知らずか、ステファンは彼女のいる方向に目を向けて一瞬笑みを浮かべた後、優美にお辞儀をした。

 ステファンが演奏をしたのはクラシック曲ではなく、有名なクリスマスソング「ホワイトクリスマス」だった。

 ステファンがコンサートでクラシック以外の曲を演奏するなんて、初めて……
 こんな貴重な機会を見ることが出来て、すごく嬉しいです。

 美しく繊細なステファンの指先から紡ぎ出される調べにより、雪の降る街が聴衆の脳裏に浮かび上がり、美しい冬景色が広がっていく。

 高く大きな煌めくクリスマスツリー。街の家々の屋根に雪が降り積もり、窓からそれを見つめる子供たち。
 銀世界に包まれた、夢のような幸せに包まれたホワイトクリスマス……

 愛に溢れた幸せが、会場全体を包み込んでいく。

 ステファンの温かい愛に包まれているように感じ、サラは幸せな気持ちに満たされた。

 弟子たちが演奏し終え、いよいよ大御所ラインハルトの登場に、客席にいた全員が立ち上がった。

 大喝采を浴びながら彼は舞台の真ん中に立った。
 
 ラインハルトの演奏曲はプログラムに記載されておらず、観客達は『ピアノ界の巨匠』がいったい何を演奏するのか、期待に胸を膨らませていた。

 マイクが用意され、ラインハルトが観客に向かって挨拶をする。立ち姿からだけでも荘厳な雰囲気と力強いオーラを感じた。

 隣にいたナタリーがサラに通訳をしてくれる。ドイツに支社を持ち、傘下企業も多くあるクリステンセン財閥において、ナタリーは商談を進める際にはドイツ語の通訳も担っている。

「今日は皆さん、私の主宰するチャリティーコンサートへようこそ。クリスマスイブをこうして共に過ごせる喜びを噛み締めています。これからクリスマスキャロルを演奏しますので、どうぞ皆さん立って一緒に斉唱して下さい、ですって」

 まさか自分たちもコンサートに加わるとは思っていなかった人々は一瞬騒めいたが、ラインハルトの言葉に従って立ち上がり、曲が始まるのを待った。

「荒野の果てに(Les Anges dans nos campagnes)」

「きよしこの夜(Stille Nacht, heilige Nacht)」

「牧人羊を(The First Noel)」

「もろびとこぞりて(Joy to the World)」

 誰もが知っている賛美歌の歌が流れ、皆が一斉に歌い出す。会場が一体となって歌声が天高くまで響き渡り、美しいピアノの旋律とともに心が震えるような感動を呼び起こす。

 サラは全身に鳥肌が立ち、感動で足が震えるのを感じた。

 なんて素晴らしい一体感......

 神殿のようなコンサートホールは神々しく静粛な空気に包まれた。神を祝福する歌を歌う自分たちが、まるで天上の世界にいるかのように感じる。

 この日、聴衆たちはクリスマスの夕べを心ゆくまで楽しんだ。
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