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439.キスマーク

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 最近は家にいても義昭を避けて過ごしていたため、会話どころか、顔すらまともに見ることがなかった。

 それが……弟との情事の後で、いったいどんな顔をし、どんな会話をしたらいいのかなんて分かるはずない。

 注文は終わったというのに、類との距離が不自然なほど近い。けれど、ここから離れるのも、何か疑われるのではという気持ちになり、動くことができなかった。

 類がお通しのキャベツのジャコ和えを口にして、義昭に向き直る。

「ヨシ、仕事の方はどう?」

 話を振られた義昭が、緊張した表情から少し緩和する。

「今日は入社式だったんだ。異動で人がだいぶ変動したし、暫くは忙しくなるな」
「へぇー、そうなんだ。新入社員は結構入ってきたの?」
「今年は例年より少ないがな。うちの課にはふたり入ってきたが、まずは研修期間を経てから配属になる」

 義昭が類と仕事の話を始め、美羽は心の中でホッとした。



 このまま、どうか何事もなく無事に終わって……



「そういえば、うちも新しい人が明日から入るって、隼斗兄さんから連絡きてたね」

 類に話を振られ、美羽が顔を上げた。

「ぇ。そうなの!?」

 そういえば、全然スマホチェックしてなかった。

 バッグの中からスマホを取り出すと、ショートメールが来ていることを知らせていた。隼斗以外はみんなLINEでやりとりしているため、隼斗からだとすぐに分かる。

『明日から新しい従業員が入ることになったから、ミーティングのため少し早めに来てくれ。浩平と萌さんは、通常通りで大丈夫だ』

 隼斗の性格そのままが表れたようなメールに、美羽は頬を緩ませた。

 浩平は今日から製菓学校に2年間通い、パティスリーコースを受講する。だいぶ前から決まっていたことだったので、早く新しい従業員を探さなければいけなかったが、ぎりぎり見つかったようだ。

 製菓学校は平日昼間のみなので、浩平は平日ディナータイムと土日祝フルタイムに働くことになる。

 良かった、新しい人が見つかって。どんな人なんだろう……いくら経験者だとしても、環境に慣れるには時間がかかるだろうし、しばらくは大変になるかも。

 明日は……かおりんとも、顔を合わせることになるんだ。

 スマホに視線を落としていた美羽の耳に、類の囁きが届いた。
 
「楽しみだね」

 美羽が、肩を震わせる。



 新しい人が来ることが? 
 それとも……類と私とかおりんが、複雑な三角関係になってしまったことが?

 

「失礼します」

 引き戸が開けられ、美羽は視線をそちらに向けた。

 御通しと生ゆずチューハイ、それにビールがテーブルの上に置かれる。

 店員の女性はチラッと類と美羽の顔を見上げてから黙礼し、引き戸を閉めた。

「じゃ、乾杯しよっか」

 類のひとことで、それぞれグラスを手にする。

『乾杯』

 腕を引き上げてグラスを重ねた時、類がチラッと美羽をの首元を見て驚いたような声を上げた。

「ミュー、ここ……蚊に刺された?」
「ぇ」

 類が頸を指差し、にっこりと微笑んだ。美羽は鏡のように同じ場所を指に当て、顔を青褪めさせた。



 これ……類がつけた、キスマーク。



 類がしれっと言う。

「春なのにもう、蚊が飛んでるなんて気をつけないとね」
「ぅ、うん……そう、だね」

 類、自らキスマークのことをバラすなんて……義昭さんは、どう思ったんだろう。

 まともに義昭の顔が見られず、グラスをグイッと傾ける。

 何も言わずにじっとりと頸を見つめる義昭の視線が、怖かった。
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