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369.おふくろの味
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家に戻ると、琴子の靴が類と義昭のものと共に置かれている。
まさか、お義母さん。
引っ越しするまでの間、うちに住むつもりじゃ……
嫌な予感が過ぎりながら靴を脱いでコートを掛け、リビングの扉を開けた途端、醤油とみりんの混じり合った甘辛い臭いが鼻腔をついた。
「ミュー、お帰りぃ」
ダイニングテーブルに座っていた類に笑顔を向けられ、美羽は硬い笑みを返した。
「ただ、いま。今日、ご飯食べてくるかと思ってた……」
「そのつもりだったんだけどさぁ、琴子が僕たちが色々と手を尽くして圭子さんたちを説得してくれたから、手料理でお返ししたいって言ってさぁ」
「そうだったんだ」
キッチンでは琴子が忙しく動き回っており、その横で義昭がおろおろしている。
美羽は慌ててエプロンを手に取り、キッチンへと向かった。
「お義母さん、お手伝いします」
「あら美羽さん、お帰りなさい。いいのよぉ、私が好きでやってるんだから。お夕飯はもう食べた?」
「いえ、まだです」
「それじゃ、ちょうどいいわ。一緒に食べましょ! あら、こんな綺麗なお洋服汚しちゃったら大変よ。ほら、先に着替えてらっしゃい」
上機嫌な琴子に促され、美羽は二階へと上がって行った。
部屋着に着替えてダイニングへ戻ると、もう既にご馳走がテーブルに所狭しと並べられていた。
金目鯛の煮付け、肉じゃが、ふきの味噌和え、だし巻き玉子、みょうがと茄子の煮浸し、鶏ゴボウの炊き込みご飯、具沢山の味噌汁。これらの料理から、出来立てであるかを主張するように湯気を立てていた。
「お義母さん、すみません。ありがとうございました」
「いいのよぉ。美羽さんが、ちょうど夕飯の時に帰ってきて良かったわぁ。もしかして、お友達とご飯食べてくるかしらって思ってたんだけど」
琴子がきゅうりの漬物をコトンと置き、エプロンを外しながら義昭の隣に座る。類に言われてキッチンへと向かったものの、結局何も手伝うことができずに先に席についていた息子に対し、満面の笑みを向けた。
「義くんの大好きなものばかり、作ってみたのよ」
「あぁ、嬉しいな」
そんな会話を耳の遠くに聞きながら、脳裏には大作が捨てたゴミ袋の中にあった大量の弁当の容器が浮かび上がっていた。今日も彼は、どこかで買った生温かい弁当を、ひとりもそもそと食べるのだろう。
義昭が味噌汁を啜ると、息を吐いた。
「やっぱり、母さんの味噌汁は最高だな」
その言葉に、苦い思い出が蘇る。
新婚の頃、義昭が母の作る味噌汁が好きだと言ったので、彼のためにお袋の味を再現しようと、琴子に頼んで味噌汁の作り方を教えてもらった。出汁の取り方も、具も全て同じにし、完璧に再現したつもりだった。
だが……義昭は味噌汁に口をつけた途端、腕を置き、二度と口にすることはなかった。それが何度も続き、酷い時には無言で流しに捨てられることもあった。
排水口に詰まった味噌汁の具をゴミとして捨てた時の、あの惨めな気持ちは忘れない。
それから3年程経ち、ようやく義昭は味噌汁を口にするようにはなったものの、彼の中では未だ義母が作る味噌汁は美羽のものとは別格だと思っているらしい。
義昭としては母を称賛する言葉としてなにげなく言ったのだろうが、それがどれほど妻のプライドを傷つけるのかなど、分かっていないのだ。
今となっては、どうでもいいと思っていたはずなのに、やはり目の前で言われると、惨めで悲しかったあの頃の気持ちがどうしても蘇ってしまう。
「ふふっ、義くんは家に帰ってくる度に、『母さんの味噌汁が飲みたい』って言うものねぇ」
琴子が目尻に皺を寄せた。息子の反応に素直に返しただけ、そこに美羽に対する嫌味などないと分かっているものの、そんな姑の言葉も刃のように胸に突き刺さる。
類が味噌汁を口につけてから、コトンと腕を置いた。
「そうなんだ。僕は、ミューの作った味噌汁が好きだけどな。
人ってさ、自分が育った環境で食べたものが一番美味しいって感じるんだって。
だから、僕にとってはミューの料理が世界で一番美味しいんだよね」
類……
美羽の胸が、熱くなる。類は、美羽の気持ちを理解し、汲んでくれた上で、義昭と琴子に対してこんな話をしたのだと分かるからこそ、嬉しかった。
類のひとことで、今までの苦労も悲しみも、全て報われて浄化された気がした。
「そ、そうだなっ。もちろん、美羽の作る料理も旨いよ!」
義昭が慌ててフォローしたが、美羽にとってそんな言葉、本当にどうでも良くなった。
それから話題は、琴子が新しく暮らすマンションへと移った。不安だった圭子夫妻との話し合いも穏便に済ますことができ、これからの生活が楽しみで仕方ないという、琴子の気持ちが伝わってきた。
「義くんと類くんふたりに新生活の買い物まで付き合ってもらっちゃって、色々な物を揃えてたらもう、ウキウキしちゃって」
幸せそうな琴子を見ていたら、大作の現状についてなど、とても言える雰囲気ではなかった。
こうして、このまま……お義父さんとお義母さんは離れていってしまうんだろうな。
まさか、お義母さん。
引っ越しするまでの間、うちに住むつもりじゃ……
嫌な予感が過ぎりながら靴を脱いでコートを掛け、リビングの扉を開けた途端、醤油とみりんの混じり合った甘辛い臭いが鼻腔をついた。
「ミュー、お帰りぃ」
ダイニングテーブルに座っていた類に笑顔を向けられ、美羽は硬い笑みを返した。
「ただ、いま。今日、ご飯食べてくるかと思ってた……」
「そのつもりだったんだけどさぁ、琴子が僕たちが色々と手を尽くして圭子さんたちを説得してくれたから、手料理でお返ししたいって言ってさぁ」
「そうだったんだ」
キッチンでは琴子が忙しく動き回っており、その横で義昭がおろおろしている。
美羽は慌ててエプロンを手に取り、キッチンへと向かった。
「お義母さん、お手伝いします」
「あら美羽さん、お帰りなさい。いいのよぉ、私が好きでやってるんだから。お夕飯はもう食べた?」
「いえ、まだです」
「それじゃ、ちょうどいいわ。一緒に食べましょ! あら、こんな綺麗なお洋服汚しちゃったら大変よ。ほら、先に着替えてらっしゃい」
上機嫌な琴子に促され、美羽は二階へと上がって行った。
部屋着に着替えてダイニングへ戻ると、もう既にご馳走がテーブルに所狭しと並べられていた。
金目鯛の煮付け、肉じゃが、ふきの味噌和え、だし巻き玉子、みょうがと茄子の煮浸し、鶏ゴボウの炊き込みご飯、具沢山の味噌汁。これらの料理から、出来立てであるかを主張するように湯気を立てていた。
「お義母さん、すみません。ありがとうございました」
「いいのよぉ。美羽さんが、ちょうど夕飯の時に帰ってきて良かったわぁ。もしかして、お友達とご飯食べてくるかしらって思ってたんだけど」
琴子がきゅうりの漬物をコトンと置き、エプロンを外しながら義昭の隣に座る。類に言われてキッチンへと向かったものの、結局何も手伝うことができずに先に席についていた息子に対し、満面の笑みを向けた。
「義くんの大好きなものばかり、作ってみたのよ」
「あぁ、嬉しいな」
そんな会話を耳の遠くに聞きながら、脳裏には大作が捨てたゴミ袋の中にあった大量の弁当の容器が浮かび上がっていた。今日も彼は、どこかで買った生温かい弁当を、ひとりもそもそと食べるのだろう。
義昭が味噌汁を啜ると、息を吐いた。
「やっぱり、母さんの味噌汁は最高だな」
その言葉に、苦い思い出が蘇る。
新婚の頃、義昭が母の作る味噌汁が好きだと言ったので、彼のためにお袋の味を再現しようと、琴子に頼んで味噌汁の作り方を教えてもらった。出汁の取り方も、具も全て同じにし、完璧に再現したつもりだった。
だが……義昭は味噌汁に口をつけた途端、腕を置き、二度と口にすることはなかった。それが何度も続き、酷い時には無言で流しに捨てられることもあった。
排水口に詰まった味噌汁の具をゴミとして捨てた時の、あの惨めな気持ちは忘れない。
それから3年程経ち、ようやく義昭は味噌汁を口にするようにはなったものの、彼の中では未だ義母が作る味噌汁は美羽のものとは別格だと思っているらしい。
義昭としては母を称賛する言葉としてなにげなく言ったのだろうが、それがどれほど妻のプライドを傷つけるのかなど、分かっていないのだ。
今となっては、どうでもいいと思っていたはずなのに、やはり目の前で言われると、惨めで悲しかったあの頃の気持ちがどうしても蘇ってしまう。
「ふふっ、義くんは家に帰ってくる度に、『母さんの味噌汁が飲みたい』って言うものねぇ」
琴子が目尻に皺を寄せた。息子の反応に素直に返しただけ、そこに美羽に対する嫌味などないと分かっているものの、そんな姑の言葉も刃のように胸に突き刺さる。
類が味噌汁を口につけてから、コトンと腕を置いた。
「そうなんだ。僕は、ミューの作った味噌汁が好きだけどな。
人ってさ、自分が育った環境で食べたものが一番美味しいって感じるんだって。
だから、僕にとってはミューの料理が世界で一番美味しいんだよね」
類……
美羽の胸が、熱くなる。類は、美羽の気持ちを理解し、汲んでくれた上で、義昭と琴子に対してこんな話をしたのだと分かるからこそ、嬉しかった。
類のひとことで、今までの苦労も悲しみも、全て報われて浄化された気がした。
「そ、そうだなっ。もちろん、美羽の作る料理も旨いよ!」
義昭が慌ててフォローしたが、美羽にとってそんな言葉、本当にどうでも良くなった。
それから話題は、琴子が新しく暮らすマンションへと移った。不安だった圭子夫妻との話し合いも穏便に済ますことができ、これからの生活が楽しみで仕方ないという、琴子の気持ちが伝わってきた。
「義くんと類くんふたりに新生活の買い物まで付き合ってもらっちゃって、色々な物を揃えてたらもう、ウキウキしちゃって」
幸せそうな琴子を見ていたら、大作の現状についてなど、とても言える雰囲気ではなかった。
こうして、このまま……お義父さんとお義母さんは離れていってしまうんだろうな。
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