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342.下見

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 琴子の希望により義昭もアクティブシニア向けのマンションの下見についていくこととなり、早速次のカフェの定休日にマンションのオーナーである類と共に行くことになった。

 アクティブシニア向け賃貸マンション『ピースパーク 憩い』は、都心から少し離れた郊外ではあるものの、交通の便は駅から徒歩5分と近く、義昭の家から電車で40分、圭子の家からでも35分で着く。

 今日は類が車を出してくれたので、楽に行くことができた。ここでも美羽は助手席に座ることはなく、助手席には琴子が座り、後部座席に美羽と義昭が座った。

 車中で、義昭が類に話を振った。

「いくらなんでも、入居費だけでなく、毎月の家賃まで払わないのは悪いから、弁護士を通じて父にかけあったんだ。そしたら、圭子の家に住んでる限りはお金は払わないけど、独り暮らしをする覚悟があるなら家賃を払ってもいいって言われたよ」

 そう、なんだ……

 美羽は大作のことを思い、胸が痛んだ。彼は、きっと未だに琴子と離婚する意思はないだろう。

 今までお湯を沸かすことすらしたことないであろう大作。慣れない家事にあくせくしているに違いない。

 琴子が一人暮らしをするなら家賃を支払うと言ったのは、圭子たちとの同居を解消したら彼女が心細くなり、家に戻ってくるのではないかと期待しているからかもしれない。

 今まで大作のことをずっと苦手だと感じ、琴子と別居してからも関わるのを避けて連絡せずにいたが、離婚を突きつけられてひとりで苦労していることを思うと不憫になった。

 お義母さんは、お義父さんのことをどう思ってるんだろう。離婚したいとはいえ、長年一緒に暮らしてきたんだから、少しは心配になったりしないのかな?

 琴子が実家を出てからだいぶ経つが、大作の生活を心配するような話は一度も出ていない。

 義昭の話を受け、類が提案した。

「じゃ、家賃は無料にするけど、その他にかかるイベントや習い事、食事代は払ってもらうってことでどう? そしたら琴子は家賃分として貰ったお金を、自分の好きなことに充てられるじゃん」
「あらっ、甘えちゃっていいのかしらぁ?」

 琴子は上機嫌で、高くねっとりとした声を上げた。

「うん、甘えてよ。家族でしょ?」

 類の言葉に、嬉しそうに微笑む琴子。傍目には、大作への未練などまったくないように思えた。

 今までの琴子に対する大作の言動を考えれば当然なのかもしれないし、自分自身も夫である義昭に嫌悪を抱いているので理解もできるのに……なぜか、納得できない思いが美羽の心に燻った。

 それは、大作への労りからなのか、琴子への嫉妬からなのか、皆を自分の陰謀に巻き込んでいく類への憤りからなのかは、自分でも分からなかった。

「あ、あれだよ」

 フロントガラス越しに高く聳え立つ白いマンションが見えた。地上12階、地下1階のそれは、一般の賃貸マンションとなんら変わりなく見えた。

 少し違うと感じたのは、身体障害者用の駐車スペースが3台分とられていることぐらいだろうか。

「綺麗なマンションねぇ」

 古い一軒家、もしくは圭子一家の団地にしか住んだことのない琴子は、近代的な新しいビルを目の前に、歓声を上げた。

 類はこの日、カジュアルスタイルではあるものの、珍しくスーツを着ていた。ベージュピンクのシャツにグレーのジャケット、その上から深緑の混ざったダークグレーのアルスターコートを羽織り、襟を立てている。

 こんなクラシックなスタイルも格好よく着こなせてしまう類に、思わず視線が吸い寄せられてしまう。

 類が車を降りて琴子をエスコートし、エントランスへと歩いていく。

 綺麗に整えられたブロックが埋め込められたエントランスへの通路には、ところどころに竹や常緑樹が植え込まれており、ビルの無機質さを和らげていた。

 透明ガラスに擦りガラスのストライプが入った1枚目の自動扉が開くと、そこにマンションのインターホンがあり、『受付』ボタンを類が押す。

『いらっしゃいませ。どんな御用向きでしょうか』

 受付の女性がすぐに応答した。柔らかい、感じのいい声だ。

「内山だけど、見学のお客様連れてきたから」

 かつての自分の苗字を聞き、懐かしく思う。

 類も、美羽も……内山姓だった。
 同じ苗字を名乗り、同じ家に住み、同じ時を過ごし、同じ感情を共に持っていた。

 たとえ苗字が変わっても、離れても、別々の時を過ごしていても、ふたりの感情だけは変わらないと信じていた。ずっと繋がっていると、確信できた。



 今は、こんなに近くにいるのに類を遠く感じる……



 美羽は、寂しくその背中を見つめた。
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