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322.嫌がらせ

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 香織はポケットからスマホを取り出し、操作すると、美羽の目の前に持っていった。

 そこには、香織の部屋が写っていた。いつもと変わりない、シンプルで綺麗に整頓された部屋。

 だが、その部屋の一箇所、リビングルームの壁だけが異様に浮き立ち、狂気を帯びていた。



『死ね! インラン女!!』



 汚く書き殴った文字から、赤いインクが血のように滴っている。

 美羽はショックで喉を詰まらせてから、低く呻いた。

「酷い……」

 香織はスマホを手元に戻し、躊躇いがちに口を開いた。

「実はさ……あれからずっと、嫌がらせが続いてて、ポストにゴミとか犬の糞とか……動物の死骸を入れられてることもあったんだ」
「嘘っっ!?」

 思わず想像した美羽は、嫌悪の表情を露わにした。

「旅行から帰ってきた昨日の夜も、なんとなく部屋に違和感は感じてたの。何かが動かされたような感じがしてて。
 でも、別に盗られたものもなかったし、暫く家を空けてたから私の思い違いかもしれないって思い直したんだよね。

 そしたら今朝……起きたら、壁にあの落書きがされてたの。昨日は、絶対あんなのなかった。私が寝てる間に誰かが忍び込んでやったんだって思ったら怖くなって……それで、警察に通報したの」
「そう、だったんだ……」

 美羽はゾクリと躰を震わせた。どんなに恐ろしかっただろうと香織の気持ちを汲みすると、涙が出そうだった。

「怖かったよね、不安だったよね……」

 座っている香織を、美羽はギューッと抱き締めた。

「大丈夫。今朝……あの場にあいつ……藤岡もいたんだよね」
「えっ、藤岡先生が?」
「あいつ、壁文字見てビビって帰っちゃってさ。怖いって思ったのは本当だけど、それよりもあいつのチキンさ加減に呆れちゃった方が大きかったから」

 香織はそう言って笑った。

 香織は人に恨まれるような人間ではない。恨まれるとしたら、美羽にはひとりしか思い浮かばなかった。

 その嫌がらせした人って、まさか……

 顔も知らない藤岡の妻が、美羽の脳裏を過ぎる。

 そ、んな……証拠もないのに、疑うなんてサイテーだ。
 
 それにしても藤岡先生、逃げるなんて酷い。私だったら、不安になってる香織の傍にずっといてあげるのに。

「ごめん。ごめんね、かおりん……何も、役に立てなくて」

 美羽は申し訳なさそうに俯いた。

「ちょっ、謝るのは私の方だよ! 美羽に心配かけたくなくて、何も相談しなくてごめん」

 顔を上げた美羽は香織を抱いていた腕を解き、涙で潤んだ瞳で香織を見つめた。

「そう、だよ……頼りにならないかもしれないけど、私はかおりんの親友なんだよ? なん、でも相談してよ。頼って、欲しいよ……!」

 香織から嫌がらせのことは聞いていたのに、その後気にかけることなく過ごしていた自分が嫌になった。いつも自分は香織に迷惑をかけるだけで、何もできていないことが情けなかった。

 親友、なのに……

「うん、ごめん……」

 香織は頷くと、美羽の目尻の涙を指で拭った。

「ほら、泣かないの! 可愛い顔が台無しじゃないの!
 今日から仕事なんだから、笑顔でいくよ!!」
「うんっ」

 ひまわりのような力強い笑顔の香織に、逆に励まされてしまう。
 
 かおりん、強いな。
 私も、かおりんみたいに強くなれたら良かったのに。
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