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320.無責任な母親

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「遅いわねぇ、圭子。もうあれから4時間経つっていうのに」

 琴子がイライラした口調で呟いた。

 圭子のスマホに電話していた義昭が、チッと舌打ちをする。

「あいつ、電源切ってる」

 美羽は心の中で溜息を吐いた。

 洗濯物を終えてリビングに下りていくと、見事に色ペンで壁や床に落書きがされていた。今は、それを必死に消しているところだ。アルコールの匂いがそこら中に漂い、鼻がツンとする。何度も根気強く擦ったおかげで色はかなり薄くなったものの、完全には消えていない。

 小さい子に、油性ペンなんて渡した私が悪いんだよね。

 琴子がトイレに行った僅かの隙の出来事だったらしい。しかも、義昭はすぐ側にいたのにTVを見ていて気がつかなかったという。

 そのペンだが、もう落書きされるといけないからとほのかの手から琴子が取り上げようとしたのだが、その途端にほのかはギャン泣きし、床に寝転がって足をバタバタさせた。近所中に響くほどの喚き声で、耳が聞こえなくなってしまうのではないかと思うほどキーンと強く響いて、痛くなった。
 
 強請っても、怒っても、泣き真似を見せても通用しないほのかに琴子はほとほと疲れ果て、チョコレートと交換することでなんとか収まったのだった。

 確かに子育ては自分の意思ではどうにもならないことが多く、子供に振り回されっぱなしでストレスも溜まる。僅かな時間一緒にいるだけでそう思うのだから、一日中となると相当だろう。

 だからと言って、圭子の行為が許されるわけではないが。

 圭子がほのかを置き去りにしてから6時間が経った。もう時刻は夜の7時だ。

 既にほのかには夕飯を食べさせ、お風呂にも入れた。着替えがなかったため、琴子がほのかをお風呂に入れている間に美羽は急いで子供服を売っているお店をネットで検索し、子供用のパジャマと下着、それから歯ブラシと子供用の歯磨き粉まで購入した。

 救いは、ほのかが琴子に懐いており、ママ、ママと騒ぎ立てないことだ。

 お風呂に入って歯磨きを終えたほのかは眠くなってきたらしく、琴子が子守唄を歌ってやると膝の上ですやすやと眠り始めた。

 電話が鳴り、美羽はピクッと耳を揺らし、走って受話器を受けとった。

「もしもしっ!」
『あ、美羽さーん?』

 圭子だ。
 パチンコ店の中から電話を掛けているらしく、音が煩くてよく聞き取れない。

「圭子さんっっ、何してるんですか!? 早くほのかちゃん迎えにきてあげてください! もう寝ちゃってますよ!!」
 
 大声を上げたいが、ほのかが側で寝ているのでほのかを起こさない最大限の音量で感情を込めて伝える。

『えっ、何!? 寝かしつけまでしてくれたの!? ラッキー♪
 じゃあさ、今日はそっちで寝かせてよ。今、確変来てて当分帰れそうにないのよ。じゃ、明日の朝迎えに行くから!』
「ちょ、ちょっと待ってっっ!」

 美羽の声も虚しく、電話は既に切れていた。

 その後、義昭が圭子のスマホにすぐ電話したが、電源を切られた後だった。

「どう、しよう……」

 琴子と義昭と3人で顔を見合わせていると、また電話が掛かってきた。

「僕が出る」

 義昭が受話器を取る。

「おい圭子! お前いったい!! ……ぁ、晃さん、でしたか。

 ……えぇ、実は圭子がほのかをうちの玄関前に置き去りにしてパチンコに行ったようで。2、3時間で迎えに行くと言っておきながら、先ほど、明日の朝に迎えに行くと電話があったんですよ。

 ……はい、分かりました。よろしくお願いします」

 受話器を戻し、義昭がフゥと溜息を吐いた。

「これから迎えに来るそうだ。圭子の行ってるパチンコ屋も目星がついてるから、その後で迎えに行くらしい」

 琴子がホッと安堵した。

「晃さんに繋がって、良かったわ」
「仕事終わって家に帰ったら、実家からは圭子が勝手に帰ったって怒りの電話が来るし、当の圭子とほのかはいないしで、こっちに電話をかけてきたらしい」

 美羽は類の部屋にチラッと視線を向けた。類はずっと部屋に籠りきりで、出てこない。

 圭子たちのいざこざに巻き込まれたくないためか、それとも自分を避けているのか……

 美羽の心に、モヤモヤした感情が広がっていく。

 それから30分ほどして、晃が迎えに来た。ほのかはもちろん、完全に眠っている。

「なんか、うちの奴が迷惑かけたみたいで……」

 眠ったほのかを腕に抱き、さすがに晃も恐縮していた。階段を下りてくる音が響き、琴子がボストンバッグを手に玄関へと歩いてきた。

「義くん。ほのちゃんが心配だし、圭子のこともあるから、私もこのまま晃さんと一緒に帰るわ」
「そうか? もっとゆっくりしてってくれても良かったんだが」

 よ、義昭さん……

 引き止めるような義昭のセリフに、美羽は琴子の気が変わったらとおろおろした。

 だが、琴子の心は決まっているようだった。

「また近いうちにでも遊びにくるわ。類くんによろしくね。
 美羽さん、あの……落書きのこと、ごめんなさいねぇ。今日は疲れたでしょうから、ゆっくり休んでちょうだいね」
「はい……ありがとうございます」

 パタンと扉が閉まる。

 見送り終えると、ドッと疲れが出てきた。
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