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309.謀略
しおりを挟む「瞑想中よっっ!!」
『誰も入ってくるな』という意味での返事だが、リョウは臆さなかった。
「先生。白湯をお持ち致しました」
声を掛けたのがリョウと知って、高槻の気が揺れる。それから暫くして、ゆっくりと扉が開いた。
「お入んなさい」
高槻は威厳を保とうとしていたが、目が落ち窪んで憔悴し、その下にはくっきりとした隈があり、土気色の顔には疲れが滲み出ていた。
リョウを迎え入れると、高槻は黒革のソファに沈み込んだ。目を閉じて両瞼を指で押さえ、首をゴリゴリと回す。
「白湯を」
目を閉じたまま、高槻がリョウに告げる。お盆からティーカップを手に取ると、リョウはそっと高槻の目の前のテーブルに置いた。
目を開け、ティーカップを手にして白湯に口をつけた高槻に、リョウが小さく尋ねた。
「何か……他の飲み物の方が、良かったですか?」
ティーカップを置き、高槻はリョウを見上げた。相変わらず表情のない、いつもの顔だが、なぜか今日は強く心が揺さぶられ、胸が騒いだ。
立ち上がり、飾り棚からヘネシーのリシャールを取り出すと、リョウに渡した。
「付き合いなさい」
「先生がおっしゃるなら、喜んで」
リョウは眼鏡を外し、微笑んだ。その笑顔に、高槻の心臓がトクッと跳ねる。
この子……こんなに、魅力的だったかしら。
動揺を押し隠し、高槻はリョウにグラスと氷を用意させた。彼の手によって、ブランデーが二人分のグラスに注がれる。
「先生、どうぞ」
「ありがと」
普段は前髪と太い黒縁眼鏡によって阻まれているリョウの瞳が、今は障害が取り除かれ、近いためか、やけに大きくキラキラと輝いて見える。まるで磁力のように、強く惹きつけられる。
「コホン……じゃ、乾杯しましょ」
「はい。乾杯」
グラスを重ね合わせ、ブランデーを傾ける。高槻の喉だけでなく、胸まで熱く焼け付いてくる。
いつもより、酔いが早く回りそうな予感がした。
「先生……お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
リョウが気遣わしげな表情と声で、高槻を労る。
「ぇ。えぇ……あなたこそ、大祈祷祭の最中に抜け出すなんて……大丈夫なの?」
そう。今は大祈祷祭の最中であり、信者は基本的に部屋から出ることを禁止されている。たとえ幹部であるリョウであっても、見つかったらただでは済まされない。それほどに、神聖な儀式だとされているからだ。
その時、高槻の頭に疑問が浮かび上がった。
リョウジもお神酒を飲んでいるはずなのに……どうしてこんなに普通でいられるの? この子には、効かないのかしら?
リョウは動揺を表に出すことなく、漆黒に輝く黒曜石のような瞳で真っ直ぐに高槻を見つめた。
「申し訳、ありません……規則を破ったことに対する罰は受けます。
それ、でも……先生のことが、心配で。居ても立ってもいられませんでした」
「ッッ……」
違うっ!!
この子もまた、あの女のように性欲が高まっているんだわ。私を求めて、わざわざ部屋まで訪ねてくるなんて……可愛いじゃない。
高槻の頰がピンクに染まったのは、ブランデーのせいばかりではなかった。リョウは瞳をとろんとさせ、自分のグラスをテーブルに置いた。
「もしお疲れでしたら……僕で良ければ、マッサージしますが?」
「そ、そうねっ! お願いするわっ」
高槻は勢い込んで返事をしてからハッとした。
何、動揺してるのよ……今までだって、数多の男に誘われてきたじゃない。
私だって、まだ女としての魅力があるのよ。あの、女……青井華江になんか、負けるはずないわ。
華江への嫉妬心が、今度は対抗心へと変化する。
「こちらで、よろしいですか?」
高槻は現実へと引き戻され、リョウが指差すソファへと視線を向けた。それから、グラスに残っていたブランデーを一気に空け、指示した。
「ここでは狭いから、寝室にしましょ」
それを聞き、漆黒の闇のようなリョウの瞳がキラリと刃のように光った。
「その服、皺になりませんか?」
「ぇ?」
寝室へと向かおうとしていた高槻は、リョウに振り返った。
「い、いぇ……高級そうな素材でしたので」
高槻は冥想の後、会場に戻るつもりだったので紫のスパンコールのドレスを着たままだった。
「そ、そうね。そうよね、皺になったら困るわね。
じゃあ、バスローブに着替えるわ」
リョウは安堵した笑みを見せた。
「では、僕は着替え終わった頃を見計らって寝室の扉をノックしますね」
「え。えぇ……そうして頂戴」
高槻はそそくさと寝室へ向かい、扉を閉めた。冷たく静かな空間に、高槻の鼓動だけが騒がしく響く。
あの子、本気で私を抱きたいのかしら。
それは、教祖としての自分を敬い、憧れている気持ちから来ているものなのか。
高槻をひとりの女性として魅力的に感じ、恋心を持っているのか。
それとも、お神酒の毒に浮かされているのか……
リョウの真意は分からない。
そんなのは、この際どうでもいいのよ。
リョウジが、私を抱いてくれるなら。
高槻は若いリョウに抱かれることで、再び女性としての自尊心を取り戻し、華江に対して鼻を明かしてやりたいという気持ちでいっぱいだった。
私はまだ女盛りなのよ。
だから、リョウジだって夢中にさせてみせるわ。
あんな年老いた男たちに抱かれて悦ぶような、淫乱女とは違うんだから。見てなさい。
「フッ。フフフッ……」
高槻は肩を震わせてニヤリと笑った。
一方、扉の向こうでは、リョウがグッと拳を握り、瞳を閉じていた。
いよ、いよだ……
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