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283.唱和

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 演台の前に立った高槻は会場全体を見回し、信者たちに慈しむような微笑みを見せた。

「皆様、こんにちは」
『こんにちはー!!』

 すぐさま、信者から大きな声が返ってくる。

「本日は、こちらに暮らしている教徒さんだけでなく、遠方からもたくさんの教徒さんが来てくださり、が一同に会したことを嬉しく思います。『幸福阿吽教』は、自身の幸せだけではなく、家族の幸せ、そして世界平和のために祈りを捧げることをモットーとしております。私たちは愛に溢れた、ひとつの大家族なのです。それを皆様で共に感じ、幸福になりましょう」

 ワーッと大歓声が上がる。

 普段この施設は、外部との交流が閉ざされている。年に二度開催される唱和会のみ、通いの信者は本部に入ることを許されていた。

 支部会に高槻が顔を見せることは滅多にないため、各地で開催される講演会やセミナー、もしくは唱和会に参加するしか、通いの信者たちが高槻と直接会う機会はない。
 
 それもあり、華江は出家することを強く切望していたのだろう。

 高槻は、幸福阿吽教の教義について語り始めた。いつでも『幸福阿吽』と唱え、感謝の気持ちで毎日暮らし、祈りを捧げなさいと。この教義を知らないものは不幸になり、教義を知っていながらも裏切るような人間がいれば、とてつもない不幸が身に降り掛かり、地獄に堕ちると脅す場面もあった。

「あぁ、皆さん……感じますか。今この瞬間にも、私たちの愛の救いの手を待っている人たちの魂の叫びが、鼓動が。
『幸福阿吽』の教えを知っている私たちだけが、真の幸福に辿り着き、涅槃ねはんへと導かれるのです」

 高槻の言葉ひとつひとつに『はいっ!』と信者たちが力強く答える。

 美羽はこの教義を聞くたびに、矛盾を抱く。

 信仰は個人の自由意思であり、宗教を崇拝することは自分が幸福になるためのひとつの方法だと美羽は考えている。だから、その宗教を信じていないからといって不幸になるだとか、裏切ったから地獄に堕ちると言われると、本当にそうなのかと疑問が浮かぶのだ。

 しかも、高槻は先ほど『世界平和のために祈りましょう』と話しておきながら、その同じ口で『裏切れば地獄に堕ちる』と明言している。どうして皆が盲目的に高槻の話を受け入れられるのか、理解できない。

 けれど美羽がここで反論などすれば、自分こそが悪であると、よってたかって袋叩きにされるに違いない。美羽は黙って、話を聞いていた。

「では皆さん、ご一緒に唱和致しましょう。共に愛を、宇宙を、魂の響きを感じましょう」

 舞台中央に設けられた階段からステージを下りる高槻をスポットライトが追いかける。まるでモーゼが海を歩いているかのように人の波がサーッと動き、高槻を大広間の中心へと誘導した。

 正座で鎮座した高槻は瞳を閉じ、背筋を伸ばした。スーッと息を吸い、大声で唱える。

「幸福阿吽! 幸福阿吽! 幸福阿吽!」

 高槻を中心にできた輪もまた同じように正座し、高槻に続いて唱和する。

『幸福阿吽! 幸福阿吽! 幸福阿吽!』

 美羽は輪の一番外側に座り、皆が唱和するのを見つめていた。

 繰り返される音が耳にグワングワンと響き、鼓膜が揺さぶられる。人から吐き出される息と放出される躰の熱だけではない、熱気が会場全体を包み込んでいた。

 そのうちに、美羽自身の躰も熱くなり、唱和の音以外何も聞こえなくなる。意識が遠退いていくような不思議な感覚になり、陶酔していく。皆の意識が高揚していき、会場の温度まで上げているような気になる。

 目を閉じると、まるで自分の周りを人々が取り囲み、唱和しているかのように感じた。

 確かに、この言葉マントラには力があるのかもしれない。けれど、安易に踏み込んではいけないと警鐘する自分がいる。

『幸福阿吽! 幸福阿吽! 幸福阿吽!』

 高槻の躰が、次第に波のように揺れ始める。

 それと同時に信者もゆらゆらと躰を揺らし始めた。皆が一体となり、興奮が一気に高まり、トランス状態になっていく。中には、激しく頭を上下させたり、躰を痙攣させる者もいた。

 唱和の声は一層高まり、その音に脳が支配され、染み込んでいく。異様な高揚感の渦が巻き起こっている。

 美羽と同じく遠慮がちに隅に座って眺めていたはずの同類が、ひとり、またひとりとその渦に呑み込まれていく。頬を赤らめ、気持ちよさそうに躰を揺らす様は、一種のエクスタシーさえも感じさせた。

 美羽の固く閉じていた口の緊張が解けていき、ゆっくりと開いていく。
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