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279.お布施
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隼斗が運転手に料金を支払い、礼を告げるとタクシーを降りる。
駐車場には30台ほどの乗用車と2台のバンが停まっていた。バンの車体の横には、大きく『幸福阿吽教』の文字が入っている。古そうな見た目からして、『健康センター』の文字をペンキで塗り潰して書き換えたのだろう。
連絡すれば最寄駅まで無料で送迎してもらえるのだが、義昭と来た時でさえ、このサービスを利用したことはなかった。
ガラス張りになっている正面扉の横に掛けられた表札、『幸福阿吽教 大本部』が視界に入り、美羽は小さく溜息を吐いた。
「行く、か」
隼斗に無言で頷き、ついていく。建物全体が淀んだオーラを纏っているように感じ、足取りが重い。
自動扉を抜けると広い玄関があり、低い段を上がった先が絨毯敷のロビーとなっている。館内にはピアノ演奏によるゆったりとしたBGMが流れているが、これが先生の作曲したものだと知っているため、洗脳に思えてならない。
脱いだ靴を持ってずらっと並んだ下駄箱へと歩き、一足分がようやく入るスペースにそれを入れ、番号札のついた鍵を取る。
いつもと同じ光景のはずだが、なんとなく違和感を覚え、歩きかけた足が立ち止まる。だが、すぐに気を取り直し、カウンターへと向かった。
受付には、白い作務衣に身を包んだ女性が立っていた。見たところ、美羽と年齢が同じか少し若いぐらいだ。いったいどういう経緯で、ここに来ることになったのかと疑問を覚えていると、
「こんにちはぁ! 幸福阿吽教、大本部へようこそ!」
こちらが驚くような大声と笑顔で挨拶された。
「ぁ。はぁ……お世話に、なっております」
本部の雰囲気もそうだが、そこで暮らす信者たちの対応もまた、美羽を戸惑わせる。まるで笑顔のはりついたロボットと話しているような、奇妙な落ち着かない気持ちにさせられる。
「新年唱和会へご参加の、通いの信者の方ですね!」
「ぇ、と……」
美羽は口籠った。
華江が『幸福阿吽教』に傾倒していく中、美羽も信者として無理やり入信させられているし、義昭もここで結婚式を挙げた時に騙された形で入信していた。だから、信者かと尋ねられればそうなのだが、それを認めてしまうことに抵抗があった。
そんな美羽を庇うようにして、隼斗が動揺を一切見せることなく、淡々と告げる。
「青井拓斗と華江の家族です。面会に来ました」
隼斗もまた『幸福阿吽教』の信者として名前を連ねているものの、自分が信者であるというつもりはなかった。
妻の病気をきっかけにして拓斗が『幸福阿吽教』に入信し、崇拝するようになってからも、自分は関係ないと隼斗は入信を拒絶し、父親からの説得を無視していた。
だが、父親が再婚後、年に二度開催される唱和会に同行させられる美羽が帰ってくるたびに心身衰弱していることが心配になり、唱和会には信者でないと参加できないからという理由で入信したのだった。
もちろん隼斗はそんなことは美羽に話していないが、美羽も自分が原因で隼斗が入信したであろうことは気づいていた。それ以外の理由が見当たらないからだ。
当初、福岡には転勤という形で引っ越した拓斗たちだったが、その後拓斗は退職し、今ではこの教団に華江とともに出家者として身を置いている。どんな経緯でそうなったのか、美羽は詳しいことは聞いていない。
これは、母の一存で決まったのではないかと美羽は考えている。華江は拓斗よりも熱心であり、宗教というより先生自身に盲信していたからだ。
前回ここに来た時は紙の信者名簿にて家族の名前を確認していたが、今回は女性がパソコンの画面を確認しながら、マウスを手にクリックしている。
「それでは、身分証を提示していただけますか」
指示にしたがい、それぞれの財布から隼斗は免許証、美羽は健康保険証を提示した。
確認が終わると、女性が先ほどの張り付いたような笑顔を再び見せた。
「では、お布施をお願いします」
「ぇ、ここで……ですか?」
「はい。こちらにて受け取り、先生にご報告します」
今までは大広間に大勢の信者が集う中、ひとりひとりステージに上がって先生に挨拶し、お布施を直接渡していた。その際、司会を務める信者が中身を開け、お金を数え、声高に発表するのだった。
お布施は自分で金額を好きなだけ決められることになっているが、1口1万円で、最低10口以上というのが暗黙のルールになっている。もちろん、金額が多ければ多いほど、組織の中で優遇される。
手渡しされたお布施の金額をいちいち書き込むやり方では収支管理が面倒だし、信者からのお布施金額をデータ化しにくいという点から、システム化されたのだろう。それは時代の流れからいって当然なのかもしれないが、田舎の寂れた健康センターを根城にしている怪しげな新興宗教団体にもハイテク化の波が訪れたことに密かに驚いていた。
なんにしても、あの不快な儀式をやらなくていいことにホッとした。
駐車場には30台ほどの乗用車と2台のバンが停まっていた。バンの車体の横には、大きく『幸福阿吽教』の文字が入っている。古そうな見た目からして、『健康センター』の文字をペンキで塗り潰して書き換えたのだろう。
連絡すれば最寄駅まで無料で送迎してもらえるのだが、義昭と来た時でさえ、このサービスを利用したことはなかった。
ガラス張りになっている正面扉の横に掛けられた表札、『幸福阿吽教 大本部』が視界に入り、美羽は小さく溜息を吐いた。
「行く、か」
隼斗に無言で頷き、ついていく。建物全体が淀んだオーラを纏っているように感じ、足取りが重い。
自動扉を抜けると広い玄関があり、低い段を上がった先が絨毯敷のロビーとなっている。館内にはピアノ演奏によるゆったりとしたBGMが流れているが、これが先生の作曲したものだと知っているため、洗脳に思えてならない。
脱いだ靴を持ってずらっと並んだ下駄箱へと歩き、一足分がようやく入るスペースにそれを入れ、番号札のついた鍵を取る。
いつもと同じ光景のはずだが、なんとなく違和感を覚え、歩きかけた足が立ち止まる。だが、すぐに気を取り直し、カウンターへと向かった。
受付には、白い作務衣に身を包んだ女性が立っていた。見たところ、美羽と年齢が同じか少し若いぐらいだ。いったいどういう経緯で、ここに来ることになったのかと疑問を覚えていると、
「こんにちはぁ! 幸福阿吽教、大本部へようこそ!」
こちらが驚くような大声と笑顔で挨拶された。
「ぁ。はぁ……お世話に、なっております」
本部の雰囲気もそうだが、そこで暮らす信者たちの対応もまた、美羽を戸惑わせる。まるで笑顔のはりついたロボットと話しているような、奇妙な落ち着かない気持ちにさせられる。
「新年唱和会へご参加の、通いの信者の方ですね!」
「ぇ、と……」
美羽は口籠った。
華江が『幸福阿吽教』に傾倒していく中、美羽も信者として無理やり入信させられているし、義昭もここで結婚式を挙げた時に騙された形で入信していた。だから、信者かと尋ねられればそうなのだが、それを認めてしまうことに抵抗があった。
そんな美羽を庇うようにして、隼斗が動揺を一切見せることなく、淡々と告げる。
「青井拓斗と華江の家族です。面会に来ました」
隼斗もまた『幸福阿吽教』の信者として名前を連ねているものの、自分が信者であるというつもりはなかった。
妻の病気をきっかけにして拓斗が『幸福阿吽教』に入信し、崇拝するようになってからも、自分は関係ないと隼斗は入信を拒絶し、父親からの説得を無視していた。
だが、父親が再婚後、年に二度開催される唱和会に同行させられる美羽が帰ってくるたびに心身衰弱していることが心配になり、唱和会には信者でないと参加できないからという理由で入信したのだった。
もちろん隼斗はそんなことは美羽に話していないが、美羽も自分が原因で隼斗が入信したであろうことは気づいていた。それ以外の理由が見当たらないからだ。
当初、福岡には転勤という形で引っ越した拓斗たちだったが、その後拓斗は退職し、今ではこの教団に華江とともに出家者として身を置いている。どんな経緯でそうなったのか、美羽は詳しいことは聞いていない。
これは、母の一存で決まったのではないかと美羽は考えている。華江は拓斗よりも熱心であり、宗教というより先生自身に盲信していたからだ。
前回ここに来た時は紙の信者名簿にて家族の名前を確認していたが、今回は女性がパソコンの画面を確認しながら、マウスを手にクリックしている。
「それでは、身分証を提示していただけますか」
指示にしたがい、それぞれの財布から隼斗は免許証、美羽は健康保険証を提示した。
確認が終わると、女性が先ほどの張り付いたような笑顔を再び見せた。
「では、お布施をお願いします」
「ぇ、ここで……ですか?」
「はい。こちらにて受け取り、先生にご報告します」
今までは大広間に大勢の信者が集う中、ひとりひとりステージに上がって先生に挨拶し、お布施を直接渡していた。その際、司会を務める信者が中身を開け、お金を数え、声高に発表するのだった。
お布施は自分で金額を好きなだけ決められることになっているが、1口1万円で、最低10口以上というのが暗黙のルールになっている。もちろん、金額が多ければ多いほど、組織の中で優遇される。
手渡しされたお布施の金額をいちいち書き込むやり方では収支管理が面倒だし、信者からのお布施金額をデータ化しにくいという点から、システム化されたのだろう。それは時代の流れからいって当然なのかもしれないが、田舎の寂れた健康センターを根城にしている怪しげな新興宗教団体にもハイテク化の波が訪れたことに密かに驚いていた。
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