236 / 498
230.言い訳
しおりを挟む
怖くて目を合わせられずにいる美羽の上から、隼斗が短く息を吐く音が響いた。
「まぁ……あの人に会いたいってことはないだろうから、何か事情があるとは思ったけど。
義昭くんと喧嘩でもしたのか?」
怒っているかと思ったが、隼斗の声は意外にも柔らかいものだった。
義昭さんと、喧嘩……
美羽は昨夜の忌まわしい出来事を思い出し、ゾクゾクと背中を震わせた。あんなことを、隼斗に打ち明けられるはずがない。
どうして隼斗兄さんは、私が義昭さんと喧嘩しただなんて思ったんだろう。義昭さんの愚痴なんて、零したことなかったのに。
そう考えてから、ふと思い出した。
美羽が香織の家に泊まった翌朝、浩平が美羽の着ているコートが香織と同じものだと指摘した時、隼斗も側にいた。美羽と義昭が喧嘩したことを香織が隼斗に話すとは思えないから、おそらく彼なりに何か察したのだろう。
義昭との夫婦仲を話せば、そこから糸が解れて類のことを感づかれてしまうかもしれない。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
隼斗を義昭の家のごたごたに巻き込みたくはないが、それ以上に類や義昭との関係性を知られたくなかった。
「ち、がうの……
実は……義昭さんのお母さんが離婚を切り出して……今、大変な騒ぎになってて……凄く、居づらいの。
お義母さんは義昭さんの妹夫婦と同居することになったんだけど、明日から二日間は旦那さんの実家に行くらしくて、その間私たちの家にお義母さんが来ることになって、それで義昭さんがついててあげることになったの。
義昭さんの体調が悪いなんて嘘をついて、ごめんなさい」
美羽はなるべく核心に触れないよう、言葉を選びながらゆっくりと理由を説明した。
「どうしてそれを、早く言わなかったんだ?」
隼斗に聞かれ、美羽の背中を脂汗が伝う。
「まだ……離婚するって正式に決まったわけじゃないし、隼斗兄さんに余計な心配をかけたく、なくて……」
「ほんとに、それだけか?」
隼斗に言われ、美羽は小さく肩を震わせた。
本当にそれだけなら、義母を連れて家に戻り、翌朝美羽だけが隼斗と福岡に発つことも出来た。義両親の離婚問題には触れずに、早めに家に戻ってきたと言うことだって出来たはずだ。
それなのに、美羽は隼斗に嘘をついてまで今日迎えに来てもらったのだ。隼斗に不審に思われても仕方ない。
咎めるのではなく、心から心配しているような隼斗の声音に、頑なになっていた美羽の心が溶かされる。
「……お義母さんが晃さん夫婦と同居する際の生活費や離婚にかかる慰謝料請求にかかる費用を、うちで負担することになって。圭子さんは今のアパートは狭いから新しくマンションに引っ越したがってるんだけど、その頭金も要求されて……お父さんから受け取った遺産から払って欲しいって言われたの。
わた、し……遺産なんて受け取るつもりなかったけど、大切なお父さんのお金をあの人たちに渡すなんて嫌で。あそこにいたら、ずっとお金を渡せって言われそうで逃げ出したかったの。
それ、で……そんな時に隼斗兄さんから電話がかかってきたから、つい縋っちゃって。本当に、ごめんなさい」
美羽は、深くうな垂れた。
「義昭くんに美羽の気持ちを話せば、分かってくれるんじゃないか?」
「ッッ!!」
そう、普通こんな時に頼るべきは夫だ。それなのに、義兄に頼ってしまうなんておかしい。
「義、昭さんも……私の遺産には手をつけさせないって言ってくれたけど、お義母さんには強く言えないし、圭子さんとは元々折り合いが悪いから言い争いになっちゃって。
だ、から……あの場にいたくなかったの」
美羽は消え入るような声で説明した。
隼斗は美羽の話を黙って聞き、話し終えてからも沈黙したままだった。
寡黙な隼斗が静かにしていることは珍しくないし、美羽はそれを心地いいとも感じていたが、今の沈黙の時間は美羽にとって判決を待つ罪人のような気持ちだった。
自分勝手な理由で隼斗兄さんを振り回したんだから、怒るのも当然だよね……
美羽が落ち込んでいると、隼斗が息を吸う音が聞こえた。
「じゃあ、出発は明日でいいんだな?」
隼斗に確認され、美羽は首を小さく縦に振った。
小動物のように震える美羽の頭上から、クスッと隼斗の笑いが零れる。
「じゃ、まずはどっかで飯でも食うか。腹が減った」
その言葉に美羽は顔を上げ、マジマジと隼斗を見つめた。
それと共に、急にお腹が空いてきた。考えてみれば、今日はまともにご飯を食べていなかったし、昨日も食事をしているような気分ではなかった。
「うん、私も……」
美羽が照れ臭そうに微笑むと、隼斗は安心したように目を細めて微笑んだ。
「まぁ……あの人に会いたいってことはないだろうから、何か事情があるとは思ったけど。
義昭くんと喧嘩でもしたのか?」
怒っているかと思ったが、隼斗の声は意外にも柔らかいものだった。
義昭さんと、喧嘩……
美羽は昨夜の忌まわしい出来事を思い出し、ゾクゾクと背中を震わせた。あんなことを、隼斗に打ち明けられるはずがない。
どうして隼斗兄さんは、私が義昭さんと喧嘩しただなんて思ったんだろう。義昭さんの愚痴なんて、零したことなかったのに。
そう考えてから、ふと思い出した。
美羽が香織の家に泊まった翌朝、浩平が美羽の着ているコートが香織と同じものだと指摘した時、隼斗も側にいた。美羽と義昭が喧嘩したことを香織が隼斗に話すとは思えないから、おそらく彼なりに何か察したのだろう。
義昭との夫婦仲を話せば、そこから糸が解れて類のことを感づかれてしまうかもしれない。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
隼斗を義昭の家のごたごたに巻き込みたくはないが、それ以上に類や義昭との関係性を知られたくなかった。
「ち、がうの……
実は……義昭さんのお母さんが離婚を切り出して……今、大変な騒ぎになってて……凄く、居づらいの。
お義母さんは義昭さんの妹夫婦と同居することになったんだけど、明日から二日間は旦那さんの実家に行くらしくて、その間私たちの家にお義母さんが来ることになって、それで義昭さんがついててあげることになったの。
義昭さんの体調が悪いなんて嘘をついて、ごめんなさい」
美羽はなるべく核心に触れないよう、言葉を選びながらゆっくりと理由を説明した。
「どうしてそれを、早く言わなかったんだ?」
隼斗に聞かれ、美羽の背中を脂汗が伝う。
「まだ……離婚するって正式に決まったわけじゃないし、隼斗兄さんに余計な心配をかけたく、なくて……」
「ほんとに、それだけか?」
隼斗に言われ、美羽は小さく肩を震わせた。
本当にそれだけなら、義母を連れて家に戻り、翌朝美羽だけが隼斗と福岡に発つことも出来た。義両親の離婚問題には触れずに、早めに家に戻ってきたと言うことだって出来たはずだ。
それなのに、美羽は隼斗に嘘をついてまで今日迎えに来てもらったのだ。隼斗に不審に思われても仕方ない。
咎めるのではなく、心から心配しているような隼斗の声音に、頑なになっていた美羽の心が溶かされる。
「……お義母さんが晃さん夫婦と同居する際の生活費や離婚にかかる慰謝料請求にかかる費用を、うちで負担することになって。圭子さんは今のアパートは狭いから新しくマンションに引っ越したがってるんだけど、その頭金も要求されて……お父さんから受け取った遺産から払って欲しいって言われたの。
わた、し……遺産なんて受け取るつもりなかったけど、大切なお父さんのお金をあの人たちに渡すなんて嫌で。あそこにいたら、ずっとお金を渡せって言われそうで逃げ出したかったの。
それ、で……そんな時に隼斗兄さんから電話がかかってきたから、つい縋っちゃって。本当に、ごめんなさい」
美羽は、深くうな垂れた。
「義昭くんに美羽の気持ちを話せば、分かってくれるんじゃないか?」
「ッッ!!」
そう、普通こんな時に頼るべきは夫だ。それなのに、義兄に頼ってしまうなんておかしい。
「義、昭さんも……私の遺産には手をつけさせないって言ってくれたけど、お義母さんには強く言えないし、圭子さんとは元々折り合いが悪いから言い争いになっちゃって。
だ、から……あの場にいたくなかったの」
美羽は消え入るような声で説明した。
隼斗は美羽の話を黙って聞き、話し終えてからも沈黙したままだった。
寡黙な隼斗が静かにしていることは珍しくないし、美羽はそれを心地いいとも感じていたが、今の沈黙の時間は美羽にとって判決を待つ罪人のような気持ちだった。
自分勝手な理由で隼斗兄さんを振り回したんだから、怒るのも当然だよね……
美羽が落ち込んでいると、隼斗が息を吸う音が聞こえた。
「じゃあ、出発は明日でいいんだな?」
隼斗に確認され、美羽は首を小さく縦に振った。
小動物のように震える美羽の頭上から、クスッと隼斗の笑いが零れる。
「じゃ、まずはどっかで飯でも食うか。腹が減った」
その言葉に美羽は顔を上げ、マジマジと隼斗を見つめた。
それと共に、急にお腹が空いてきた。考えてみれば、今日はまともにご飯を食べていなかったし、昨日も食事をしているような気分ではなかった。
「うん、私も……」
美羽が照れ臭そうに微笑むと、隼斗は安心したように目を細めて微笑んだ。
0
お気に入りに追加
224
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる