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230.言い訳

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 怖くて目を合わせられずにいる美羽の上から、隼斗が短く息を吐く音が響いた。

「まぁ……あの人に会いたいってことはないだろうから、何か事情があるとは思ったけど。
 義昭くんと喧嘩でもしたのか?」

 怒っているかと思ったが、隼斗の声は意外にも柔らかいものだった。

 義昭さんと、喧嘩……

 美羽は昨夜の忌まわしい出来事を思い出し、ゾクゾクと背中を震わせた。あんなことを、隼斗に打ち明けられるはずがない。

 どうして隼斗兄さんは、私が義昭さんと喧嘩しただなんて思ったんだろう。義昭さんの愚痴なんて、零したことなかったのに。

 そう考えてから、ふと思い出した。

 美羽が香織の家に泊まった翌朝、浩平が美羽の着ているコートが香織と同じものだと指摘した時、隼斗も側にいた。美羽と義昭が喧嘩したことを香織が隼斗に話すとは思えないから、おそらく彼なりに何か察したのだろう。

 義昭との夫婦仲を話せば、そこから糸が解れて類のことを感づかれてしまうかもしれない。それだけは、絶対に阻止しなければならない。

 隼斗を義昭の家のごたごたに巻き込みたくはないが、それ以上に類や義昭との関係性を知られたくなかった。

「ち、がうの……
 実は……義昭さんのお母さんが離婚を切り出して……今、大変な騒ぎになってて……凄く、居づらいの。
 お義母さんは義昭さんの妹夫婦と同居することになったんだけど、明日から二日間は旦那さんの実家に行くらしくて、その間私たちの家にお義母さんが来ることになって、それで義昭さんがついててあげることになったの。

 義昭さんの体調が悪いなんて嘘をついて、ごめんなさい」

 美羽はなるべく核心に触れないよう、言葉を選びながらゆっくりと理由を説明した。

「どうしてそれを、早く言わなかったんだ?」

 隼斗に聞かれ、美羽の背中を脂汗が伝う。

「まだ……離婚するって正式に決まったわけじゃないし、隼斗兄さんに余計な心配をかけたく、なくて……」
「ほんとに、それだけか?」

 隼斗に言われ、美羽は小さく肩を震わせた。

 本当にそれだけなら、義母を連れて家に戻り、翌朝美羽だけが隼斗と福岡に発つことも出来た。義両親の離婚問題には触れずに、早めに家に戻ってきたと言うことだって出来たはずだ。

 それなのに、美羽は隼斗に嘘をついてまで今日迎えに来てもらったのだ。隼斗に不審に思われても仕方ない。

 咎めるのではなく、心から心配しているような隼斗の声音に、頑なになっていた美羽の心が溶かされる。

「……お義母さんが晃さん夫婦と同居する際の生活費や離婚にかかる慰謝料請求にかかる費用を、うちで負担することになって。圭子さんは今のアパートは狭いから新しくマンションに引っ越したがってるんだけど、その頭金も要求されて……お父さんから受け取った遺産から払って欲しいって言われたの。
 わた、し……遺産なんて受け取るつもりなかったけど、大切なお父さんのお金をあの人たちに渡すなんて嫌で。あそこにいたら、ずっとお金を渡せって言われそうで逃げ出したかったの。

 それ、で……そんな時に隼斗兄さんから電話がかかってきたから、つい縋っちゃって。本当に、ごめんなさい」

 美羽は、深くうな垂れた。

「義昭くんに美羽の気持ちを話せば、分かってくれるんじゃないか?」
「ッッ!!」

 そう、普通こんな時に頼るべきは夫だ。それなのに、義兄に頼ってしまうなんておかしい。

「義、昭さんも……私の遺産には手をつけさせないって言ってくれたけど、お義母さんには強く言えないし、圭子さんとは元々折り合いが悪いから言い争いになっちゃって。

 だ、から……あの場にいたくなかったの」
 
 美羽は消え入るような声で説明した。

 隼斗は美羽の話を黙って聞き、話し終えてからも沈黙したままだった。

 寡黙な隼斗が静かにしていることは珍しくないし、美羽はそれを心地いいとも感じていたが、今の沈黙の時間は美羽にとって判決を待つ罪人のような気持ちだった。  

 自分勝手な理由で隼斗兄さんを振り回したんだから、怒るのも当然だよね……

 美羽が落ち込んでいると、隼斗が息を吸う音が聞こえた。

「じゃあ、出発は明日でいいんだな?」

 隼斗に確認され、美羽は首を小さく縦に振った。

 小動物のように震える美羽の頭上から、クスッと隼斗の笑いが零れる。

「じゃ、まずはどっかで飯でも食うか。腹が減った」

 その言葉に美羽は顔を上げ、マジマジと隼斗を見つめた。

 それと共に、急にお腹が空いてきた。考えてみれば、今日はまともにご飯を食べていなかったし、昨日も食事をしているような気分ではなかった。

「うん、私も……」

 美羽が照れ臭そうに微笑むと、隼斗は安心したように目を細めて微笑んだ。
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