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208.積もり積もった不満
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大作は60歳で働いていた会社を定年退職し、その後再雇用制度を利用して同じ会社で相談役として働いていた。1年前に会社を辞めた時には、琴子からは契約が満了となったため退職したのだと聞かされていた。
その時、確か再雇用制度で働けるのは5年と聞いていたはずなのにと疑問に思ったが、きっと自分の聞き間違いで3年だったのだろうと考えたのだった。
驚きながら義昭に視線を向けると、どうやら父親がリストラされたことを知っていたようだ。プライドの高い大作は恐らく他の者には言わないように釘を刺したものの、琴子は溺愛している息子にだけは真実を話していたのだろう。
母親に口止めされていたとはいえ、妻である自分に1年もそのことを黙っていた義昭に、不信感が募っていく。
それほど口数が多くなかった琴子が、今までの鬱憤を晴らすがごとく感情的にまくし立てる。
「今まではどんなにあなたが横暴な態度を取ろうと、文句を言われようと、私はあなたの庇護にある身だからと思って耐えてきました。あなたが仕事をして、家を空けている時間があったからこそ、私は心の平穏を保ち、なんとか凌ぐことが出来ていたんです。
それが、あなたが家にいるようになってからというもの、毎日私のことを監視して、ご自分のストレスを八つ当たりするかのようになんでもかんでも難癖をつけてきて、お友達とお茶すら出来ず、買い物で少し遅くなるだけで不機嫌になって……そうする中で、私の離婚に対する迷いは、1日、1日と小さくなっていき、固められていきました。
私はあなたの小間使いでもなければ、ましてや奴隷じゃありません。
年が明ける前に離縁して、新たな年とともに人生をやり直します」
大作が鬼のような形相で顔を真っ赤にし、障子をガンと叩きつけた。障子があっけなく鴨居から外れてふわっと倒れ、ガンッと大きな音を立てて台所側の床に落ちる。そこからの冷気が一気にスッと入り込み、美羽は身を震わせた。
「ふざけるな! 今まで誰のお陰で生活出来てたと思うんだ!!」
全員が恐怖に怯える中、琴子だけは平然と大作を直視していた。
「そういう言い草が耐えられないんです。仕事だけしてお金さえ入れていれば夫として、父親としての役割をあなたは果たしてきたつもりでしょうけど、義昭が熱を出して私が夜中に病院に走った時も、圭子が家を飛び出して何日も帰ってこなかった時も、あなたの父親が寝たきりになって介護で大変だった時も、あなたは何もしてくれなかったじゃありませんか。
全ての家事や育児や介護の責任を私に押し付けて、『子供達に問題があるのは、私の躾が悪いから』、『父親に褥瘡が出来たのは、私がちゃんと介護してないから』と責めるだけ。
こんなの、夫だと、父親だと言えますか!?」
美羽は、琴子から家族の苦労話を聞いたことはなかった。美羽が義昭と出会った時には既に両祖父母は他界していたし、聞かされた思い出といえば義昭の自慢話ばかりだった。
美羽の中での琴子のイメージは、常に笑顔を絶やさず、大作に何を言われてもテキパキとこなし、息子の義昭に甘く、孫のほのかを溺愛する、静かで穏やかな女性だった。
心密かに大作への不平不満を募らせ、離婚への序章を描いていたことなど、夢にも思わなかった。これまでどれだけ琴子が狭い家庭の中で孤軍奮闘していたのかと想像すると、美羽の胸がきつく締め付けられた。
ーー琴子の過去は、美羽の未来となりえるかもしれないのだから。
今までにない強固な琴子の態度にたじろぎつつも、大作が反論した。
「お、お前に何が分かる!!
俺は何十年もの間、会社に全てを捧げ、自己を犠牲にして働いてきたんだ。
毎日満員電車に揺られて不快な思いをしながら通勤し、理不尽なことを言われても笑顔で取引先に対応し、頭の悪い上司や役員連中におべっかを使い、同僚から嫌味を言われ、足を引っ張られてもそれ以上の成果を上げることで見返し、部下の尻拭いをさせられながらも耐えてきた。
俺が努力と忍耐によって仕事を続けてきたからこそ、お前たちはのうのうと何不自由なく過ごすことが出来たんだ!
仕事をしていないお前が家を守り、子供の躾をし、親の介護をするのは当然だろう! 家でのんびり過ごしてきたくせに、文句を言うな!!」
きっと今まで誰にも頭など下げたことなく、会社でも威張り散らした態度で過ごしていたのだろうと考えていた美羽は、義父の想像もしていなかった職場での実態に密かに驚いた。
義父にしてみれば、職場で粉々に崩された自尊心を取り戻す場所が、家庭であったのかもしれない。家庭で支配者として振舞うことで、どんな辛い状況にも耐えてこられたのかもしれない。
大作にも同情の余地があり、言い分があるのかもしれない。だが、八つ当たりをされていた琴子にとっては、いい迷惑でしかなかっただろう。
その時、確か再雇用制度で働けるのは5年と聞いていたはずなのにと疑問に思ったが、きっと自分の聞き間違いで3年だったのだろうと考えたのだった。
驚きながら義昭に視線を向けると、どうやら父親がリストラされたことを知っていたようだ。プライドの高い大作は恐らく他の者には言わないように釘を刺したものの、琴子は溺愛している息子にだけは真実を話していたのだろう。
母親に口止めされていたとはいえ、妻である自分に1年もそのことを黙っていた義昭に、不信感が募っていく。
それほど口数が多くなかった琴子が、今までの鬱憤を晴らすがごとく感情的にまくし立てる。
「今まではどんなにあなたが横暴な態度を取ろうと、文句を言われようと、私はあなたの庇護にある身だからと思って耐えてきました。あなたが仕事をして、家を空けている時間があったからこそ、私は心の平穏を保ち、なんとか凌ぐことが出来ていたんです。
それが、あなたが家にいるようになってからというもの、毎日私のことを監視して、ご自分のストレスを八つ当たりするかのようになんでもかんでも難癖をつけてきて、お友達とお茶すら出来ず、買い物で少し遅くなるだけで不機嫌になって……そうする中で、私の離婚に対する迷いは、1日、1日と小さくなっていき、固められていきました。
私はあなたの小間使いでもなければ、ましてや奴隷じゃありません。
年が明ける前に離縁して、新たな年とともに人生をやり直します」
大作が鬼のような形相で顔を真っ赤にし、障子をガンと叩きつけた。障子があっけなく鴨居から外れてふわっと倒れ、ガンッと大きな音を立てて台所側の床に落ちる。そこからの冷気が一気にスッと入り込み、美羽は身を震わせた。
「ふざけるな! 今まで誰のお陰で生活出来てたと思うんだ!!」
全員が恐怖に怯える中、琴子だけは平然と大作を直視していた。
「そういう言い草が耐えられないんです。仕事だけしてお金さえ入れていれば夫として、父親としての役割をあなたは果たしてきたつもりでしょうけど、義昭が熱を出して私が夜中に病院に走った時も、圭子が家を飛び出して何日も帰ってこなかった時も、あなたの父親が寝たきりになって介護で大変だった時も、あなたは何もしてくれなかったじゃありませんか。
全ての家事や育児や介護の責任を私に押し付けて、『子供達に問題があるのは、私の躾が悪いから』、『父親に褥瘡が出来たのは、私がちゃんと介護してないから』と責めるだけ。
こんなの、夫だと、父親だと言えますか!?」
美羽は、琴子から家族の苦労話を聞いたことはなかった。美羽が義昭と出会った時には既に両祖父母は他界していたし、聞かされた思い出といえば義昭の自慢話ばかりだった。
美羽の中での琴子のイメージは、常に笑顔を絶やさず、大作に何を言われてもテキパキとこなし、息子の義昭に甘く、孫のほのかを溺愛する、静かで穏やかな女性だった。
心密かに大作への不平不満を募らせ、離婚への序章を描いていたことなど、夢にも思わなかった。これまでどれだけ琴子が狭い家庭の中で孤軍奮闘していたのかと想像すると、美羽の胸がきつく締め付けられた。
ーー琴子の過去は、美羽の未来となりえるかもしれないのだから。
今までにない強固な琴子の態度にたじろぎつつも、大作が反論した。
「お、お前に何が分かる!!
俺は何十年もの間、会社に全てを捧げ、自己を犠牲にして働いてきたんだ。
毎日満員電車に揺られて不快な思いをしながら通勤し、理不尽なことを言われても笑顔で取引先に対応し、頭の悪い上司や役員連中におべっかを使い、同僚から嫌味を言われ、足を引っ張られてもそれ以上の成果を上げることで見返し、部下の尻拭いをさせられながらも耐えてきた。
俺が努力と忍耐によって仕事を続けてきたからこそ、お前たちはのうのうと何不自由なく過ごすことが出来たんだ!
仕事をしていないお前が家を守り、子供の躾をし、親の介護をするのは当然だろう! 家でのんびり過ごしてきたくせに、文句を言うな!!」
きっと今まで誰にも頭など下げたことなく、会社でも威張り散らした態度で過ごしていたのだろうと考えていた美羽は、義父の想像もしていなかった職場での実態に密かに驚いた。
義父にしてみれば、職場で粉々に崩された自尊心を取り戻す場所が、家庭であったのかもしれない。家庭で支配者として振舞うことで、どんな辛い状況にも耐えてこられたのかもしれない。
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