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154.親友

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 開いたリビングの扉から、血相を変えた香織が飛び出してきた。



「か、かおりん……ック」



 香織の顔を見た途端、緊張の糸がプツンと切れ、美羽の瞳から涙が溢れ出した。

「ウゥ……ウッ……ッグ」
「えっ、ちょっ!? な、なになに!? 何があったの!?」

 香織は早足で玄関まで来ると藤岡を押し退け、美羽を抱き締めた。背の高い香織の胸にすっぽりと収まった美羽は、子供のように泣きじゃくった。

「ウッ、ウゥッ……ヒグッ……が、おりぃぃ……ウック」
「美羽……大丈夫、大丈夫だから……」

 香織の躰から雌の残り香が立ち上っている。まだその熱が、躰の深奥に籠っている。

 そんな状況なのに、無条件で自分を受け入れてくれる香織の優しさに痛みと申し訳なさと安堵を感じて、美羽は感情のままに泣き続けた。

「ご、ごめんなさい……迷惑、かけて」

 ひとしきり泣いてようやく落ち着きを取り戻した美羽は、香織に連れられてリビングのこたつに足を入れていた。氷のように冷たくなっていた足がじんわりと溶かされ、神経が通ってくる。足元から伝わる熱は、心まで温めてくれるようだった。

 テーブルの上には食べかけのケーキが2皿と飲みかけのコーヒーマグが2つ置かれていて、チクチクと美羽の胸が痛む。

 藤岡は所在なくうろうろしていたが、やがて玄関にジャケットを取りに行くと、タバコとライターを手にベランダへと消えていった。テーブルの隅に置かれた灰皿には二種類のタバコが捨てられていて、いつもならここで気兼ねなく吸っていることを思うと余計に申し訳なく感じた。

 ベランダの窓が閉まったのを確認して、香織がチラッと美羽の首元に視線を投げてから遠慮がちに口を開く。

「……義昭さんと、喧嘩でもしたの?」

 予想していた質問とはいえ、美羽はビクッと震えた。

 かおりんは、何も知らない。今日、義昭さんが家にいなかったことも。
 私が、弟である類と情交しようとしてたことも……その存在すら。

 過去に、何があったのかも。

 俯いて何も話さない美羽を見つめ、香織はハァ……と、溜息を吐いた。

「ま、喋りたくなら……無理に聞くつもりはないから」

 そんな香織の優しさに、再び涙が込み上げてきた。

「ごめ、ね……」

 ごめんね、かおりん。何も話せなくて、ごめんね……

 香織は何も言わなかった。

 重い沈黙が続く中、ベランダの窓がガラガラと開けられ、冷たい風に頬を撫でられる。

「やっぱり、夜風は寒いな……」

 そう言いながら、タバコを吸い終えた藤岡が戻ってきた。髪は乾いていたが、バスローブの上にジャケットを羽織り、裸足にサンダルでベランダに出たのだから、かなり躰は冷えただろう。

 藤岡先生はかおりんとイブを過ごすためにここに来たんだ……奥さんと、子供を家に残して。
 先生の行為は許せないけど、だからと言って、私にふたりを邪魔する権利なんてない。

 キンと心臓に鋭い痛みが走った。

「特別な日だったのに、突然お邪魔しちゃってすみませんでした。
 あの……藤岡先生。借りたお金は、後から必ずお返ししますから」

 腰を浮かせた美羽に、藤岡が安堵したように目を細めた。

「いいよ。青井さんにクリスマスプレゼント」
「はぁ!? なにかっこつけてんの? 帰るのは美羽じゃなくて、藤岡の方だから!」
「え、俺?」

 香織の言葉に、藤岡が口をあんぐりと開けた。

「香織、わざわざイブに会いに来た俺を追い出すつもりか?」
「あったりまえでしょ!! 目の前で親友が財布もなしにタクシー乗って助け求めに来てるのに、放っておけるわけないでしょーが!!
 あんたなんていつでも会えるし、今夜会いたいなんて言った覚えもないし!」

 いきなり始まった香織と藤岡の言い合いに、美羽はおろおろした。

「ちょ、かおりん。私のことはいいから……今夜はホテルに泊まるし」
「クリスマスイブにホテルなんて、ビジネスホテルだろうとラブホだろうと空いてるわけないでしょ!! もう何も考えなくていいから、うちに泊まんな!」
「お、おい……俺はどうなるんだ?」
「あんたは可愛い嫁と子供がいるでしょ! さっさと帰ってよ!」

 ど、どうしよ……私のせいで、こんなことになっちゃって。

 香織は早速ハンガーから藤岡のスーツを外し、ベッドの上に放り出した。

「いや、もう今日は出張だと言ってあるし、こんな時間に帰るのは逆にマズイ」
「知らないわよ! だったら、ビジネスホテルにでも泊まれば?」

 美羽は香織と藤岡のやりとりを見たのは大学卒業以来だったが、その間にふたりの関係がこれほどまでに変化していたのを見て、驚きを隠せなかった。

 私のイメージでは、不倫って忍ぶ恋って感じだったけど……このふたりからは、そんな感じが全然しない。かおりんと藤岡先生って、こんな関係だったんだ。

 結局、藤岡は香織に気圧されてトボトボと帰っていった。
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