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153.出てきた男
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「すみませーん。私、あひるタクシーの者ですがね。ここまでお客さんを乗せてきたんですけど、彼女財布を忘れてお金を払えないって言ってるんで、代わりに払ってもらえませんかねぇ」
美羽より早く、運転手が早口に説明する。
ちょっ、どうしよ。
「あ、あの……私、やっぱり」
焦った美羽が『帰ります』と言おうとした途端、扉が開き、中から背の高い男が出てきた。
白いバスローブを羽織った男はシャワーを浴びた直後だったのか、少し長めの黒い前髪がはらりと落ちて艶めかしく濡れ、石鹸に混じって情交の痕を思わせるフェロモンの香りが漂っていた。以前に会った時よりも目尻の皺が深くなった気がするが、その分年を重ねた男の余裕を感じる。
男は運転手の少し後ろに立っていた美羽を認め、不思議そうな表情で覗き込んだ。
「あれ……青井、さん?」
それは、美羽の旧姓だ。
「す、すみませっ……私、今日ここに藤岡先生がいるなんて、知らなくてっっ」
狼狽する美羽に藤岡は優しげな眉を下げ、乱れた前髪をかきあげた。
「タクシー代、払おうか。寒いから、扉閉めて」
「は、はいっ」
扉を閉め、美羽は運転手と共に狭い玄関に立った。
藤岡が、シューズボックスの上に置いてある鞄からブランドものの長財布を出す。カードがずらりと並んだカード入れの反対側のポケットに手を入れ、一万円札を抜き出すと運転手にお金を支払った。その間、美羽は居た堪れず、藤岡の顔を見ることが出来なかった。
「どーも、ありがとうございましたー」
お釣りを藤岡に渡すと、運転手は軽く頭を下げ、足早に去って行った。もしかしたら、浮気現場だと思っているのかもしれない。
ひとり取り残された美羽は、急に心細くなった。
「あの……私、帰ります。
本当にタクシー代、すみませんでした」
まだ目を見ることが出来ず、美羽は俯いたまま頭を下げた。
「いや、別に。いろいろあるよね……」
藤岡は美羽の首元を見つめ、物分かりの良さそうな顔で笑みを浮かべた。
直接詮索することはないものの、その声音には面白がるような響きが含まれていた。こんな夜中にコートも着ず、財布を持たずにタクシーに乗ってきたのだ。何かあったと思うのが、普通だ。
「あの……お金は必ず返しますから!!」
けれど、そのことを香織を縛り付け、不幸にしている藤岡に知られ、ましてや助けてもらっただなんて、美羽にとっては屈辱だった。これまで一方的に藤岡のことを非難していたというのに、借りを作ってしまったことにより、非難する権利を奪われてしまった気になる。
「そうかい? じゃ、これもついでに受け取って」
藤岡はそんな美羽の気持ちに気づいているのか、手にしていた財布から更に二万抜き出し、美羽に渡した。
「財布、持ってないんだよね? またタクシー拾ってホテルに泊まるようなお金ないでしょ?
ここは駅の近くだし、そこに行けばビジネスホテルはたくさんあるから」
『断りたい』。心でそう強く訴えたが、ここで断ってしまえば、美羽は再び行くあてをなくしてしまう。もう既にタクシー代を借りてしまったのだ。ホテル代を借りたところで同じことだ。
美羽はプライドを押しやり、手を伸ばした。
「ありがとうございま……」
そう言いかけた美羽の言葉が、遮られた。
「美羽!! どうしたの!?」
美羽より早く、運転手が早口に説明する。
ちょっ、どうしよ。
「あ、あの……私、やっぱり」
焦った美羽が『帰ります』と言おうとした途端、扉が開き、中から背の高い男が出てきた。
白いバスローブを羽織った男はシャワーを浴びた直後だったのか、少し長めの黒い前髪がはらりと落ちて艶めかしく濡れ、石鹸に混じって情交の痕を思わせるフェロモンの香りが漂っていた。以前に会った時よりも目尻の皺が深くなった気がするが、その分年を重ねた男の余裕を感じる。
男は運転手の少し後ろに立っていた美羽を認め、不思議そうな表情で覗き込んだ。
「あれ……青井、さん?」
それは、美羽の旧姓だ。
「す、すみませっ……私、今日ここに藤岡先生がいるなんて、知らなくてっっ」
狼狽する美羽に藤岡は優しげな眉を下げ、乱れた前髪をかきあげた。
「タクシー代、払おうか。寒いから、扉閉めて」
「は、はいっ」
扉を閉め、美羽は運転手と共に狭い玄関に立った。
藤岡が、シューズボックスの上に置いてある鞄からブランドものの長財布を出す。カードがずらりと並んだカード入れの反対側のポケットに手を入れ、一万円札を抜き出すと運転手にお金を支払った。その間、美羽は居た堪れず、藤岡の顔を見ることが出来なかった。
「どーも、ありがとうございましたー」
お釣りを藤岡に渡すと、運転手は軽く頭を下げ、足早に去って行った。もしかしたら、浮気現場だと思っているのかもしれない。
ひとり取り残された美羽は、急に心細くなった。
「あの……私、帰ります。
本当にタクシー代、すみませんでした」
まだ目を見ることが出来ず、美羽は俯いたまま頭を下げた。
「いや、別に。いろいろあるよね……」
藤岡は美羽の首元を見つめ、物分かりの良さそうな顔で笑みを浮かべた。
直接詮索することはないものの、その声音には面白がるような響きが含まれていた。こんな夜中にコートも着ず、財布を持たずにタクシーに乗ってきたのだ。何かあったと思うのが、普通だ。
「あの……お金は必ず返しますから!!」
けれど、そのことを香織を縛り付け、不幸にしている藤岡に知られ、ましてや助けてもらっただなんて、美羽にとっては屈辱だった。これまで一方的に藤岡のことを非難していたというのに、借りを作ってしまったことにより、非難する権利を奪われてしまった気になる。
「そうかい? じゃ、これもついでに受け取って」
藤岡はそんな美羽の気持ちに気づいているのか、手にしていた財布から更に二万抜き出し、美羽に渡した。
「財布、持ってないんだよね? またタクシー拾ってホテルに泊まるようなお金ないでしょ?
ここは駅の近くだし、そこに行けばビジネスホテルはたくさんあるから」
『断りたい』。心でそう強く訴えたが、ここで断ってしまえば、美羽は再び行くあてをなくしてしまう。もう既にタクシー代を借りてしまったのだ。ホテル代を借りたところで同じことだ。
美羽はプライドを押しやり、手を伸ばした。
「ありがとうございま……」
そう言いかけた美羽の言葉が、遮られた。
「美羽!! どうしたの!?」
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