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母の野望とジュリエッタの期待
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窓に張り付いていたジュリエッタの母、マリエンヌが声を上げた。
「いらしたみたいよ!」
ジュリエッタが母の隣に立って覗くと、1頭立ての小型な馬車がこちらに近づいてくるのが見えた。
「あぁ、ついにジュリエッタも子爵夫人となるのねっ」
ジュリエッタよりもマリエンヌの方が興奮し、頬を紅潮させて喜んでいた。
深紅のベルベットに金系の刺繍を贅沢に縫いつけた豪華なドレスは目鼻立ちのはっきりとした美しいマリエンヌに似合っていて、主役であるはずのジュリエッタよりも目立っていた。
マリエンヌは元々平民階級の出身で、両親は夫ニコラスの領地の小作民だった。平民とは思えないマリエンヌの美しさは評判となり、遠方からも縁談が申し込まれるほどだった。その噂を聞きつけたニコラスが領地を見回る際に彼女の元を訪れ、あまりの美貌に一目惚れし、その場で求婚した。まさに、シンデレラストーリーだ。
こうして上流階級の仲間入りを果たしたマリエンヌには、更なる野望があった。娘を貴族の元へと嫁がせ、上流貴族の一員とさせることだ。自分の娘ならそれが出来ると、マリエンヌは信じていた。
だが、生まれたのは赤ん坊の時点ではっきりと父親似だと分かる、逞しい顔つきの娘だった。
そうでした。この娘は、私だけでなく……ニコラスの娘でもありました。
マリエンヌは落胆した。
更にマリエンヌを落胆させたのは、次に生まれた嫡男となる息子が自分に似て美しく、華奢な体型だったことだった。もし娘として生まれていたのなら、公爵夫人、いや王太子殿下の妃さえ、夢ではなかったかもしれない。
そんな母の思いが、ずっとジュリエッタにとっては重圧となっていた。たとえ今日現れたアーロンが見目麗しくなかろうと、多少歯茎が出ていたり、髪が薄くても、長年の重圧から解放して自分を受け入れてくれるのなら有難いと思っていた。
13歳から家を出てパブリックスクールの寮生活を始めた弟とは対照的に、ジュリエッタは13歳になると社会から隔離され、多くの家庭教師をつけられて礼儀作法や針仕事、刺繍、ダンス、ピアノといった花嫁修行をみっちりさせられた。だが、ジュリエッタにとってそれらは苦手なことばかりで、どれも上手くいかなかった。ジュリエッタはそういったことよりも剣術の真似事をしたり、難しい本を読み漁ったりすることの方が好きだったが、そういったことは淑女には必要ないと母から取り上げられてしまった。
16歳になると、いよいよデビュタントとして社交界にデビューとなった。多くの箱入り令嬢がそうであるように、母親のマリエンヌも舞踏会やサロンに同席し、娘に相応しい花婿候補はいないかと目を光らせた。
伯爵以上の爵位を父に持つ令嬢であれば宮中で国王陛下や女王陛下へ謁見したのちに社交界デビューするが、一応上流階級に含まれているとはいえ、ジェントリを父に持つ令嬢であるジュリエッタが国王陛下に御目通りなど叶うはずがない。
舞踏会やサロンの集まりに出るたびに聞かされる上流貴族たちの自慢や明らかに感じる蔑視に蔑みの言葉に、引きつり笑いを浮かべて過ごす時間の長いこと。そんなことを2年も続けているうちに、笑みを浮かべて相槌を打ちながら、頭で妄想の世界を広げることが得意になっていた。
令嬢たちにとって社交界に出る最大の目的は結婚相手を見つけることだが、ジュリエッタは踊りに誘われることもなければ、デートに誘われることもなかった。
ひとりだけ毎回ジュリエッタに会う度に気さくに話しかけてくれる物好きな男性がいて、ジュリエッタも嬉しく思っていたのだが、マリエンヌから彼は公爵令息ではあるものの三男だからと花婿候補から外された。
「爵位を継げない二男、三男にとって生き残る道は、逆玉の輿に乗ることだけなの。あの方は貴女に好意を寄せてるのではなく、我が家の財産目当てなのよ。気をつけなさい」
マリエンヌにそうきつく聞かされたが、己をよく知るジュリエッタとしては、こんな自分に話しかけてくれるなら、たとえ財産目当てであっても受け入れたかったが、両親は貴族の嫡男でなければジュリエッタの花婿候補と認めなかった。
上流階級の令嬢はだいたい18歳までに結婚する。ジュリエッタは18歳になっても縁談のひとつもこず、このまま独身を貫くことになるかもしれないと危惧していた。実際には縁談は来ていたものの、ジュリエッタに届く前に両親が全て条件が合わないことを理由に断っていたのだが。
そこに現れた救世主、アーロンの登場にジュリエッタの期待が高まるのも無理はない。
どうして今までアーロンに舞踏会やサロンで会ったことがなかったのかとジュリエッタは訝しんだが、考えてみればこういったパーティーや集まりには皆気合いの入ったドレスや衣装や小物を準備し、まるで品評会のようになる。財政が困窮しているソワール子爵は令息をそういった場に送ることがなかなか出来なかったのだろうと推測した。
社交界に出られなければ、そこで得られるはずの人脈作りもできません。私と結婚した暁には、アーロン様の美麗な顔立ちを生かして社交界で脚光を浴びさせ、人脈を作ってハームズワース家を盛り立てていきますわ。
ジュリエッタは鼻息荒く誓った。
馬車が停まり、扉が開くのが見えた。
「出迎えの準備を!」
ニコラスが高らかに号令をかけ、玄関から廊下に向かって絨毯を挟んで使用人たちが二列に並ぶ。
執事長、執事、フットマン、メイド長、メイド、料理長、副料理長、菓子職人、パン職人、厨房係、従者、庭師、厩舎管理人、グルーム(馬の世話係)、メッセンジャー……こうして揃うとかなりの人数だ。
ニコラスは上流貴族の生活に並ぼうと、事業を拡大し、富を増やすたびに使用人の数も増やしていた。
錚々たる出迎えに満足の笑みを浮かべかけたジュリエッタだが、父と母の隣にいるはずの存在がいないことに気づき、顔を青褪めさせた。
ミッチェルがいないわ!!
その時、扉がノックされた。
「いらしたみたいよ!」
ジュリエッタが母の隣に立って覗くと、1頭立ての小型な馬車がこちらに近づいてくるのが見えた。
「あぁ、ついにジュリエッタも子爵夫人となるのねっ」
ジュリエッタよりもマリエンヌの方が興奮し、頬を紅潮させて喜んでいた。
深紅のベルベットに金系の刺繍を贅沢に縫いつけた豪華なドレスは目鼻立ちのはっきりとした美しいマリエンヌに似合っていて、主役であるはずのジュリエッタよりも目立っていた。
マリエンヌは元々平民階級の出身で、両親は夫ニコラスの領地の小作民だった。平民とは思えないマリエンヌの美しさは評判となり、遠方からも縁談が申し込まれるほどだった。その噂を聞きつけたニコラスが領地を見回る際に彼女の元を訪れ、あまりの美貌に一目惚れし、その場で求婚した。まさに、シンデレラストーリーだ。
こうして上流階級の仲間入りを果たしたマリエンヌには、更なる野望があった。娘を貴族の元へと嫁がせ、上流貴族の一員とさせることだ。自分の娘ならそれが出来ると、マリエンヌは信じていた。
だが、生まれたのは赤ん坊の時点ではっきりと父親似だと分かる、逞しい顔つきの娘だった。
そうでした。この娘は、私だけでなく……ニコラスの娘でもありました。
マリエンヌは落胆した。
更にマリエンヌを落胆させたのは、次に生まれた嫡男となる息子が自分に似て美しく、華奢な体型だったことだった。もし娘として生まれていたのなら、公爵夫人、いや王太子殿下の妃さえ、夢ではなかったかもしれない。
そんな母の思いが、ずっとジュリエッタにとっては重圧となっていた。たとえ今日現れたアーロンが見目麗しくなかろうと、多少歯茎が出ていたり、髪が薄くても、長年の重圧から解放して自分を受け入れてくれるのなら有難いと思っていた。
13歳から家を出てパブリックスクールの寮生活を始めた弟とは対照的に、ジュリエッタは13歳になると社会から隔離され、多くの家庭教師をつけられて礼儀作法や針仕事、刺繍、ダンス、ピアノといった花嫁修行をみっちりさせられた。だが、ジュリエッタにとってそれらは苦手なことばかりで、どれも上手くいかなかった。ジュリエッタはそういったことよりも剣術の真似事をしたり、難しい本を読み漁ったりすることの方が好きだったが、そういったことは淑女には必要ないと母から取り上げられてしまった。
16歳になると、いよいよデビュタントとして社交界にデビューとなった。多くの箱入り令嬢がそうであるように、母親のマリエンヌも舞踏会やサロンに同席し、娘に相応しい花婿候補はいないかと目を光らせた。
伯爵以上の爵位を父に持つ令嬢であれば宮中で国王陛下や女王陛下へ謁見したのちに社交界デビューするが、一応上流階級に含まれているとはいえ、ジェントリを父に持つ令嬢であるジュリエッタが国王陛下に御目通りなど叶うはずがない。
舞踏会やサロンの集まりに出るたびに聞かされる上流貴族たちの自慢や明らかに感じる蔑視に蔑みの言葉に、引きつり笑いを浮かべて過ごす時間の長いこと。そんなことを2年も続けているうちに、笑みを浮かべて相槌を打ちながら、頭で妄想の世界を広げることが得意になっていた。
令嬢たちにとって社交界に出る最大の目的は結婚相手を見つけることだが、ジュリエッタは踊りに誘われることもなければ、デートに誘われることもなかった。
ひとりだけ毎回ジュリエッタに会う度に気さくに話しかけてくれる物好きな男性がいて、ジュリエッタも嬉しく思っていたのだが、マリエンヌから彼は公爵令息ではあるものの三男だからと花婿候補から外された。
「爵位を継げない二男、三男にとって生き残る道は、逆玉の輿に乗ることだけなの。あの方は貴女に好意を寄せてるのではなく、我が家の財産目当てなのよ。気をつけなさい」
マリエンヌにそうきつく聞かされたが、己をよく知るジュリエッタとしては、こんな自分に話しかけてくれるなら、たとえ財産目当てであっても受け入れたかったが、両親は貴族の嫡男でなければジュリエッタの花婿候補と認めなかった。
上流階級の令嬢はだいたい18歳までに結婚する。ジュリエッタは18歳になっても縁談のひとつもこず、このまま独身を貫くことになるかもしれないと危惧していた。実際には縁談は来ていたものの、ジュリエッタに届く前に両親が全て条件が合わないことを理由に断っていたのだが。
そこに現れた救世主、アーロンの登場にジュリエッタの期待が高まるのも無理はない。
どうして今までアーロンに舞踏会やサロンで会ったことがなかったのかとジュリエッタは訝しんだが、考えてみればこういったパーティーや集まりには皆気合いの入ったドレスや衣装や小物を準備し、まるで品評会のようになる。財政が困窮しているソワール子爵は令息をそういった場に送ることがなかなか出来なかったのだろうと推測した。
社交界に出られなければ、そこで得られるはずの人脈作りもできません。私と結婚した暁には、アーロン様の美麗な顔立ちを生かして社交界で脚光を浴びさせ、人脈を作ってハームズワース家を盛り立てていきますわ。
ジュリエッタは鼻息荒く誓った。
馬車が停まり、扉が開くのが見えた。
「出迎えの準備を!」
ニコラスが高らかに号令をかけ、玄関から廊下に向かって絨毯を挟んで使用人たちが二列に並ぶ。
執事長、執事、フットマン、メイド長、メイド、料理長、副料理長、菓子職人、パン職人、厨房係、従者、庭師、厩舎管理人、グルーム(馬の世話係)、メッセンジャー……こうして揃うとかなりの人数だ。
ニコラスは上流貴族の生活に並ぼうと、事業を拡大し、富を増やすたびに使用人の数も増やしていた。
錚々たる出迎えに満足の笑みを浮かべかけたジュリエッタだが、父と母の隣にいるはずの存在がいないことに気づき、顔を青褪めさせた。
ミッチェルがいないわ!!
その時、扉がノックされた。
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