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彼が求める『ひんやり』は

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 単なるクラスメートの1人だった松井くんは、その日を境に変化した。

「わー、みみりんの手、ひんやりだね」

 初夏にも関わらず、40度を超えた真夏日。教室の冷房はエコ対策のため27度設定となっていて、まったく涼しさを感じない。
 湿度が高く、じっとしているだけで汗がねっとりと制服に張り付き、気怠さが増す午後。長い昼休みにも関わらず、ほとんどの生徒が暑さを逃れて教室で過ごしていた。

 そんな中、遅刻してきて私の前の席に座ろうとした松井くんの手が、本を読んでいた私の手に偶然触れてしまったのだ。

 本の世界から現実へと呼び戻す声に顔を上げると、背の高い松井くんの影に覆われた。柔らかそうなダークブラウンの猫っ毛は、汗でキラキラと輝いている。くっきりとした二重でありながらも涼しげな目元、女子が羨むぐらい長い睫毛、シャープな輪郭はアイドル並みの容姿だ。
 2つ外されたボタンから胸元が覗き、ピタッと張り付いたシャツは彼の体格の良さを如実に映し出している。

 だが、モテ要素を兼ね備えてるかに見える松井くんは、クラスの女子から『残念王子』と呼ばれている。遅刻は当たり前。授業をサボって保健室で寝てることもある。無気力でテキトーで忘れっぽくていい加減。成績はいつも赤点ギリギリ。
 私は、彼が寝てるとこか食べてるとこかボーッとしてるとこしか見たことがない。

 正直、松井くんは私の苦手なタイプだ。真面目で型にはまった生活が好きな私は、彼のような人間とは出来れば関わらずに平和に過ごしたい。そう思うのに、気づけばクラス委員長という責任感とお節介な性格が災いし、彼のだらしない服装や生活態度につい口を挟んでしまう。

 私の説教は、いつも軽くかわされる。そして、いつのまにか親しげに「みみりん」とまで呼んでくるようになった。16年間蒼井美々として生きてきたが、誰一人として私のことを「みみりん」と呼ぶ友人はいなかった。しかも、松井くんはただのクラスメートにすぎないのに、意味が分からない。

 アクシデントにより触れた手は、すぐに離れると思った。「ごめん」とひとこと謝り、何事もなかったかのように日常生活へと戻る。それがクラスのマナーであり、秩序だ。

 けれど松井くんは違った。離れるどころか、今度は私の手を本格的に握ってきたのだ。思わずギョッとし、座った状態で椅子ごとガタガタッと後退りした。

「まっ、松井くんっっ!! 何してるんですか!?
 じょ、女性の手をいきなり握るなんて!! い、いやらしい……」
「えぇー。だって、みみりんの手って冷たくて気持ちーんだもん。ねぇねぇ、なんでこんなにひんやりしてるの?」

 松井くんは抗議する私のことなんて、まったく気にせず、いつものマイペースっぷりを発揮していた。

「ひ、冷え性……なので」

 そう答えながら、意識しているのは自分だけだったと思うと、さっき松井くんのことを『いやらしい』だなんて言った自分の方が、よほど自意識過剰だったと恥ずかしくなってきた。

「ぁ……あの……もう、いいですか」

 私の手は、いまだ松井くんに握られたままだった。もうすっかり冷気は松井くんの手に吸い取られ、右手だけが温かくなっている。

「うん。あんがとねー」

 松井くんはニコッと笑うと、何事もなかったかのように去っていった。呆気にとられながら逞しい背中を見送っていた私を、松井くんが振り返った。

「また、よろしく♪」

 ハッとすると本を手に取って開き、視線を落とした。さっきの続きを読み始めようとするのに……本の内容が、一行も頭に入ってこなかった。
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