97 / 124
理性と本能の鬩(せめ)ぎ合い
4
しおりを挟む
大和の挨拶が終わり、いよいよ開演となった。
1曲目はいつものコンサートと同じ黒のタキシードを着た秀一が登場し、観客の熱狂が舞台を轟かせる。
秀一はマイクを持ち、皆に挨拶した。
「 本日は私のコンサートに足を御運び下さり、ありがとうございます。
今回のツアーテーマは『Daily Life』です。クラシック音楽というと高尚なイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、恋人や家族への愛情、失恋の痛み、苦悩、葛藤、または自然への崇拝はいつの時代の人間も持っている感情です。コンポーザー(作曲家)たちがそれぞれの想いを込めて創りあげた曲は、時代を超えて愛され、受け継がれていくものと信じています。
それは決して非日常の特別な場面を切り取ったものではなく、 日常生活の中にあるもの、つまり『Daily Life』、それを皆さまに感じて頂ければ嬉しく思います」
大歓声と拍手に包まれ、秀一が優美にお辞儀をする。一瞬で観客を魅了してしまう彼の周りには、はっきりとオーラが見えるかのようだった。
椅子に腰掛け、ジャケットのボタンを外し、秀一が静かに指を鍵盤の上に置く。
先ほどまでの喧騒が途端になりを潜め、静かに息を詰めて聴衆達が見守る。
秀一が1曲目に選んだのは、セルゲイ・ラフマニノフ作曲「前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2」。通称「鐘」もしくは「鐘のプレリュード」と呼ばれ、ラフマニノフの最も有名なピアノ曲の一つでもある。
ラフマニノフの楽曲によくあるような手が大きくなければ厳しい和音や、指の間を広げなければいけないアルペジオだとか、そういった高度な技術は要求されない。だが、冒頭と後半の和音の移動が難しく、同じパターンが続くので強弱のつけ方に神経を使い、同じ和音のようで中間の音が一個違いのものもある。ある意味、演奏者の腕が試される曲ともいえる。
大和は、舞台上の秀一を見つめた。
ダーン、ダーン、ダーン……
鐘を思わせる印象的なモチーフで曲が幕を開ける。少し間を置くことにより鐘の音が反響して広がり、この陰鬱さが何かの始まりを予感させ、期待を高まらせる。
脳裏に、静かに鐘が反響していく様子がくっきりと浮かび上がる。
低かった音が、徐々に上がっていく。続いて同じフレーズが1オクターブ上で繰り返され、緊張感が上昇する。
な、んだ……この、感じ。
聴いている大和の鼓動まで、次第に速くなるようだった。
クライマックスに向かい、一気に階段を上り詰めていく旋律。そして上り詰めた先から、一気に転げ落ちていくような劇的な転落。再び冒頭部のフレーズへと戻るが、先程とは違い、ドラマティックな感情の乱れを含み、激しく打ち鳴らされる。まるで遠くに響いていた鐘が、頭の中で鳴り響いているかのように感じる。
大和の全身に、電気が走っているかのような震えが走った。
やがて鐘の音が徐々に遠ざかっていく。意識が薄れていくように音が収縮していき、曲は幕を閉じた。
大和は拍手も忘れ、秀一の演奏に圧倒されて呆然とした。
ピアノもクラシックもよく分からない大和だったが、秀一が才能溢れるピアニストであることは、全身に鳥肌が立つ程に感じた。躰中の血液が滾り、興奮していることを、認めざるをえなかった。
全ての演奏を聴き終えた大和は、なぜ秀一がこれまでに二度もクラシック界を離れていながらも尚、多くのファンを魅了し続け、その復帰が騒がれたのかを肌で感じた。
『天才』ってのは、こういう奴のことを言うんだな……
生まれ持った天賦の才能を感じずにはいられない。
秀一が鍵盤に指を触れた途端、曲の世界が鮮やかな色彩を持って広がり、風や匂い、そこに込められた感情までもが胸の奥深くまで入り込んでくるのを感じた。演奏だけではなく、秀一には人を惹きつけるカリスマ性もあった。
ピアノを弾きながら、秀一は聴衆達に様々な表情を見せた。
憂い、切なさ、愛情、慈悲、感謝、蔑み、絶望、憐れみ、幸福……
それは、美姫のデザインした衣装によって、より鮮烈な印象をもたらした。
ビジネスとしてこの企画は成功したと言えるが、美姫を争っていたライバルの男としては、格の差をはっきりと見せ付けられ、挫折感を味わった。
1曲目はいつものコンサートと同じ黒のタキシードを着た秀一が登場し、観客の熱狂が舞台を轟かせる。
秀一はマイクを持ち、皆に挨拶した。
「 本日は私のコンサートに足を御運び下さり、ありがとうございます。
今回のツアーテーマは『Daily Life』です。クラシック音楽というと高尚なイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、恋人や家族への愛情、失恋の痛み、苦悩、葛藤、または自然への崇拝はいつの時代の人間も持っている感情です。コンポーザー(作曲家)たちがそれぞれの想いを込めて創りあげた曲は、時代を超えて愛され、受け継がれていくものと信じています。
それは決して非日常の特別な場面を切り取ったものではなく、 日常生活の中にあるもの、つまり『Daily Life』、それを皆さまに感じて頂ければ嬉しく思います」
大歓声と拍手に包まれ、秀一が優美にお辞儀をする。一瞬で観客を魅了してしまう彼の周りには、はっきりとオーラが見えるかのようだった。
椅子に腰掛け、ジャケットのボタンを外し、秀一が静かに指を鍵盤の上に置く。
先ほどまでの喧騒が途端になりを潜め、静かに息を詰めて聴衆達が見守る。
秀一が1曲目に選んだのは、セルゲイ・ラフマニノフ作曲「前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2」。通称「鐘」もしくは「鐘のプレリュード」と呼ばれ、ラフマニノフの最も有名なピアノ曲の一つでもある。
ラフマニノフの楽曲によくあるような手が大きくなければ厳しい和音や、指の間を広げなければいけないアルペジオだとか、そういった高度な技術は要求されない。だが、冒頭と後半の和音の移動が難しく、同じパターンが続くので強弱のつけ方に神経を使い、同じ和音のようで中間の音が一個違いのものもある。ある意味、演奏者の腕が試される曲ともいえる。
大和は、舞台上の秀一を見つめた。
ダーン、ダーン、ダーン……
鐘を思わせる印象的なモチーフで曲が幕を開ける。少し間を置くことにより鐘の音が反響して広がり、この陰鬱さが何かの始まりを予感させ、期待を高まらせる。
脳裏に、静かに鐘が反響していく様子がくっきりと浮かび上がる。
低かった音が、徐々に上がっていく。続いて同じフレーズが1オクターブ上で繰り返され、緊張感が上昇する。
な、んだ……この、感じ。
聴いている大和の鼓動まで、次第に速くなるようだった。
クライマックスに向かい、一気に階段を上り詰めていく旋律。そして上り詰めた先から、一気に転げ落ちていくような劇的な転落。再び冒頭部のフレーズへと戻るが、先程とは違い、ドラマティックな感情の乱れを含み、激しく打ち鳴らされる。まるで遠くに響いていた鐘が、頭の中で鳴り響いているかのように感じる。
大和の全身に、電気が走っているかのような震えが走った。
やがて鐘の音が徐々に遠ざかっていく。意識が薄れていくように音が収縮していき、曲は幕を閉じた。
大和は拍手も忘れ、秀一の演奏に圧倒されて呆然とした。
ピアノもクラシックもよく分からない大和だったが、秀一が才能溢れるピアニストであることは、全身に鳥肌が立つ程に感じた。躰中の血液が滾り、興奮していることを、認めざるをえなかった。
全ての演奏を聴き終えた大和は、なぜ秀一がこれまでに二度もクラシック界を離れていながらも尚、多くのファンを魅了し続け、その復帰が騒がれたのかを肌で感じた。
『天才』ってのは、こういう奴のことを言うんだな……
生まれ持った天賦の才能を感じずにはいられない。
秀一が鍵盤に指を触れた途端、曲の世界が鮮やかな色彩を持って広がり、風や匂い、そこに込められた感情までもが胸の奥深くまで入り込んでくるのを感じた。演奏だけではなく、秀一には人を惹きつけるカリスマ性もあった。
ピアノを弾きながら、秀一は聴衆達に様々な表情を見せた。
憂い、切なさ、愛情、慈悲、感謝、蔑み、絶望、憐れみ、幸福……
それは、美姫のデザインした衣装によって、より鮮烈な印象をもたらした。
ビジネスとしてこの企画は成功したと言えるが、美姫を争っていたライバルの男としては、格の差をはっきりと見せ付けられ、挫折感を味わった。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる