<完結>【R18】愛するがゆえの罪 10 ー幸福の基準ー

奏音 美都

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差し伸べられるふたつの手

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「まったく、あなたは犬ですか?
 いえ、犬の方が飼い主を家で大人しく待っていますから、犬に失礼でしたね。あなたは犬以下です」

 衣装打ち合わせの日、美姫に付き添う大和に秀一が呆れたように言った。

「煩い! お前が美姫に指一本触れることのないよう、見張ってるだけだ」
「ふふっ、来栖財閥の社長がボディーガードの真似事ですか。それほど暇を持て余しているとは、兄様が社長の時には思いませんでした」
「ック......」

『KURUSU』オフィスビルの最上階、会議室。集まった女性スタッフ達が、二人のやりとりを見てクスクスと笑う。

「チーフ、旦那様にも叔父である来栖さんにも愛されてて、羨ましい!」
「溺愛されてますねぇ」

 嫉妬と羨望を含んだからかいを美姫は笑って受け止めながら、心の中では悲鳴を上げていた。

 あまりにも正々堂々とした秀一の物腰に、秀一と美姫が今でも思い合っている元恋人同士であり、それを夫の大和も知っているというドロドロとした状況にあるなど、周りは思ってもいないようだった。きっと傍目には姪っ子が可愛くて仕方ない叔父と妻を溺愛する夫の攻防として受け止められているのだろう。

 実情を知らないから、みんな気軽に言えるんだよ。
 こんな状態で、打ち合わせなんて出来るのかな......

 美姫の胃がキリキリと痛んだ。

 秀一の演奏曲目リストを見せてもらい、曲を聴き、秀一の解説や解釈を聞きながら衣装のイメージを広げていく。

「次は......フランツ・リストの『メフィスト・ワルツ』第1番ですね」

 美姫が顔を上げる。

「えっ、『悪魔のワルツ』って......ツアーテーマの『Daily Life』からは外れませんか?」
「この第1番は、『村の居酒屋での踊り』という副題がつけられています。
 美姫は、ニコラウス・レーナウの抒情詩『ファウスト』はご存知ですか?」
「いえ、知りません」
「『メフィスト・ワルツ』は、かねてからファウスト伝説に強く惹かれていたリストが、『ファウスト』の長大な詩からインスピレーションを得て作曲したピアノ曲なんですよ」

 秀一がリモコンを押し、演奏がスタートした。

 曲を聴きながら、秀一が解説する。

「ファウストという男と悪魔であるメフィストフェレスは、ある晩、農民たちが踊り集う居酒屋に現れます。狩人に変装したメフィストは、声高らかに言い放ちました。
『親愛なる皆さん、あなたがたの弓はあまりにも眠そうに弾かれてますぞ! みなさんのワルツでは、病気の快楽なら麻痺した足の指の上では回転するかもしれないが、血気や炎に満ちた若者が、ではありませんぞ。ヴァイオリンを私に手渡してくれ、すぐに別の響〔=音楽〕をもたらすだろう。そして居酒屋のなかで別の跳躍〔=踊り〕をもたらすだろう!』
 楽士がメフィストにフィデルを手渡します。するとメフィストは憑かれたかのように弾き始め、農民たちを陶酔のなかに引き込んでいくのです」

 ピアノの旋律に導かれ、田園風景が広がる中に1軒ポツンと佇む寂れた居酒屋が美姫の脳裏に浮かぶ。

 そこには座るスペースもないほど農民たちが溢れ、酒を煽る。下卑た笑いと女たちの甲高い嬌声、怒声が飛び交う中、ひとりのヴァイオリン弾きが弦を弾き、酔った勢いにまかせた者たちが好き勝手に踊り出す。
 そんな中突然現れたファウストと悪魔メフィスト。ヴァイオリンを奪ったメフィストの美しく妖しい演奏は農民を酔わせ、狂わせていく。

 それは快楽の呻き声のような鳴き声のようでもあり、秘密めいた甘いお喋りのようでもあり、その音は、畝ったり、消えたり、上昇したり、下降したり......まるで水を浴びるかのように、べっとりと人々の躰に纏わりついていく。

 血気が躰の奥底から漲り、熱くなる。

 踊らずにはいられない。
 歓喜せずにはいられない。
 酔わされずにはいられない。

 美しく淫美な悪魔、メフィストフェレスの罠に堕ちていく......
 
「ファウストは狂喜に満ちた居酒屋で、ひとりの黒髪の踊り子に出会います。長く黒い巻き毛、魅惑的な強い力をもった瞳、赤い頬、生命力溢れる彼女の煌めきに、恋してしまいます。メフィストの奏でる誘惑的なヴァイオリンの演奏に導かれるようにファウストは愛の誓いをどもりながら述べ、彼女を抱いて星の夜へと連れ出します。
 そして、ヴァイオリンの響きに駆り立てられるように森の中に入っていきます」

 秀一はねっとりとした視線で美姫を見つめた。

「揺れ動く音が、淫らで、媚びた愛の夢のように木々の間を通り過ぎていきました。その時、フルートのような音が歓喜の歌声を上げます。
 ナイチンゲール(さよなき鳥)が、より熱く、陶酔した彼らの喜びを盛り上げていたのです。あたかも、悪魔が注文した歌手であるかのように......」

 まるで自分が悪魔に魅入られた黒髪の踊り子になったかのような気分になり、美姫の背筋がゾクゾクした。

「そ、それがどうして日常生活をテーマにした曲に相応しいと?」

 赤くなりそうな顔を逸らすようにして、秀一に尋ねた。

「太古の昔から音楽と舞踊、そしてエロスは人々の生活に欠かせないものでした。人は音楽に酔いしれ、踊り狂い、そして快楽に溺れていく。
 それもまた、『Daily Life』だと思いませんか?」

 秀一は妖艶な笑みを見せ、その場にいた女子全員の心拍数を一気に押し上げた。

 秀一さんこそが、メフィストフェレスだよ......

 過去、自分たちが淫らに交わり合った狂喜と快楽が呼び戻されそうになり、美姫はそれを必死に抑えた。
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