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遠い日の約束
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「受けることは、出来ません......」
美姫は俯いた。
秀一さんと一緒に仕事をすれば、大和も両親も心配させ、マスコミにだって騒がれてしまう。
私は、受けるべきじゃないんだ。
秀一は意地の悪い瞳を細めた。
「だから貴女は中途半端だと言っているのです。もし貴女が一流のビジネスウーマンなら、即答で引き受けるべきなのです。
昔スキャンダルを起こしたピアニスト来栖秀一のコンサートを、姪が衣装プロデュースする。これほど話題になることはないでしょう。これは、大きなビジネスチャンスなのですよ。貴女の私情など、考えるべきではありません」
美姫は、反論出来なかった。
秀一がビジネスの話として持ち込んでいるのであれば、自分も私情を切り捨て、ビジネスとして考えるべきだ。けれど、秀一の感情が読めない美姫には、彼の言っていることを全て信じていいのか分からなかった。
秀一がにこやかに一枚の紙を取り出した。
「ここに、契約書もありますよ」
契約書と言われて顔を見上げると、そこに丁寧に折り畳まれた紙が広げられていた。手に取ると、幼い乱雑な字が並んでいる。
『けいやくしよ
みきはしうちやんにふくをつくてあげます
3がつ1にち くるすみき』
ご丁寧に小さな指で捺印までされていた。
「こ、こんなの契約書と呼べません!!」
幼い頃に遊びで書いた契約書の紙を、未だに秀一が持っていたことに驚きだった。もしかして、秀一は今までにもらった美姫の全てのものを捨てていないのだろうかという考えが過ぎった。
他人から見たら異常と思われるかもしれないが、そんな秀一を美姫は愛しく思い、胸が甘く疼いた。
秀一は美姫から契約書を受け取ると、大切そうに丁寧に折り目通りに戻すと仕舞った。
「けれど、約束は約束です」
「分かり、ました......」
『考えてみます』と続けようとすると、秀一は満足そうに笑みを浮かべた。
「では、明日の記者会見でお会いしましょう。遅刻厳禁ですよ」
「き、記者会見って!! ちょっと、待って下さい!!」
慌てる美姫に秀一は背を向け、身を翻した。軽やかに階段を駆け下りていく。
「私を求めて渇望する貴女に、残念ながらまだ私はあげられませんね。
どうして子供をもつ覚悟もないのに、不妊治療など受けるのですか。貴女はまだ、何も分かっていないようですね。
そんなに自分の首を絞めたいのですか?」
階段の踊り場で見上げる秀一の揺れるライトグレーの瞳を見つめ、美姫の胸が締め付けられた。
「ッッ......仕方、ないじゃないですか!!
お父様はずっと、孫の誕生を望んでいたんです。もしかしたら、お父様はもう長くは生きられないかもしれない......ック。世間にも......ずっと子供が出来なければ、不審な目で見られてしまう。
こうすることが、一番いいんです......」
秀一の声が、ポツリと落とされる。
「そうして、愛されない子供がまた一人増える」
それは、愛されることのなかった幼い自分を擁護する声のようでもあった。
美姫は喉から声を絞り出した。
「愛せます! 愛して、みせます!」
秀一はフッと憐れむような、蔑むような瞳を向けた。
「親の子供への愛情は、愛そうと思って愛するものではありません。内面から自然と滲み出てくるもの。
愛のないふたりの間に生まれた子供が、それに気づかないはずないでしょう。
愚かですね......」
美姫は秀一が扉に向かうのを2階から呆然と眺めていた。
秀一は来た時と同様、優美な仕草で扉に手を掛けた。
「では明日、記者会見の会場で。
戸締りはしっかりして下さいね。悪い狼に食べられてしまいますよ、こやぎさん」
「なっ!!」
妖しい笑みで振り返り、秀一は颯爽と扉を後にした。
後ろ姿が消え去っても、まだ彼の幻に美姫は囚われていた。
美姫は俯いた。
秀一さんと一緒に仕事をすれば、大和も両親も心配させ、マスコミにだって騒がれてしまう。
私は、受けるべきじゃないんだ。
秀一は意地の悪い瞳を細めた。
「だから貴女は中途半端だと言っているのです。もし貴女が一流のビジネスウーマンなら、即答で引き受けるべきなのです。
昔スキャンダルを起こしたピアニスト来栖秀一のコンサートを、姪が衣装プロデュースする。これほど話題になることはないでしょう。これは、大きなビジネスチャンスなのですよ。貴女の私情など、考えるべきではありません」
美姫は、反論出来なかった。
秀一がビジネスの話として持ち込んでいるのであれば、自分も私情を切り捨て、ビジネスとして考えるべきだ。けれど、秀一の感情が読めない美姫には、彼の言っていることを全て信じていいのか分からなかった。
秀一がにこやかに一枚の紙を取り出した。
「ここに、契約書もありますよ」
契約書と言われて顔を見上げると、そこに丁寧に折り畳まれた紙が広げられていた。手に取ると、幼い乱雑な字が並んでいる。
『けいやくしよ
みきはしうちやんにふくをつくてあげます
3がつ1にち くるすみき』
ご丁寧に小さな指で捺印までされていた。
「こ、こんなの契約書と呼べません!!」
幼い頃に遊びで書いた契約書の紙を、未だに秀一が持っていたことに驚きだった。もしかして、秀一は今までにもらった美姫の全てのものを捨てていないのだろうかという考えが過ぎった。
他人から見たら異常と思われるかもしれないが、そんな秀一を美姫は愛しく思い、胸が甘く疼いた。
秀一は美姫から契約書を受け取ると、大切そうに丁寧に折り目通りに戻すと仕舞った。
「けれど、約束は約束です」
「分かり、ました......」
『考えてみます』と続けようとすると、秀一は満足そうに笑みを浮かべた。
「では、明日の記者会見でお会いしましょう。遅刻厳禁ですよ」
「き、記者会見って!! ちょっと、待って下さい!!」
慌てる美姫に秀一は背を向け、身を翻した。軽やかに階段を駆け下りていく。
「私を求めて渇望する貴女に、残念ながらまだ私はあげられませんね。
どうして子供をもつ覚悟もないのに、不妊治療など受けるのですか。貴女はまだ、何も分かっていないようですね。
そんなに自分の首を絞めたいのですか?」
階段の踊り場で見上げる秀一の揺れるライトグレーの瞳を見つめ、美姫の胸が締め付けられた。
「ッッ......仕方、ないじゃないですか!!
お父様はずっと、孫の誕生を望んでいたんです。もしかしたら、お父様はもう長くは生きられないかもしれない......ック。世間にも......ずっと子供が出来なければ、不審な目で見られてしまう。
こうすることが、一番いいんです......」
秀一の声が、ポツリと落とされる。
「そうして、愛されない子供がまた一人増える」
それは、愛されることのなかった幼い自分を擁護する声のようでもあった。
美姫は喉から声を絞り出した。
「愛せます! 愛して、みせます!」
秀一はフッと憐れむような、蔑むような瞳を向けた。
「親の子供への愛情は、愛そうと思って愛するものではありません。内面から自然と滲み出てくるもの。
愛のないふたりの間に生まれた子供が、それに気づかないはずないでしょう。
愚かですね......」
美姫は秀一が扉に向かうのを2階から呆然と眺めていた。
秀一は来た時と同様、優美な仕草で扉に手を掛けた。
「では明日、記者会見の会場で。
戸締りはしっかりして下さいね。悪い狼に食べられてしまいますよ、こやぎさん」
「なっ!!」
妖しい笑みで振り返り、秀一は颯爽と扉を後にした。
後ろ姿が消え去っても、まだ彼の幻に美姫は囚われていた。
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