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父の願い
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韓国出張が終わると、再び忙しい日常が始まった。
以前と同じように、秀一からはなんの連絡もなかった。相変わらず、ウィーンで精力的に音楽活動をしているようだ。
それでも美姫は、また秀一が自分の元に突然現れるのではないかと気が気ではなかった。いや、それを心の中で待ち侘びている自分がいた。
大和の美姫への連絡は、以前にまして増えた。それだけでなく、電話の際にはどこにいるのか、何をしているのかと聞くようになった。
相変わらず美姫と共に出社し、仕事が終われば迎えに来る。
仕事で忙しく疲れているであろう大和を、ずっと待たせるわけにはいかない。現在ソウル支店やローティーン向けファッションの準備に追われる美姫は、本来なら徹夜してでも進めたい作業を中断したり、やり残した仕事を自宅に持って帰らざるをえなかった。だが、家で仕事をしていると資料が足りなかったり、確認したい事項が出てきたりして、結局進められないこともあった。
さすがに限界になり、美姫は村田を通じて職場に迎えに来られると仕事に差し障りがあるからと大和に伝えてもらった。それから迎えに来ることはなくなったものの、今度は残業中に何度も電話が掛かってくるようになった。
1日デスクワークをしているわけではない。縫製工場や店の視察、得意先を回ることだってあるし、会議が予定より長引くこともあるし、デザインを考えるのに集中したい時もある。
スマホの電源を切ると、今度はオフィスに電話が掛かってくる。ある時、スマホの充電が切れたまま出先での仕事で遅くなって帰ってくると、迎えに来ていることもあった。
美姫はスマホが鳴る音を聞くと、胃が痛くなるようになった。
この日は、両親と月に1度の食事会だった。誠一郎が退院してからの毎月の恒例となっていたが、先々月は来栖創立記念パーティーの準備で、先月は美姫の韓国出張やそれに伴う仕事で忙しく、3ヶ月ぶりとなっていた。
場所は誠一郎の希望で老舗の寿司屋にし、4人なのでカウンターではなく個室をとっていた。
今までは、主に話題になるのは仕事の話だった。だが、誠一郎は会長職に就いてからは仕事を減らし、のんびりと静養しているようだ。
「この前、結婚式のお祝いに予約してくれたあの旅館に、また凛子と行ってきたんだ。
いやぁ、相変わらずあそこはいいな。星を眺めながら酒を飲んだり、温泉に入ったり......リラックス出来たよ」
「誠一郎さんが飲みすぎなければ、私ももっとリラックス出来たんですけどね」
「り、凛子! それは美姫に言わない約束だろう」
相変わらず仲のいい両親に笑みを浮かべつつ、自分もそんな風になりたかったと胸が痛んだ。
余命2年未満と告げられた父がこうして元気に過ごしていられるのは、穏やかな環境と心情を取り戻せたお陰だ。
誠一郎は熱燗に自分で酌をしようとして凛子に窘められ、それを大和に向けた。
「いやぁ、大和くんのお陰でのんびりと余生を楽しませてもらってるよ。本当に、ありがとう」
それを聞き、創立記念パーティーの後で大和に言われた言葉を思い出し、美姫の胸がチクリと痛む。
大和は差し出された酌を受けながら、爽やかに歯を見せた。
「いえ、俺なんかまだまだ勉強しなければならないことばかりです。これからもどうぞ指導のほど、よろしくお願いします」
「もう、二人とも硬いですよ。今日は家族での食事会なんですから、家族らしい会話を楽しみましょう?」
凛子の言葉に、誠一郎と大和が同時に笑みを溢す。
そんな光景を見つめていると、美姫の胸がギュッと絞られた。
誠一郎は徳利を置くと、少し遠慮しながら美姫と大和を窺うように見つめた。
「その......以前に、子供をそろそろ欲しいと思ってると話してたが......
いや、まぁこれは二人の問題だからな、焦らんでもいいんだが」
美姫の心臓がドクン、と跳ねた。嫌な汗が背中を伝う。
あの夜、大和から人工授精でもいいから子供が欲しいと言われ、考えておくと言ったものの、美姫はその答えをずっと先延ばしにしていた。
凛子は美姫を気遣うように見つめながらも、何も言わない。無言のプレッシャーをかけられているようで、辛かった。
大和が明るく答える。
「そうですね。ご期待に添えられるよう、頑張ります。
あ、頑張りますってそういう意味じゃなくて......俺たちも考えてますってことだよな、美姫?」
「うん」
美姫の肩に手が回され、つられるようにして笑みを見せた。
最高級の本マグロが載った鮨を口に入れながら、まるで砂を噛んでいるような気がした。
以前と同じように、秀一からはなんの連絡もなかった。相変わらず、ウィーンで精力的に音楽活動をしているようだ。
それでも美姫は、また秀一が自分の元に突然現れるのではないかと気が気ではなかった。いや、それを心の中で待ち侘びている自分がいた。
大和の美姫への連絡は、以前にまして増えた。それだけでなく、電話の際にはどこにいるのか、何をしているのかと聞くようになった。
相変わらず美姫と共に出社し、仕事が終われば迎えに来る。
仕事で忙しく疲れているであろう大和を、ずっと待たせるわけにはいかない。現在ソウル支店やローティーン向けファッションの準備に追われる美姫は、本来なら徹夜してでも進めたい作業を中断したり、やり残した仕事を自宅に持って帰らざるをえなかった。だが、家で仕事をしていると資料が足りなかったり、確認したい事項が出てきたりして、結局進められないこともあった。
さすがに限界になり、美姫は村田を通じて職場に迎えに来られると仕事に差し障りがあるからと大和に伝えてもらった。それから迎えに来ることはなくなったものの、今度は残業中に何度も電話が掛かってくるようになった。
1日デスクワークをしているわけではない。縫製工場や店の視察、得意先を回ることだってあるし、会議が予定より長引くこともあるし、デザインを考えるのに集中したい時もある。
スマホの電源を切ると、今度はオフィスに電話が掛かってくる。ある時、スマホの充電が切れたまま出先での仕事で遅くなって帰ってくると、迎えに来ていることもあった。
美姫はスマホが鳴る音を聞くと、胃が痛くなるようになった。
この日は、両親と月に1度の食事会だった。誠一郎が退院してからの毎月の恒例となっていたが、先々月は来栖創立記念パーティーの準備で、先月は美姫の韓国出張やそれに伴う仕事で忙しく、3ヶ月ぶりとなっていた。
場所は誠一郎の希望で老舗の寿司屋にし、4人なのでカウンターではなく個室をとっていた。
今までは、主に話題になるのは仕事の話だった。だが、誠一郎は会長職に就いてからは仕事を減らし、のんびりと静養しているようだ。
「この前、結婚式のお祝いに予約してくれたあの旅館に、また凛子と行ってきたんだ。
いやぁ、相変わらずあそこはいいな。星を眺めながら酒を飲んだり、温泉に入ったり......リラックス出来たよ」
「誠一郎さんが飲みすぎなければ、私ももっとリラックス出来たんですけどね」
「り、凛子! それは美姫に言わない約束だろう」
相変わらず仲のいい両親に笑みを浮かべつつ、自分もそんな風になりたかったと胸が痛んだ。
余命2年未満と告げられた父がこうして元気に過ごしていられるのは、穏やかな環境と心情を取り戻せたお陰だ。
誠一郎は熱燗に自分で酌をしようとして凛子に窘められ、それを大和に向けた。
「いやぁ、大和くんのお陰でのんびりと余生を楽しませてもらってるよ。本当に、ありがとう」
それを聞き、創立記念パーティーの後で大和に言われた言葉を思い出し、美姫の胸がチクリと痛む。
大和は差し出された酌を受けながら、爽やかに歯を見せた。
「いえ、俺なんかまだまだ勉強しなければならないことばかりです。これからもどうぞ指導のほど、よろしくお願いします」
「もう、二人とも硬いですよ。今日は家族での食事会なんですから、家族らしい会話を楽しみましょう?」
凛子の言葉に、誠一郎と大和が同時に笑みを溢す。
そんな光景を見つめていると、美姫の胸がギュッと絞られた。
誠一郎は徳利を置くと、少し遠慮しながら美姫と大和を窺うように見つめた。
「その......以前に、子供をそろそろ欲しいと思ってると話してたが......
いや、まぁこれは二人の問題だからな、焦らんでもいいんだが」
美姫の心臓がドクン、と跳ねた。嫌な汗が背中を伝う。
あの夜、大和から人工授精でもいいから子供が欲しいと言われ、考えておくと言ったものの、美姫はその答えをずっと先延ばしにしていた。
凛子は美姫を気遣うように見つめながらも、何も言わない。無言のプレッシャーをかけられているようで、辛かった。
大和が明るく答える。
「そうですね。ご期待に添えられるよう、頑張ります。
あ、頑張りますってそういう意味じゃなくて......俺たちも考えてますってことだよな、美姫?」
「うん」
美姫の肩に手が回され、つられるようにして笑みを見せた。
最高級の本マグロが載った鮨を口に入れながら、まるで砂を噛んでいるような気がした。
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