『ひんやり』への思慕

奏音 美都

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『ひんやり』への思慕

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 読んでいた本を閉じ、少女は長い睫毛を震わせた。

 『ひんやり』って、いったいどんな感じなんだろう。

 生まれてから彼女は、一度も熱さも冷たさも感じたことがない。いや、彼女だけではない。この時代に生きる人間は全て、そういった苦痛から解放されたのだ。

 暑くも寒くもない、快適な温度が保たれた環境に暮らしているため、暖房も冷房も必要ない。食事は、熱すぎても冷たすぎても体に悪影響を及ぼすことから、体温と同じ熱さで提供される。
 運動も遊びも実際に動くことなく、バーチャルの世界で楽しむようになっているため、汗をかくこともなければ、その後に冷たいビールで喉を潤すこともない。

 全て電子化されたこの世界には存在しない、200万年前に生きていた人間の遺物である本。そこには、少女が経験したことのない感覚が描かれていた。

 ひんやり……冷たくて、気持ちよくて、少し怖いって、不思議。

 少女は再び、思いを馳せる。物語に登場する『ひんやり』が描かれていた世界を。けれど、頭を働かせて白い雪を思い浮かべてみても、太陽の光を浴びて透明に輝く氷を想像してみても、それを触った時の『ひんやり』とした感覚は、いくらイメージを膨らませたところで浮かんでこない。ましてや、そこから生まれる恐怖など理解出来るはずがなかった。

 その時、緊急警報がけたたましく鳴り響いた。自動的にスクリーンの画面がつき、この世界の平和が侵されたことをニュースで告げている。

 ビーッ、ビーッ、ビーッ……

 人々が、逃げ惑っている。自分もどこかへ逃げなくてはと思いながらも、その先が分からない。少女は、この温室から一歩も外へ出たことなどないのだから。

 バタンッ!!

 一度も開かれたことのなかった扉が、乱暴に抉じ開けられた。途端に、冷たい強風が少女の頰に吹き付け、髪を掻き乱す。少女は手を頰に当てた。

 冷たくて、気持ちいい……これが、『ひんやり』なの?

 目の前では、本の挿絵でしか見たことのない、動物の毛皮を身につけた男が叫んでいる。

「これからは俺たちがこのシェルターの支配者だ。お前たちはここから出て行け!!」

 言われるがまま扉の外に出た少女が見たのは、一面の銀世界。地球は、6度目の氷河期を迎えていた。

 足を踏み出すと、ジンと神経が震え、体が硬くなった。

 これが、雪。『ひんやり』。
 少し、怖い……

 そう感じた瞬間、「せいぜい頑張って生き抜けよ!」その声とともに、扉が勢いよくバターンと閉められた。
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