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新生活

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 祖父母の住んでいた家の扉を開けると、錆び付いた軋んだ音が響く。足を踏み入れた途端、懐かしい匂いが薫子の鼻腔をついた。

 古びた土壁と畳と木の匂い。それに混じって微かに感じる、線香の匂い。

 お祖父様とお祖母様の、家の匂いだ......

 そう感じた途端、まるでふたりに包まれている様な気がして、薫子は思わず胸が熱くなった。記憶の奥深くに眠っていた祖父母との思い出が、まるで春の気配に気づいた蕾たちが一斉に花開く様に一気に蘇ってくる。

 薫子は思い出に浸るように、暫くそこに立ち尽くしていた。

「お嬢様、お上がり下さいませ」

 その声にハッとすると、ばあやは既に奥の畳の部屋へと向かっている。薫子もそれについていくために三和土たたきで靴を脱ぎ、部屋に上がった。

 上がったすぐ横には薫子のスーツケースとバッグ、ばあやのボストンバッグが置かれていた。運転手は、荷物を置くと同時に部屋を後にしていた。

 築何十年もたっているアパートの部屋は古びいているものの、埃が積もることもなく、清潔に保たれていた。

 ばあやが入っていった6畳ほどの畳の部屋には小さな仏壇が置かれており、祖父母の遺影がそれぞれの写真たてに収められていた。お墓参りには毎年行くものの、祖父母の写真を見るのは久方ぶりだった。優しく微笑むふたりの穏やかな顔を見て、懐かしい気持ちが込み上がってくる。

 薫子は、ばあやの斜め後ろに正座した。

 ばあやが慣れた様子で仏壇の引き出しから線香とマッチを取り出して擦ると、火を点ける。その様子から、彼女がいつもここに来ているのだと分かった。

 ばあやはここでひとり、お祖父様とお祖母様を弔っていたんだ......

 ばあやと祖父母との強い絆に感銘を受けつつも、どうしてずっと自分に秘密にしていたのかと、寂しい気持ちにもなった。

 線香を上げ終わったところで、ばあやがお茶を淹れるために台所へと向かう。

 薫子も手伝うつもりで台所までついて行ったものの、何がどこにあるのかも分からず、どうしていいのかも分からず、結局おろおろするだけだった。そうしている間にばあやはやかんに水を入れて沸かし、その間に茶筒を手に取って蓋を開け、そこに入れた茶葉を急須に入れていた。

「お嬢様は、そこに座っていて下さいませ」

 そう言われ、忙しく動き回るばあやの邪魔にならないように、座って見ているだけしかなかった。

 お茶を淹れることさえ、満足に出来ないなんて......これから、生活していく上で学ばなければならないことはたくさんあるな。

 薫子は落ち込みながらも、気を引き締めた。

 年月を経て更に深みを増した木目の正円形のちゃぶ台に、ばあやが湯呑みをふたつ置く。

 改めて部屋を見回してみると、家具は祖父母が住んでいた当時そのままの状態だ。部屋の隅のテレビですら、もう今では見ることの出来ない古い型のものがそのまま置かれている。まるで自分が祖父母の生きていた時代にタイムスリップしたような懐かしさを感じながら、この家にいたもう一人の顔を思い出した。

「そういえば、榊さんはどうしているんですか」

 薫子は、祖父母の世話役としてたったひとりついてきた執事の榊のことを尋ねた。

 白髪で眼鏡を掛け、いつも丁寧な物腰で、祖父母とはそう年の変わらない男性だった。彼は、祖父母の元で寝食を共にし、それまで何不自由なくお屋敷で暮らしていた祖父母の世話の一切を担っていた。祖父母の葬儀の際、喪主は櫻井家の当主である龍太郎であったものの、実際にその全てを取り仕切ったのは榊だった。

 ばあやは懐かしい名を聞いて目を細めた後、小さく溜息を吐いた。

「奥様が亡くなり、その後を追う様に旦那様も亡くなられた後......葬儀を取り仕切り、全ての役割を全うしたかのように榊さんも体を壊し......それから長くかからないうちに、亡くなってしまわれたのですよ」
「そう、でしたか......」

 いつも控えめで、あまり言葉を交わすことはなかったが、それでも薫子は榊が好きだった。薫子が遊びに来る時には、いつも彼女が大好きだったモンブランのケーキを用意してくれていた。
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