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初恋

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 まだドキドキが収まらないまま、図書室の扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。引き戸に手を掛け、静かに開ける。この瞬間はいつも胸が高なる。

 図書室と呼ぶにはあまりにも大きいこの空間は2階と3階を打ち抜いて造られており、天井はドーム型になっている。上層まで続く何層にもなっている本棚に上から見下されるように囲まれ、天井に埋め込まれた摺りガラスからは金色に輝く矢のような朝日が何本も差し込む。

 まるで、ハリーポッターの世界に迷い込んでしまったかのような、そんな気持ちになる。

 あの男の子に、この図書室を見せてあげたかったな……

 いつか……一緒に来られるといいな……

 図書室の中央の長テーブルの一角に腰掛けると、返却するつもりだった本の頁を捲った。


 「初恋」  島崎藤村

 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり

 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたへしは
 薄紅の秋の実に
 人こひ初めしはじめなり

 わがこゝろなきためいきの
 その髪の毛にかゝるとき
 たのしき恋の盃を
 君が情に酌みしかな

 林檎畑の樹の下に
 おのづからなる細道は
 誰が踏みそめしかたみぞと
 問ひたまふこそこひしけれ


 今は、昔の女の人のように大人になった証に髪を結い上げることはないけれど……

『本当に……女の子って、前髪を上げると大人っぽく見えるんだね』

 あの男の子の言葉を思い出す。

 真っ暗な夜みたいな黒い瞳に、私の乱れて上がった髪にかかる桜の花びらは、どのように映ったんだろう……

 林檎、じゃないけど……白くて綺麗な指先から受け取ったこの本が、まるであの男の子そのものであるかのように大切に感じる……

 前髪を撫でる指先に、覗きこまれた眼差しに、息がかかる程近付いた距離に……お酒を飲んだことはないけど、まるで酔ったように顔が熱くなって胸がドキドキして……クラクラしそうだった。

 あの男の子となら……道を作りたい。足で踏み固めた土で道ができるほどに……
 何度も何度も待ち合わせして、同じ時間を過ごしたい……

 国語の教科書で初めて「初恋」を読んだ時にも、この本を手に取って解釈を読んだ時にも感じなかった……

 何度も読んだはずの文章が、まるで初めて読んだかのように詩の情景と先程の男の子との情景とが重なり合って、新たな感情となって迫ってくる。

 これが、『初恋』なんだ……
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