12 / 50
第一章
第十二話 魔王、憂さ晴らしをする
しおりを挟む
教会を飛び出したラルフは、多くの商店が軒を連ねる中央市場へと向かっていた。
エリスに投げ渡された財布を胸に抱え、がむしゃらに路地を駆け抜ける。
リムルは、ラルフと同じ時期に教会に引き取られ、兄妹同然に育った。家族の愛情を知らずに育ったラルフだったが、リムルの屈託のない笑顔が、いつしかラルフの生きる糧になっていた。
「死なせない……絶対に死なせるものか」
リムルが黄疹病だと診断を受けた時、突きつけられた莫大な治療費は、貧乏教会にはとても払えるものではなかった。
そんな中、ある人物から黄疹病に効く魔道具を譲り受けたことは、ラルフにとってはまさに福音だったが、それだけに無意味だと分かった時の絶望は凄まじかった。
神なんて、いない。
苦しむリムルの手を握りながら、ラルフは虚無感に沈んでいた。
その時、突然示された希望。
『特効薬は、ある!』
白ローブに身を包んだ、見るからに怪しい人物の言葉。
素性の知れない人間の話をすんなり信じるほどラルフは子供ではなかったが、その言葉は不思議なほど力強く、頼もしく、心を打った。
それこそ、神のような、王のような、絶対者からの言葉のように。
ラルフは走った。走り続けた。
その希望を、ただ信じて。
中央市場の薬草屋についた時には、もうほとんど陽が沈んでいた。
店はすでに閉まっていたが、ラルフは破れそうな心臓をおさえながら、必死に声を張り上げ、扉を叩いた。
怒鳴りながら顔を出した店の主人は、ラルフの尋常でない様子に眉を顰める。
「どうしたってんだ?ガキがウチに何の用だ?」
「この、この紙に書いてある薬草を……売ってください……」
「ああ?……なんだこりゃ?なんだってこんな希少な薬草ばっかり」
店の主人は訝しい顔を向ける。子供の悪戯かとも思ったが、それにしては薬草の選択が奇妙だった。
「女の人が……これで、灰疹病の薬が作れるって……」
「はぁ?灰疹病?……馬鹿か。あの病気は不治の病なんだよ」
店の主人はため息を吐いた。
どうやらこの少年は誰かに騙されているようだ、と思った。
「もし薬が出来たら、すげぇ数の人が助かる。だから昔っから研究されてるが、未だに何の成果もねぇんだ。仮にそんなもんを作れる奴がいるとすりゃ、それは聖女か悪魔か……ん?」
主人の目が、ラルフの持つ財布に留まる。
……正確には、財布に刺繍された紋章に。
「まて、お前……!お前にこれを依頼した女の人って……!」
店の主人は驚愕し、そして興奮したように笑みを浮かべる。
「おお……おお!そうか、そういうことか!灰疹病の薬……まさかとは思うが、あのお方なら……聖女様なら!」
「……聖女様?」
主人は店の奥を振り返ると、棚の整理をしていた店員らしき少年を大声で呼んだ。
「おい、ペドロ!さっさとこっちこい!この店の大恩人が、俺らの薬草をご所望だ!特級品をかき集めろぃ!」
それから、主人は再度ラルフの持った紙を覗き込む。
「うん?マリューシャの糞?……これはウチにはねぇな。こんな珍品は、リャドの店だな。よし、ペドロ!お前、一走り、リャドの店からこいつ貰ってこい!」
「ええ?!嫌ですよ、もうあっちの店も閉まってる時間ですよ?あのオッサン、やたらと時間にうるさいし……」
「うるせぇ!あいつがゴタゴタ言うようなら俺がこう言ってたと伝えろ!『てめぇや俺がまた真鍮の森にレア物を採集に行けるようになったのは、どなたのお陰だ!?そのお方が、てめぇの珍品をご所望なんだよ!』てなぁ!」
ペドロが駆けていき、そしてリャドが小箱を傍に抱えて走ってくるまでに、そう時間はかからなかった。
ラルフが再びエリスの元に辿り着いた時は、すっかり辺りは暗くなっていた。
「はぁっ、はあっ、か、買ってきました!……というか、全部タダで貰えました……」
「遅い。危うく死ぬところだったぞ。……コウガがな」
「ま、ま、待っていたぞ少年……心からな……」
げっそりして横たわるコウガを見てラルフは最初ギョッとしたが、リムルと繋がった光る糸を見て大枠を察し、ペコリと頭を下げる。
「さて。そろそろ冗談でなく本当に危ういからな。とっとと調合するぞ」
エリスは、シスターや子供たちが見守る中、ゴリゴリと薬草をすり合わせ……ることはせず、すべてラルフにやらせるのであった。
魔王はしもべを働かせてなんぼなのである。
少しして。
「で、出来ました!」
「よし、それを小娘に飲ませろ」
ラルフは、薬をこぼさないよう、手の震えを必死で抑えながら、少しずつリムルに飲ませていった。
変化はすぐに表れた。
荒かったリムルの呼吸が、落ち着いてくる。
全身の土気色が消え去って、もとの肌の色を取り戻した。
「成功じゃ。治ったぞ」
苦しみから強張っていた表情が緩み、リムルが静かに目を開けた。
「すごい……あんなに辛かったのに……今はとてもいい気分……」
「リムル!」
「お兄ちゃん、ありがとう……」
「リムル、良かった、本当に良かった……!」
ラルフが、そして見守っていた子供たちが、一斉にリムルに抱きついた。
「うわっ」
「こらこら、リムルはまだ弱ってるんだから、そんなに揺さぶるんじゃありません」
シスターは子供たちを落ち着かせると、エリスの方に向き直る。
「なんとお礼を言ったら良いやら……。本当に、本当にありがとうございます」
シスターはエリスに向かって、深々と頭を下げた。
少しだけ、肩が震えていた。
「……ふん。礼など要らぬ。そこの小僧でも褒めてやれ」
「はい……。ラルフ、よく頑張ったわね」
ラルフの頭を撫でるシスター。
その様子を、白けた表情でエリスは見ていたのだったが……
直後、シスターの口からエリスにとって聞き捨てならない言葉が飛び出した。
「貴方が諦めなかったから、女神様が、聖女様を遣わして下さったのだわ」
「んな!?聖女じゃと!?」
エリスがベッドの縁からガタガタと立ち上がる。
「気付かずに大変失礼致しました、エリスお嬢様。いえ、聖女様。噂は本当だったのですね。大暴走を鎮め、真鍮の森を解放した神の雷……聖女として覚醒されたお嬢様が起こした奇跡だったと聞いております」
「いや!?それは、その……!!」
「今また、我らのために新たな奇跡を起こしてくださるなんて……女神に仕えるものとして、聖女様にお会いでき、そしてその御力を目の当たりにできたこと、大変光栄に思います」
「ええい、違うと言って……!」
「聖女様!」
「聖女様ありがとう!」
「せーじょさま!!」
「どわああああああ!?」
シスターを一発どつこうと身を乗り出したエリスは、津波のように押し寄せた子供たちに抱きつかれ、瞬く間に団子状態になった。
その様子を、げっそりやつれたコウガがウンウンと頷きつつ眺めていた。
「貧富の分け隔てなく、民に平等に奇跡をお与えなさる……さすがお嬢様。このコウガ、お嬢様にお仕えできること、誇りに思います!」
「……いいからさっさと助けるのじゃー!!」
団子の中からは、エリスの叫び声と、そして子供たちの嬉しそうな笑い声が響いてくるのだった。
それから少しして。
エリスは、教会の扉の前で、シスターとラルフから見送りを受けていた。
「此度は、本当にありがとうございました」
シスターは、もう何回目が分からないほどに頭を下げる。
ラルフも、一緒に頭を下げていたが、ふと意を決したようにエリスに駆け寄った。
「あの!……この、石ですが……ウィスカーという人から貰いました。街の外れの、山の上に住んでいる人です」
エリスは疲れ切った表情をしていたが、ラルフの言葉に少し眉を動かす。
「……そうか。分かった」
「あと、財布、お返しします。ありがとうございました」
「……ふん。それはくれてやる」
「え?!いいんですか?こんなに沢山……」
ラルフは薬草を買おうと財布を開いた際、今まで手にしたこともない大判の金貨や銀貨がギッシリ詰まっているのを見ていた。
侯爵令嬢の財布なのだから当然と言えば当然の中身なのだが、貧乏教会にとってはもの凄い金額である。
「勘違いするでないぞ?さっきの小娘がこの後に栄養不足で死んだら、わらわの寝覚めが悪いからじゃ」
エリスはそう言ったきり、もう振り返ることなく、スタスタと歩き去っていった。
コウガがシスターに一礼し、後に続く。
二人の姿が見えなくなっても、シスターとラルフは、しばらくの間、頭を下げ続けていたのだった。
この日を境に、『聖女の秘薬』と名付けられた薬がこの教会や薬草屋などの手によって広められ、一年ほどで領内から灰疹病は完全に駆逐される。
この噂は一気に広まり、秘薬やその調合方法を求めて大勢の人間がこの街に押し寄せることになった。
ちなみにエリスも知らないことであったが、エリスが書いた調合レシピには真鍮の森でしか取れない材料が含まれていた。
それらの材料は灰疹病のみならず、その他の難病にも効果があることがわかり、そのため、税収が乏しく、干からびた土地、と揶揄されることもあったファントフォーゼ領は、自国はおろか他国からも少しずつ注目を集める土地となっていくのだが、それはまた少し先のお話。
「……さて、もうよかろう」
教会から一本路地を抜け、少し開けた場所に出たところで、エリスが歩みを止めた。
半歩後ろを歩くコウガが、腰の剣に手をかける。
「それで殺気を消しているつもりなら甘過ぎじゃぞ。とっとと出てこい」
エリスの声が、星の光しか届かない空間に響く。
逡巡があったのか、少しだけ間を置いて、それらは姿を現した。
前後の路地から五人ずつ。
計十人の、黒装束の者たち。
「貴様ら、このお方がどなたか分かった上での狼藉か?」
コウガの問いかけに、黒装束は誰も答えない。
暗に肯定したと取ったコウガは、ゆっくりと剣を抜く。
「誰に頼まれた……かは聞くまでもないな」
「お嬢様?黒幕をご存知なのですか?」
「ふん。今はよい。それより……」
コウガを押しのけ、エリスがゆらりと前に出る。
自分を狙う者たちにわざわざ身を晒す危険な行為。
だが、直後。
黒装束の者たちに、動揺が走る。
目の前の華奢な少女……護衛さえ上手く仕留めれば問題なく終わる仕事だと思っていた、そのターゲットが……この世のものとは思えぬほど、凄惨な笑みを浮かべたからだ。
「わらわは今、とても機嫌が悪い……」
エリスの体から、重厚な魔力が迸る。
「少し、憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ?」
その言葉に、大いなる危険を予感した黒装束たちは、各自が物々しく獲物を抜き戦闘態勢に入った。
しかし、時すでに遅し。
彼らは気付くべきだった。
僅かに差し込む光で生じていたエリスの影が、いつの間にか、自分たちを含めた辺り一帯を呑み込むまでに拡がっていたことに。
「……これは……!?うわあっ!」
「ひ、ひいい!?」
「た、助けてくれぇ!!」
影から出現したのは、無数の黒い腕。
それらが、彼ら全員を悲鳴と共に闇に引き摺り込むと、まるで何事も無かったかのように、再びあたりに静寂が戻った。
……大陸を股に掛けて活動する暗殺ギルドの一つ『骸』が壊滅したというニュースは、特に業界関係者には驚きをもって迎えられた。
しかし、灰疹病の特効薬が見つかったようだという大ニュースを前に、それはすぐに皆の記憶から忘れ去られていったのだった。
エリスに投げ渡された財布を胸に抱え、がむしゃらに路地を駆け抜ける。
リムルは、ラルフと同じ時期に教会に引き取られ、兄妹同然に育った。家族の愛情を知らずに育ったラルフだったが、リムルの屈託のない笑顔が、いつしかラルフの生きる糧になっていた。
「死なせない……絶対に死なせるものか」
リムルが黄疹病だと診断を受けた時、突きつけられた莫大な治療費は、貧乏教会にはとても払えるものではなかった。
そんな中、ある人物から黄疹病に効く魔道具を譲り受けたことは、ラルフにとってはまさに福音だったが、それだけに無意味だと分かった時の絶望は凄まじかった。
神なんて、いない。
苦しむリムルの手を握りながら、ラルフは虚無感に沈んでいた。
その時、突然示された希望。
『特効薬は、ある!』
白ローブに身を包んだ、見るからに怪しい人物の言葉。
素性の知れない人間の話をすんなり信じるほどラルフは子供ではなかったが、その言葉は不思議なほど力強く、頼もしく、心を打った。
それこそ、神のような、王のような、絶対者からの言葉のように。
ラルフは走った。走り続けた。
その希望を、ただ信じて。
中央市場の薬草屋についた時には、もうほとんど陽が沈んでいた。
店はすでに閉まっていたが、ラルフは破れそうな心臓をおさえながら、必死に声を張り上げ、扉を叩いた。
怒鳴りながら顔を出した店の主人は、ラルフの尋常でない様子に眉を顰める。
「どうしたってんだ?ガキがウチに何の用だ?」
「この、この紙に書いてある薬草を……売ってください……」
「ああ?……なんだこりゃ?なんだってこんな希少な薬草ばっかり」
店の主人は訝しい顔を向ける。子供の悪戯かとも思ったが、それにしては薬草の選択が奇妙だった。
「女の人が……これで、灰疹病の薬が作れるって……」
「はぁ?灰疹病?……馬鹿か。あの病気は不治の病なんだよ」
店の主人はため息を吐いた。
どうやらこの少年は誰かに騙されているようだ、と思った。
「もし薬が出来たら、すげぇ数の人が助かる。だから昔っから研究されてるが、未だに何の成果もねぇんだ。仮にそんなもんを作れる奴がいるとすりゃ、それは聖女か悪魔か……ん?」
主人の目が、ラルフの持つ財布に留まる。
……正確には、財布に刺繍された紋章に。
「まて、お前……!お前にこれを依頼した女の人って……!」
店の主人は驚愕し、そして興奮したように笑みを浮かべる。
「おお……おお!そうか、そういうことか!灰疹病の薬……まさかとは思うが、あのお方なら……聖女様なら!」
「……聖女様?」
主人は店の奥を振り返ると、棚の整理をしていた店員らしき少年を大声で呼んだ。
「おい、ペドロ!さっさとこっちこい!この店の大恩人が、俺らの薬草をご所望だ!特級品をかき集めろぃ!」
それから、主人は再度ラルフの持った紙を覗き込む。
「うん?マリューシャの糞?……これはウチにはねぇな。こんな珍品は、リャドの店だな。よし、ペドロ!お前、一走り、リャドの店からこいつ貰ってこい!」
「ええ?!嫌ですよ、もうあっちの店も閉まってる時間ですよ?あのオッサン、やたらと時間にうるさいし……」
「うるせぇ!あいつがゴタゴタ言うようなら俺がこう言ってたと伝えろ!『てめぇや俺がまた真鍮の森にレア物を採集に行けるようになったのは、どなたのお陰だ!?そのお方が、てめぇの珍品をご所望なんだよ!』てなぁ!」
ペドロが駆けていき、そしてリャドが小箱を傍に抱えて走ってくるまでに、そう時間はかからなかった。
ラルフが再びエリスの元に辿り着いた時は、すっかり辺りは暗くなっていた。
「はぁっ、はあっ、か、買ってきました!……というか、全部タダで貰えました……」
「遅い。危うく死ぬところだったぞ。……コウガがな」
「ま、ま、待っていたぞ少年……心からな……」
げっそりして横たわるコウガを見てラルフは最初ギョッとしたが、リムルと繋がった光る糸を見て大枠を察し、ペコリと頭を下げる。
「さて。そろそろ冗談でなく本当に危ういからな。とっとと調合するぞ」
エリスは、シスターや子供たちが見守る中、ゴリゴリと薬草をすり合わせ……ることはせず、すべてラルフにやらせるのであった。
魔王はしもべを働かせてなんぼなのである。
少しして。
「で、出来ました!」
「よし、それを小娘に飲ませろ」
ラルフは、薬をこぼさないよう、手の震えを必死で抑えながら、少しずつリムルに飲ませていった。
変化はすぐに表れた。
荒かったリムルの呼吸が、落ち着いてくる。
全身の土気色が消え去って、もとの肌の色を取り戻した。
「成功じゃ。治ったぞ」
苦しみから強張っていた表情が緩み、リムルが静かに目を開けた。
「すごい……あんなに辛かったのに……今はとてもいい気分……」
「リムル!」
「お兄ちゃん、ありがとう……」
「リムル、良かった、本当に良かった……!」
ラルフが、そして見守っていた子供たちが、一斉にリムルに抱きついた。
「うわっ」
「こらこら、リムルはまだ弱ってるんだから、そんなに揺さぶるんじゃありません」
シスターは子供たちを落ち着かせると、エリスの方に向き直る。
「なんとお礼を言ったら良いやら……。本当に、本当にありがとうございます」
シスターはエリスに向かって、深々と頭を下げた。
少しだけ、肩が震えていた。
「……ふん。礼など要らぬ。そこの小僧でも褒めてやれ」
「はい……。ラルフ、よく頑張ったわね」
ラルフの頭を撫でるシスター。
その様子を、白けた表情でエリスは見ていたのだったが……
直後、シスターの口からエリスにとって聞き捨てならない言葉が飛び出した。
「貴方が諦めなかったから、女神様が、聖女様を遣わして下さったのだわ」
「んな!?聖女じゃと!?」
エリスがベッドの縁からガタガタと立ち上がる。
「気付かずに大変失礼致しました、エリスお嬢様。いえ、聖女様。噂は本当だったのですね。大暴走を鎮め、真鍮の森を解放した神の雷……聖女として覚醒されたお嬢様が起こした奇跡だったと聞いております」
「いや!?それは、その……!!」
「今また、我らのために新たな奇跡を起こしてくださるなんて……女神に仕えるものとして、聖女様にお会いでき、そしてその御力を目の当たりにできたこと、大変光栄に思います」
「ええい、違うと言って……!」
「聖女様!」
「聖女様ありがとう!」
「せーじょさま!!」
「どわああああああ!?」
シスターを一発どつこうと身を乗り出したエリスは、津波のように押し寄せた子供たちに抱きつかれ、瞬く間に団子状態になった。
その様子を、げっそりやつれたコウガがウンウンと頷きつつ眺めていた。
「貧富の分け隔てなく、民に平等に奇跡をお与えなさる……さすがお嬢様。このコウガ、お嬢様にお仕えできること、誇りに思います!」
「……いいからさっさと助けるのじゃー!!」
団子の中からは、エリスの叫び声と、そして子供たちの嬉しそうな笑い声が響いてくるのだった。
それから少しして。
エリスは、教会の扉の前で、シスターとラルフから見送りを受けていた。
「此度は、本当にありがとうございました」
シスターは、もう何回目が分からないほどに頭を下げる。
ラルフも、一緒に頭を下げていたが、ふと意を決したようにエリスに駆け寄った。
「あの!……この、石ですが……ウィスカーという人から貰いました。街の外れの、山の上に住んでいる人です」
エリスは疲れ切った表情をしていたが、ラルフの言葉に少し眉を動かす。
「……そうか。分かった」
「あと、財布、お返しします。ありがとうございました」
「……ふん。それはくれてやる」
「え?!いいんですか?こんなに沢山……」
ラルフは薬草を買おうと財布を開いた際、今まで手にしたこともない大判の金貨や銀貨がギッシリ詰まっているのを見ていた。
侯爵令嬢の財布なのだから当然と言えば当然の中身なのだが、貧乏教会にとってはもの凄い金額である。
「勘違いするでないぞ?さっきの小娘がこの後に栄養不足で死んだら、わらわの寝覚めが悪いからじゃ」
エリスはそう言ったきり、もう振り返ることなく、スタスタと歩き去っていった。
コウガがシスターに一礼し、後に続く。
二人の姿が見えなくなっても、シスターとラルフは、しばらくの間、頭を下げ続けていたのだった。
この日を境に、『聖女の秘薬』と名付けられた薬がこの教会や薬草屋などの手によって広められ、一年ほどで領内から灰疹病は完全に駆逐される。
この噂は一気に広まり、秘薬やその調合方法を求めて大勢の人間がこの街に押し寄せることになった。
ちなみにエリスも知らないことであったが、エリスが書いた調合レシピには真鍮の森でしか取れない材料が含まれていた。
それらの材料は灰疹病のみならず、その他の難病にも効果があることがわかり、そのため、税収が乏しく、干からびた土地、と揶揄されることもあったファントフォーゼ領は、自国はおろか他国からも少しずつ注目を集める土地となっていくのだが、それはまた少し先のお話。
「……さて、もうよかろう」
教会から一本路地を抜け、少し開けた場所に出たところで、エリスが歩みを止めた。
半歩後ろを歩くコウガが、腰の剣に手をかける。
「それで殺気を消しているつもりなら甘過ぎじゃぞ。とっとと出てこい」
エリスの声が、星の光しか届かない空間に響く。
逡巡があったのか、少しだけ間を置いて、それらは姿を現した。
前後の路地から五人ずつ。
計十人の、黒装束の者たち。
「貴様ら、このお方がどなたか分かった上での狼藉か?」
コウガの問いかけに、黒装束は誰も答えない。
暗に肯定したと取ったコウガは、ゆっくりと剣を抜く。
「誰に頼まれた……かは聞くまでもないな」
「お嬢様?黒幕をご存知なのですか?」
「ふん。今はよい。それより……」
コウガを押しのけ、エリスがゆらりと前に出る。
自分を狙う者たちにわざわざ身を晒す危険な行為。
だが、直後。
黒装束の者たちに、動揺が走る。
目の前の華奢な少女……護衛さえ上手く仕留めれば問題なく終わる仕事だと思っていた、そのターゲットが……この世のものとは思えぬほど、凄惨な笑みを浮かべたからだ。
「わらわは今、とても機嫌が悪い……」
エリスの体から、重厚な魔力が迸る。
「少し、憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ?」
その言葉に、大いなる危険を予感した黒装束たちは、各自が物々しく獲物を抜き戦闘態勢に入った。
しかし、時すでに遅し。
彼らは気付くべきだった。
僅かに差し込む光で生じていたエリスの影が、いつの間にか、自分たちを含めた辺り一帯を呑み込むまでに拡がっていたことに。
「……これは……!?うわあっ!」
「ひ、ひいい!?」
「た、助けてくれぇ!!」
影から出現したのは、無数の黒い腕。
それらが、彼ら全員を悲鳴と共に闇に引き摺り込むと、まるで何事も無かったかのように、再びあたりに静寂が戻った。
……大陸を股に掛けて活動する暗殺ギルドの一つ『骸』が壊滅したというニュースは、特に業界関係者には驚きをもって迎えられた。
しかし、灰疹病の特効薬が見つかったようだという大ニュースを前に、それはすぐに皆の記憶から忘れ去られていったのだった。
0
お気に入りに追加
232
あなたにおすすめの小説
【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!
暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい!
政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。
この称号、削除しますよ!?いいですね!!
布浦 りぃん
ファンタジー
元財閥の一人娘だった神無月 英(あずさ)。今は、親戚からも疎まれ孤独な企業研究員・27歳だ。
ある日、帰宅途中に聖女召喚に巻き込まれて異世界へ。人間不信と警戒心から、さっさとその場から逃走。実は、彼女も聖女だった!なんてことはなく、称号の部分に記されていたのは、この世界では異端の『森羅万象の魔女(チート)』―――なんて、よくある異世界巻き込まれ奇譚。
注意:悪役令嬢もダンジョンも冒険者ギルド登録も出てきません!その上、60話くらいまで戦闘シーンはほとんどありません!
*不定期更新。話数が進むたびに、文字数激増中。
*R15指定は、戦闘・暴力シーン有ゆえの保険に。
婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。
侍と忍者の記憶を持ったまま転生した俺は、居合と忍法を組み合わせた全く新しいスキル『居合忍法』で無双し異世界で成り上がる!
空地大乃
ファンタジー
かつてサムライとニンジャという理由で仲間に裏切られ殺された男がいた。そして彼は三度目の人生で『サムジャ』という天職を授かる。しかし刀や手裏剣を持たないと役に立たないとされる二つの天職を合わせたサムジャは不遇職として扱われ皆から馬鹿にされ冷遇されることとなる。しかし彼が手にした天職はニンジャとサムライの長所のみを引き継いた最強の天職だった。サムライの居合とニンジャの忍法を合わせた究極の居合忍法でかつて自分を追放し殺した勇者や賢者の剣術や魔法を上回る刀業と忍法を手にすることとなり、これまでの不遇な人生を一変させ最強への道を突き進む。だが彼は知らなかった。かつてサムライやニンジャであった自分を殺した賢者や勇者がその後どんどんと落ちぶれていったことを。そしてその子孫が逆恨みで彼にちょっかいをかけ返り討ちにあってしまう未来が待っていることを――
聖女追放。
友坂 悠
ファンタジー
「わたくしはここに宣言いたします。神の名の下に、このマリアンヌ・フェルミナスに与えられていた聖女の称号を剥奪することを」
この世界には昔から聖女というものが在った。
それはただ聖人の女性版というわけでもなく、魔女と対を成すものでも、ましてやただの聖なる人の母でもなければ癒しを与えるだけの治癒師でもない。
世界の危機に現れるという救世主。
過去、何度も世界を救ったと言われる伝説の少女。
彼女こそ女神の生まれ変わりに違いないと、そう人々から目されたそんな女性。
それが、「聖女」と呼ばれていた存在だった。
皇太子の婚約者でありながら、姉クラウディアにもジーク皇太子にも疎まれた結果、聖女マリアンヌは正教会より聖女位を剥奪され追放された。
喉を潰され魔力を封じられ断罪の場に晒されたマリアンヌ。
そのまま野獣の森に捨てられますが……
野獣に襲われてすんでのところでその魔力を解放した聖女マリアンヌ。
そこで出会ったマキナという少年が実は魔王の生まれ変わりである事を知ります。
神は、欲に塗れた人には恐怖を持って相対す、そういう考えから魔王の復活を目論んでいました。
それに対して異議を唱える聖女マリアンヌ。
なんとかマキナが魔王として覚醒してしまう事を阻止しようとします。
聖都を離れ生活する2人でしたが、マキナが彼女に依存しすぎている事を問題視するマリアンヌ。
それをなんとかする為に、魔物退治のパーティーに参加することに。
自分が人の役にたてば、周りの人から認めてもらえる。
マキナにはそういった経験が必要だとの思いから無理矢理彼を参加させますが。
追放された聖女の悠々自適な側室ライフ
白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」
平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。
そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。
そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。
「王太子殿下の仰せに従います」
(やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや)
表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。
今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。
マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃
聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。
乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)
ラララキヲ
ファンタジー
乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。
……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。
でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。
ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」
『見えない何か』に襲われるヒロインは────
※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※
※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※
◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる