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第一章

第五話 魔王、不敵に笑う

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「この愚か者どもが!」

 エリスが応接間に入ると、すでに昨日の三人の騎士たちが揃っていた。
 壁際に一列に並び、身体を固めて微動だにしない。

 そんな彼らを、派手な格好をした小太りの男が、猛烈な剣幕で怒鳴り立てていた。
 騎士たちは俯き、ただ叱責に耐えている様子だ。

 エリスは、その中にいた昨日の青年騎士を一瞥する。

 ――ふーむ、やはりどこかで会った気がするんじゃがなぁ。気のせいかのぅ。

 侯爵令嬢エリス・ファントフォーゼの記憶には、もちろん彼の姿がある。一年ほど前から侯爵家の私設騎士団に入団した青年だ。名前は……ちょっと覚えていない。

 だが、そういうことではない。エリスは、前世……魔王であった時に、彼と会ったような気がしているのだ。

 ――まぁ、よいか。人間のことなど、べつに思い出す必要も無し、じゃ。

 関心を失ったようにエリスはふいっと顔を逸らす。
 それから、ゴルドーに声をかけた。

「叔父上」

 エリスに気がつくと、オルドーは、ふんっと鼻を一度ならした。

「なんだ、いたのかエリス。モンスターに襲われたそうだな。大変だったじゃないか」

 なんら血の通わない、無機質な口調だった。
 とても、わざわざ見舞いにきた者の様子とは思えない。他に目的があることは明白だった。

 エリスも、素っ気ない声音で返す。

「わらわは別に何ともないのじゃ。それより、何事じゃ?そんなに大声を出して」

「……わらわ?のじゃ?どうしたエリス、なんだそのヘンテコな言葉遣いは。頭でも打ったのではないか?」

 ……ヘンテコ。

 空気に、ピシリ、とヒビが入った。

「叔父上……いま、なんと?」

「ヘンテコと言ったのだ」

 ピシリ、と、今度はエリスのこめかみにヒビのような青筋が出現した。

 ――……この人間が……!わらわの、高貴でやんごとない言葉遣いをつかまえて、よりにもよってヘンテコとほざいたか……!?よかろう、死刑じゃ!極刑じゃ!!地獄の責め苦を与えてくれるわ!!

 エリスは底冷えする薄ら笑いを浮かべ、両手に闇の魔力を集中させた。
 目立たず騒がず人間社会潜伏計画、など、はるか遠い意識の彼方である。

 だが。

 まさに闇の炎が顕現しようとしたその時、エリスは、横にいるじいやがこっそりこちらの様子を窺っていることに気がついた。

 さらには、後ろに控える使用人たちも。

 ……そこでエリスは、はっとした顔をする。

 ――むむむ!?わらわの振る舞いは、もしやこのくらいの小娘が行うと違和感があるのか!?

 小娘うんぬん関係なく『わらわ』とか言ってる人間は普通にはいないのであるが、人間社会に疎いエリスには分からない。

 ――迂闊じゃ!このままでは、計画したばかりの人間社会潜伏作戦がいきなり破綻してしまうではないか!

 先ほど大魔法をぶっ放そうとしていたことなどすっかり忘れて、計画の失敗に恐れをなすエリス。
 頭を抱えるエリスの様子を見て、周りの人間はますます怪訝な表情を強める。

 ――ど、どうすればよいのじゃ!……ええと、このくらいの人間の娘は……。

 一生懸命、人間についての記憶を掘り返す。

 ――うーむ、確かこんな口調じゃったような……。

 エリスは思い付いたことを小声で試してみた。


「わ、わたくしは、ふつう……でしてよ?」


 ……束の間の静寂。


 ――うむ、無理じゃ!無理無理!

 今後ずっとこんな感じでいけるはずがない、と即座に悟ったエリスは、

「……イメージを変えようと思うてな。今後はこの口調でいくつもりじゃ」

 すっぱり開き直ることにした。


 だが、それを聞いてゴルドーたちは「ああ、若い頃特有のアレね」と、ある意味納得した様子だった。
 皆がエリスに、ほんのり生暖かい視線を向ける。

 ――ふう。上手く誤魔化せたようじゃな。

 思わず安堵のため息をもらすが、微妙に変な子扱いになったことには気づいていないエリスであった。


「まぁよい。それよりも……」

 それだけ言ってゴルドーは、顔を騎士たちに向けると、再び怒鳴り出した。

「分かっておるのか!儂の可愛い可愛い姪が、命の危険に晒されたのだぞ!貴様らは一体何をやっていた!?エリスが危険な目に遭わないようにするのが、貴様らの役目だろうが!」

 よく言う。
 エリスはそう思った。

 エリスの記憶に、ゴルドーから可愛がられた思い出などない。
 むしろ、邪魔者を見るような目を向けてくる冷たい親戚。そんな印象しかなかった。

「エリス!よいな!?こやつらはクビにするのだ!儂がもっとまともな護衛を手配してやる!!」

 そうゴルドーが言い放った。

 騎士たちの顔に、驚きと落胆の色が浮かぶ。

 ゴルドーのその様子を、エリスは……笑いを噛み殺しながら眺めていた。

 ――くくく。醜く暗い感情が伝わってくるのぅ。

 人間の絶望と怨嗟の声から生まれたエリスは、人の放つ負の感情を明確に認識することができた。
 そのエリスのセンサーが、ゴルドーに敏感に反応する。

 ――ゴルドーめ、やけにこやつらに厳しいが……何か魂胆があるなぁ?クビにしたい、わらわから遠ざけたい理由が。

「どうした!?なにを突っ立っている!さっさと出て行かぬか!」

 ゴルドーが扉を指差し大声を上げる。

 ――さて。

 エリスは頬に指を当てて一考し、

 ――これは願ってもない展開じゃ。上手くやれば、わらわに心から忠誠を誓う下僕を手に入れられるやもしれぬ。

 くくく、と隠れ笑いをする。

 ――ゴルドーがなにを企んでいるのか、にも興味はあるしのう。実に暇つぶしには丁度良い。



「……待たれよ叔父上。言葉が過ぎる」

 エリスが、ゴルドーの前に進み出る。

 他人に意見などしない、大人しいお嬢様……そんな印象しか持っていなかったゴルドーや使用人たちは、エリスの突然の行動に驚愕して目を見開く。

「!?なにか文句があるのか、エリス?こやつらは、自分の責務を全うできなかったのだぞ!!」

「ふむ?責務?こやつらの責務とはなんじゃったかのう?」

「知れたこと。お前を危険な目に遭わせぬことだ!それが護衛の責務であろうが!」

「違うぞ叔父上。護衛の責務は、危険な目に遭わせぬことではなく、危険から護ることじゃ。あのルートを選んだのはわらわじゃ。わざわざ危険な場所に出向いて襲われたのはわらわの落ち度。こやつらが責められる謂れはない」

「ぬぐっ……?」

 エリスの毅然とした態度に、気圧されるゴルドー。
 今までの姪とは何かが違う。彼は漠然とそう感じていた。
 インドア派の少女が突如魔王のプレッシャーを纏ったのだから、ある意味当然の気づきではあるが。

 エリスは青年騎士を指差して続ける。

「こやつら、特にこの者はマンティコア相手に一歩も引かず、結果的にわらわは無傷で済んだ。危険から護るという点では、むしろ賞賛されて然るべきじゃ」

 ゴルドーの中にあった驚きが、徐々に怒りへと転化されていく。
 ゴルドーの顔は明らかに紅潮し、握り拳がぶるぶると震え出した。

「なにを……!小娘が知った風な口を!儂は兄上がいない間、ここの管理を任されているのだ!こやつらの処遇は儂が決めるのだ!」

 ゴルドーの怒鳴り声は、しかし、ただ周囲の使用人たちをすくみ上がらせたのみで、目の前の華奢な少女の表情をカケラも崩すことはできなかった。

「それも違うな叔父上。父上は叔父上に管理など任せてはおらぬ。困ったことがあれば相談しろ、という程度じゃ。あくまで今、領主不在のこの地で代理の権限を持つのは……わらわじゃ。そうじゃろう?」

「くっ!エリス、貴様……!儂に歯向かうか!この恩知らずめが!!」

 いよいよゴルドーは言うことを失い、自分の姪に対し露骨な恫喝を始める。
 しかし少女は、威圧されるどころか逆にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「恩知らず?はて、わらわが叔父上から受けた恩とは何のことじゃ?襲撃の影響か記憶が曖昧でなぁ、具体的に教えてもらえるかのぅ?」

「ぐぐぐぐぐっ」

 歯噛みするゴルドーを眺めながら、ここでエリスはあることに気がついた。
 ゴルドーが、エリスの胸元の方へ、チラチラと視線を移していることに。

 ――なんじゃ?

 その視線の先には……エリスのしている、ネックレスがあった。
 このネックレスについて、エリスはゆっくりと記憶を辿る。

 ――ほう?これはゴルドーからの贈り物か。なんじゃ、親戚らしいこともしてはいるのか……ん?

 しかし同時に、エリスはネックレスから漂う妙な気配にも気がついた。

 ――これは……。くくく。なるほどのぅ。わらわとしたことが、気付くのが遅れたわ。

「くそっ!!」

 ゴルドーはガンッと手近な椅子を蹴り飛ばすと、

「帰るぞ!」

 連れてきた自分の使用人に怒鳴り、扉へと体を向けた。

 そこへエリスが声をかける。

「ああ、叔父上。ひとつ感謝することがあったのじゃ。この……ネックレス」

 ゴルドーの背中が、微かだがビクッと震えた。

「先月あった成人の儀の折に、叔父上がくれたものじゃったなぁ。実に素晴らしい装飾じゃ。匂い立つような美しさ、という言葉がピッタリじゃ」

 ゴルドーが、エリスの方へとゆっくりと振り返る。
 そこで彼が目にしたものは……

 それはそれは美しい……そして、およそ人のものとは思えぬ、魔性の微笑みだった。

「この匂うような魅力……いや、魔力とでも言おうか?……人間どころか、『人外のモノまで誘い出してしまいそう』じゃなぁ。おお、怖い怖い。護ってくれる騎士がおらぬと、何が起こるか気が気では無いわ」

 その言葉にゴルドーは明らかな狼狽の色を浮かべ、無言で逃げるように応接間から出て行くのだった。
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