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実現不能な理想郷のために

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 話は去年の10月までさかのぼる。
 このときの俺は今よりもだいぶやさぐれていたように思える。
 選挙戦を終え、晴れて生徒会長となった青葉未来に、放課後俺は呼び出されたのだった。

 …………。
 ……。

「さて不知火君。君に次のお願いだ」

「まだなにか? 生徒会長にはもうなったじゃないですか」

「そう邪見にするなよ。なに君にとっても悪い話じゃない」

「先輩のお願いで自分にとって良い話だった記憶がありません」

「ハッハッハ。あまり笑わせるな。今はそういう気分でもないんだ」

 冗談ではない。
 この数か月、この人に目をつけられてしまった俺は地獄のような毎日を送っていたのだ。選挙戦を勝ち抜くため、という口実の元での無茶なお願いの数々は枚挙に暇がない。
 ここが一区切りとなるはずだったのに……。

「私は君を買っている。その上で我が校の生徒会の役員については知ってるだろう? そのポストはすべて生徒会長の、つまり私の一存で決めることができる。閣僚を決める首相のようなものだな」

「はぁ」

「まだわからないか? すべては私の胸先三寸むなさきさんすん次第だと言っているのだ」

 青葉先輩がいつものように、歪んだ笑みを俺に向けた。頭の悪い俺でもこれが脅迫をはらんだなにかの取引だというぐらいはわかる。

「どうしろと言うんです?」

 こうなっては観念するしかない。

「ふふっ、不知火君のそうゆう聞き分けのいいところは好きだよ」

 まったくこの人は。
 人の気を知っておいて……。

「二年に花沢早紀という生徒がいるのは知っているな?」

「ええ、そりゃまぁ。有名な方ですし」

 嫌な予感が、した。

「彼女を生徒会に加えたい」

 前言撤回。観念できる案件ではない。

「……会長の人選に異論をはさむつもりはありません。素晴らしい生徒会の発足を期待してます」

 最悪の事態を即座に理解した俺はそう言って生徒会室から出ようと踵を返した。
 だが彼女がそんなことを許してくれるはずもなかった。

「もし、もしもだ。花沢が生徒会に加わらない場合、空いたポストには君を任命することになる」

 平然とそんなことを言い放つ。
 そのあまりに強すぎる引力を含んだ一言に、強制的な待機を強いられた。これ以上この学園で目立つなど俺に耐えられるはずがない。逃げ道を塞いだ上での交渉、いやこれは強要だ。

「申し訳ありませんがお断りさせていただきます」

 無駄とわかりつつも最後の悪あがきだった。

「ふふふ、不知火君。今日はやけにが多いな。私が君にそんなことを許すとでも?」

 当然のように一笑に付されて終わった。

「……でしたら花沢先輩にもそう仰れば良いでしょう?」

「彼女は特別だ。私がどんな言葉を尽くそうが折れんよ」

 青葉先輩はわざとらしくお手上げのようなポーズをとって肩をすくませてみせた。

「だからこそ君に頼みたい。花沢早紀を生徒会に勧誘してくれ」

 予測出来てはいたが滅茶苦茶にも程がある要求だった。
 花沢先輩はヤクザの組長の愛娘である。怖いとかいう次元ではなく、接触事態が危険なのだ。激情家という噂もよく耳にする。面識のない後輩の俺が話しかけるだけでどんな事態に進展するか知れないのだ。

「先輩はひょっとして自分になにか恨みでもあるんですか?」

 この人は苦しむ俺を見て楽しんでる節がある。

「まさか。信頼できるからこそ、こんな無茶を通している」

「……」

「こんな言い方はしたくないんだがね。私がしてるうちに、どうか聞き分けてほしい」

 これがお願い、ね。

「私とて命令はしたくない。不知火君は選挙戦をともに戦ってくれたパートナーだからな。今ならいくらか言い分も飲もう」

 すでにこの人から何度もされてきた無茶である。
 こうなってはどうあっても断れないことを、俺は知っていた。

「これっきりに、してもらえますか?」

「これきり、とは?」

 青葉先輩はなにがおかしいのか、笑いをこらえてるようだ。

「もうこういう強要みたいなのは御免なんです」

「おいおい。あまりといえば失礼な言い方をするじゃないか。私は可愛い後輩にお願いしてるだけだというのに。だがまぁ、いいだろう。約束する。私からのお願いは、これっきりだ」

 先輩との唯一のつながり。それがこの選挙戦を通じて行われる無茶な「お願い」だった。
 それが途切れてしまうことにいくらかの寂しさもある。
 だがそれ以上にこの条件付きでの関係を継続する方が精神的にキツかった。これらが仮に普通の内容で、どこにでもあるようなお願いだったらいくらでも協力してただろう。弄ばれてるような感覚にもならなかったはずだ。いかに大恩があるとはいえもう限界だった。憧れを抱いてる人に利用され続けるというのはあまりに哀しいのだ。
 青葉先輩は理不尽な人ではあるが約束を反故にするようなことは絶対にしない。ほんとにこれきりとなるはずだ。

「わかりました。やってはみます。でも期待しないてください」

「ありがとう。不知火君ならそう言ってくれると信じていたよ。それにそう気負う必要はない。勧誘に失敗したらしたで君が生徒会に入ることになるだけだ。私としてはそれで充分だよ。むしろそれを望んでもいい」

 九分九厘そうなるに決まっていた。
 反社会勢力と言ってもいい花沢先輩を生徒会に、どころかよりにもよって青葉先輩のにつけるなんて出来るはずもないのだ。いいとこ声をかけたタイミングで半殺しにされて終わりだろう。本当にひどい役回りとしか言えなかった。

「気が滅入りますね」

「まぁそう言うな。来季の生徒会の発足は一週間後だ。私はそれまでに役員を決め、名簿を理事長に提出せねばならない」

「一週間ですか……」

「短すぎるかな?」

「いえ逆ですよ」

 そんな時間はいらない。明日声をかけてそのまま終わり。
 俺に出来るのはそのとき五体満足でいられることを祈るのみだ。

「それは頼もしい!」

 くそが……。
 この人はわかっていてこういう態度をとってくるのだ。性根が腐っている。

「最後にひとつだけ聞いてもいいですか?」

 どうしても気になることがあった。なにせ下手すればこの一件で俺の学生生命を失いかねないのだ。

「私たちの仲じゃないか。何でも聞くと言い」

「なぜ花沢先輩なのですか?」

 シンプルな、しかしとても重要なことだった。誰の目にもおかしな人選だろう。

「君に意地悪したいから、とでも思ってるのか」

「……そう考えると腑には落ちます」

「なかなかに手厳しい。だが今回ばかりは本当に違う。彼女のような存在が生徒会に入ることには大きな意味が生まれるのさ」

 今まではそうだったのかと問い詰めたくなるが自重する。青葉先輩の言葉の続きを待った。

「不知火君は国際的に悪名高いハッカーが政府側の人間にヘッドハンティングされる話を聞いたことがないか? この例ではハッキングする側からセキュリティソフトを作る側にジョブチェンジしたわけだ。毒をもって毒を制すとも蛇の道は蛇ともいうだろう。彼女が生徒会に加われば我が学園の治安は飛躍的に良くなるはずだ。なにしろ取り締まる側に、その道の王ともいうべき存在が来るのだからね」

 なるほどね。論理は理解した。確かにそれが叶えば我が校の治安は劇的に改善するかもしれない。
 ……現実的に可能かどうかは置いておく必要があるが。だいたい風紀の取り締まりならもっと適役がいるだろう。

「でしたら風紀委員とかの方が適しているのではないですか?」

「馬鹿だな君は。それじゃ私が従えないじゃないか。飽くまで私の管理下、指示の元でこの学園の治安をコントロールすることに意味がある」

 それはさも当然とばかりの口ぶりだった。
 なるほど青葉未来とはこういう人間であった。これまででも群を抜いたそのあまりの無茶な要求に、ようやく合点がいった。

「……取り敢えず明日、花沢先輩に会ってみます」

「是非是非そうしてくれ。ああ、保健室のカギも預けておこうか?」

 くそったれめ!! 他人事だからって……。
 そんな経緯で、俺は組長の娘である花沢早紀を生徒会に勧誘することになったのだった。
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