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裏切りの代償

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「う、浦島君! なにしてん……ふが」

 もがきながら番長を引きはがそうとするがその巨体はピクリとも動かない。さらにあろうことか口元を大きな手で塞がれてしまった。助けを呼ぶことも、交渉して番長を思いとどまらせることも、もうできない。

「お前が悪いんだぜ不知火」

 恐ろしく太く、低い声で番長がそう呟く。俺は仰向けのまま万歳をさせられるような恰好で、両手首を番長の片手で抑えつけられていた。もう一方の手は俺の口を封じ込め、マウントポジションで逆転はもはや不可能な姿勢だ。あまりの恐怖で目尻に涙が溜まっていく。

「その表情かお、たまんねぇぜ」

 オエッ! 
 気持ち悪っ!! 
 やばいやばいやばい!!
 これはマジでやばい! 
 完全なるレ〇パーがそこにいる。
 唯一僅かに動かせる足で、バタバタと音を立てて抵抗する。例え無駄とわかっていても。

「今更暴れんじゃねぇよ。誘ってきたのはそっちなんだからよ」

 !!??? 
 誘った? 
 一体誰が!? 
 誰を? なぜに? 
 誘った、というのか???

「フガガ、モガ」

 必死に否定を試みるも叶わない。

「俺はなぁ、お前さんから手を引こうとしたんだぜ? 迷惑なんじゃねぇかなって思ってよ」

 手を引く? なんのことだ。

「なのに俺と仲良くなりたいとはぁな。驚いたぜ」

 そのことか!! 
 違う!! 断じて! 決してそんなことは!!
 こんな意味で仲良くなりたいわけあるもんか!
 どんな狂った思考回路してやがる!!

「暴れたフリしたってほんとは期待してんだろ? ん?」

 いつになく饒舌な番長の変容からして興奮しているのだろう。どうして俺の周りにはサイコ人間しかいないのか。

「……」

 番長が突然なにも言わなくなり、静粛が辺りを包み込む。これはこれで怖い。俺の身動きを封じる力は一切緩められていない。嵐の前のなんとやらか……。
 ってあれ? 
 俺の両手を拘束する番長の手がほどけた。だからといって挽回できる力量さではないものの、僅かな光明を見る。

「クックック、糸くずはちゃんと取ってきたか?」

「ふごごごごご」

 イヤァアアアアッッ!!! 
 どこ触ってんですかーーーーー!! 
 拘束を解いたのはそこを触るためですかそうですか……。
 あんなに糸くず糸くずしつこかったのはこういうことをする予定だったからですかなるほど。光明なんてまるでありませんでしたはい。
 汗ばんだ番長の裸体(ふんどしは穿いている)から汗の雫がしたたる。ピチョンピチョンと小気味良いリズムで俺の胸元に落ちる雫たち。それはまるで断頭台に向かって13階段を一歩ずつ登らされるような恐怖の音だった。
 舌をかみ切る勇気があればすぐにでもそうしたかった。これから起こるであろう狂宴に絶望しか浮かばない。番長の手が俺のモノを握りしめ、失神しかける。覚悟を決めるしかない、のか……。
 その時だった。

「D班はちゃんと寝てるかー?」

 この声は!? 
 生徒指導の教師の声! 
 先程散々にしぼられたこともあってやけに耳に馴染んでいた。間違いない!
 助けてください! 助けてくださーーい!! 
 心の底からそう叫ぶ。今ならひと昔前に流行った映画での、あの迫真の演技に迫れる自信があった。ここは世界の中心なんかではないのだけれど。
 火事場の馬鹿力よろしく解放された両手を含め、両足も使ってバタバタと床を叩き、SOSを送った。頼む気付いてくれ……。一人の罪なき少年の貞操が今脅かされているんです。

「うるせぇよ」

「ムゴ……」

 そんな俺の必死の抵抗は、番長が握りしめていた手に力を籠めたことで雲散霧消うんさんむしょうした。大部屋に再びの静粛が訪れ、教師が部屋を通り過ぎていく音だけが虚しく響き渡る。

「フッ、ビビらせやがって」

 番長が入り口に目をやり、顔をほこらばせた。
 ……。
 ――ここだ!!
 安堵として緩む一瞬の隙、番長の腕から僅かな弛緩を感じ取った俺はそこに最後の活路を見出した。

「うぉお」

 勢いよくブリッジして僅かに浮かせた番長の身体を横なぎに放り投げた。意表をつかれたのか番長の身体は簡単に翻り、側方に転がった。これだけでは駄目だ。逃げなければならない。

「下から突き上げてくるたぁな。なかなかやるじゃねぇか。二回戦といこうや」

 番長はなにか気持ちの悪い勘違いをしているようだ。暗闇の中でも視認できるその巨体がゆらりと立ち上がり、再び俺に手を伸ばす。俺は泣き叫びたい気持ちを必死に抑えながら出口へと走り出した。

「待てよコラ」

 決して後ろは振り返らない。追いかけてくる気配もある。扉を開けて廊下へ。そのまま直線を突っ走り階段へ向かった。この際先生に見つかって折檻を受ける方が遥かにマシである。音なんて気にもしてなかった。
 階段を降りて目についたのは大浴場への案内板。刹那の逡巡しゅんじゅん、しかしためらう時間などない。女湯と書かれた暖簾をくぐり、脱衣所へ。なぜか明かりがついていたがもう止まれない。

「はぁはぁはぁ」

 両手をついて四つ這いとなり、息を整える。D班の大部屋からここまで100mはあっただろう。全力疾走し続けるには俺の肺には無理があった。ようやく脳まで酸素がまわりはじめ、冷静さを取り戻す。
 俺とてなんの考えなしに女湯に突っ込んだわけではない。こちらの宿は林間学校の間、我が校の生徒で貸し切りなのだ。一般客はいないはず。生徒たちが使っていい時間でもない。
 そう。誰もいないはず、だった。

「……どこぞやの変態が紛れ込んだかな?」

「えっ?」

 思わず見上げるとさげずむように、まるでゴミを見るかの如く冷たい瞳が俺を捕らえていた。

「東条、さん?」

 そこにいたのは番長と初めて会ったあの日、絶望した俺を助け出してくれた東条みさきだった。
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