君を想う

朝海

文字の大きさ
上 下
10 / 13

第九章

しおりを挟む
「桜井さん」
 
 こうして、和葉が木本家に与えられている夏樹の部屋に来ることが珍しい。いや――珍しいというよりも初めてかもしれない。

 夏樹は読んでいた本を閉じる。

 題名も難しそうな本だった。
 
 確か、世界的にヒットをしたファンタジー小説である。

「どうかした?」
 夏樹は冷たくあしらう。

「今、時間いいかな?」
「――木本さん?」
 
 夏樹に和葉を呼び捨てにしていい権利はない。
 
 自ら、その関係を壊してしまったのだから――。
 
 縁を絶ちきってしまったのだから。

 一度、壊れてしまった絆は、簡単には取り戻せない。

「抱いて――私を抱いて」
「木本さん――何を」
「今は私の話を聞いてほしいの」
「分かった。話を聞こう」
 
 和葉はまっすぐ夏樹を見つめる。同じブラウンの瞳が交錯する。和葉は夏樹から視線をはずそうとはしない。怯えが残っているものの見つめてくること自体今までになかったことだった。
 
 和葉も和葉なりに考えて成長しようとしているのだろう。

(和葉は僕がいなくても大丈夫だ)
 
 和葉の成長する姿は夏樹にとって嬉しいことでもある。 
 
 予想外のことだった。
 
 このまま、まっすぐで素直なままでいてほしい。
 
 何度転んでも立ち上がれるようになってもらいたい。
 
 夏樹にとってただ、それだけだった。
 
 *
 
 
 まだ「人殺し」としての夏樹は怖い。
 
 夏樹がしたことは許せない。
 
 きっと、和葉の中では許すことができないだろう。 
 
 けれど、逃げてばかりではいられない。目をそらしてばかりではいられなかった。夏樹と向き合おうとする和葉は意思表示でもある。
 
 夏樹が何を考えているかを知りたかった。

「私はあなたのことを覚えておきたいの――刻んでおきたいの」
 
 だから、お願い――和葉は夏樹の頬に手をそえる。夏樹の体温は和葉よりも冷たい。
 
 今だけ――今だけでいい。
 
 居場所を作ってあげたかったのである。
 
 それに、孤独さから解放してあげたい。
 
 背負っているものを軽くしてあげたい。
 
 楽にしてあげたい。
 
 それは、考えに考え抜いた――和葉の本心だった。



「僕に抱かれる意味が分かっているのか? 人殺しに抱かれることになる。木本さんの身体が汚れることになる」
「私は桜井さん――いえ、夏樹がしたことは許せない。でもね――少しでも、前に進むために素直になってみようと思ったの。進むペースは遅いかもしれないけれど、受け入れてみようと考えたの」
 
 和葉が夏樹に気持ちを伝えようと、思ったのは夏樹と離れ離れになる。
 
 一生、会えなくなる。
 
 声を聞くことができなくなる。
 
 今後、同じ道を歩くことはない。
 
 昔のように夢を語ることはないだろう。
 
 何となく、そのような予感があったから――。
 
 間違いなく夏樹との別れが迫ってきている。
 
 そうでなければ、秋があのような寂しそうな表情を浮かべるはずがない。
 
 言葉を詰まらせることはない。

「木本さん――受け入れたことを後悔するなよ」
「後悔はしないわ。ねぇ、夏樹――今日だけは和葉と呼んで。あなたが私の名前を呼ぶ声を記憶しておきたいの」
「――和葉」
 
 和葉――その呼び方が懐かしかった。二人で手を繋いで保育園のバスに乗っていた頃を思い出す。
 
 一樹や梓もいて――。
 
 喧嘩してもすぐに仲直りをして。
 
 額を合わせて笑いあって。
 
 じゃれあって。

  いつも、落ち着いている夏樹が和葉にひきずられるようにしていたずらをして。
 
 一樹や梓――昴を困らせて二人で楽しんでいた。
 
 一番、自分たちがきらきらと輝いていた時代だった。
 
 明るく――眩しい時代でもあった。
 
 幸せだった時でもある。
 
 あれから、残酷にも月日は流れ――。
 
 時計の針は進み続けて。
 
 幼い子供から少年少女になり――。
 
 和葉と夏樹――二人は別々の道を歩くことを決めたのだから。
 
 二人の道が交わることはない。

「んっ――ぅ」
 
 夏樹は和葉の唇をふさぐ。和葉の舌に舌を絡ませる。呼吸させも奪ってしまいそうなほどの激しいキスだった。たどたどしくも、それにこたえていく。
 
 濡れた音が部屋に響く。
 
夏樹は服を脱がせて――白い肌に紅い華を咲かせていく。

 和葉は甘い声を漏らす。
 
 長袖シャツを脱ぎ――腕に巻いている包帯をほどく。

「人体実験の痕だ。見ていて気持ちいいものではないだろう?」
「私は大丈夫よ」
 
 よく耐えたねという意味を込めて――。
 
 少しでも自分の痕を残しておこうと、注射跡に口づけを堕としていく。
 
 夏樹がピクリと反応をする。
 
 男性に言うのもどうかと思うが――。
 
 当てはまらないかもしれないが。
 
 眉をひそめて声を耐えているその姿は、とても妖艶だった。
 
 色っぽくて綺麗だった。
 
 ブラウンの瞳が浴場に染まっている。
 
 だが、それも数秒のことで――。
 
 すぐに消え去ってしまう。
 
 人間らしい部分ほんの一瞬――垣間見えて、和葉はホッとする。
 
 夏樹が感じてくれている嬉しく嬉しくもあった。

(神様。この時間だけでいいので、夏樹を独占させてください)
 
 和葉はそのまま、夏樹にしがみつく。
 
 二人にベッドになだれ込んでいった。



 
 翌日――。
 
 目を覚ますと夏樹は最初からいなかったように姿を消していた。
 
 和葉は首筋にあるキスマークを鏡に映す。
 
 夏樹愛された証――。
 
 確かにここにいた――生きていたという証拠でもあった。
 
 これで、生きていける。
 
 前を向いていける。
 
 困難を乗り越えていける。
 
 和葉にとってお守りみたいなものだった。

「おはよう――父さん」
 
 先に起きて朝ご飯の準備をしていて昴に挨拶をする。

「おはよ――和葉。朝からすっきりした顔をしているな」
 

 昴はいつもと変らない笑顔で迎えてくれる。

 和葉も笑顔を返す。

「桜井さんに自分の気持ちを伝えられたから、すっきりしたわ」
「――夏樹君に?」
 
 和葉は頷く。

「私たちはね。模擬恋愛をしていただけだと思うの――小さい頃の気持ちが続いていたままだったのよ」
 
 確かに、和葉は納得をした表情をしていた。

 ここまで、すっきりとした表情の和葉を昴は久しぶりに見る。

「二人が納得できたなら、私は何も言わない」
「――和葉」
「何?」
「強くなったな」
「皆の支えがあったからよ」
「――そうか」
 
 和葉は自分の食卓の席に座る。

 頂きますと手を合わせると、昴と朝食を食べ始めた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...