下弦の盃(さかづき)

朝海

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「復帰」2

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「澪様」
姿を見せた澪に、その場にいた全員が頭をさげた。横には涼、文、あかり、瞬が立っている。
 「今日は解散――もしくは、引退の話をしようと思う」   
「澪様。今、何て言いました?」 
「物覚えが悪い。一回で覚えろ」 
「解散か引退と聞こえたように思いましたが」 「私はそう言った」
 「澪様、あなたは何を言っているのかわかっておられるのですか!」 
 「そんなことをすると、穏健派のパワーバランスが崩れてしまいます!」 
 「争いになります!」 
 あちらこちらから怒号があがる。 どれもこれも己の保身だけの言葉で。 自分のことだけで。 その言葉が、どれだけ澪の心をえぐっているのか 。傷つけているのか。周囲は知らないだろう。 舜は吐き気がした。 
 「うるさい!」  
ダンッと壁を叩いた。その迫力に周囲が静かになる。皆の前で感情を出す舜ほど珍しいことはない。 舜自身、我慢の限界を感じていた。 自制がきかなくなっている。 
 「澪様、澪様、澪様。お前らは澪様がいないと何もできないのかよ! いい歳をした大人が情けない!」 要に両親を奪われ。 殺されて。
 身体は悲鳴をあげていて。、本音すら言えず。 それでも、上に立つ者として部下に弱さを見せることはなく。 見せるとすれば、自分たちのみに限るだろう。
  (この人が自分たちのために、どれだけ犠牲を払ってきたことか……! 傷ついてきたことか……! それを、忘れたとは言わせない……!) 
  ******** 
 「――舜」 
 「澪様はへたすれば――」
  「舜――さがれ」 
  自分を呼ぶとても、静かな声だった。
  それだけで、不思議と心が落ち着いていく。
  怒りが消えていく。
 澪の命令に舜はさがる。 この場所にいる限り、組長としての立場を貫こうとしていた。 役割を果たそうとしている。  
 今、ここにいるのは個人の「本橋澪」ではない。
 白蘭会組長としての「本橋澪」だ。
 それは、変わることのない一つの事実でもある。
 それならば、澪に付き添うのみだった。
  

「私は賛同いたします」 
老年の男性が発言する。正と優理のことを知っている人物でもある。だからこそ、出た言葉だろう。 澪に対する気持ちがあふれてきたのだろう。 
「もう、澪様を解放してあげましょう。私たちが澪様を縛り付ける権利はない」 
「異論はないですね? それでは、可決いたします」 代表して舜が声をあげる。 まるで、その瞳に焼き付けるように――澪はまっすぐ前を向いていた。 「澪様。お疲れ様でした。失礼いたしました」 「しばらく、一人にしてくれ」 
「かしこまりました」
 白蘭会の解散により、警備は警察に移行することになった。澪の体調を考えリモートで指揮をとり、那智が流した情報を元にして、警察が強硬派のやくざ関係の事務所に一斉捜査に入った。
  もちろん、要のところにも。
  これまでの経緯は澪が文章にして、資料として提出している。
要には死刑を言い渡された。
当たり前だろう。
それだけの人たちを殺してきたのだから。
罪を重ねてきたのだから。
もう、話すこともないし会うこともない。
要と澪。
二人が目標をもって、同じ道を進むことは二度とないはずである。
それに、決着はすでについている。
自分の役目はここまでだ。
 残った仕事を終わらせてから、澪はピアスを取った。 ピアスを箱に片付け蓋を閉じる。 あかり、涼、文の部屋に入り手紙と、回収した白蘭会のピアスが入った箱を机に置く。
 舜には特に手紙を書いてはいない。 きっと、彼なら見送りに来ているはずである。
月明かりを頼りに裏道を歩く。 出口を出ると背筋を伸ばした舜が立っていた。 彼を見て小さく笑う。 やはり、どこまでいっても律儀な舜のままだった。 

  「澪様」 
 「舜。お前なら見送りにきてくれると思っていた」 「お気をつけていってらっしゃいませ」 
 「いってくる」 
 お互い長い間、過ごした関係である。 余計な言葉はいらない。 簡単な挨拶だけで理解わかりあえる。 
(どうか、お元気で)              
舜は澪の姿が見えなくなるまで頭をさげ続けた。
   
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