下弦の盃(さかづき)

朝海

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第十二章「過去」

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(綺麗だな)
 那智は本橋家本家の集まりに呼ばれていた。少し離れた場所に立っている桜の木に目を奪われる。すると、桜の木の下に誰かが立っていた。おそらく、自分と同い年――四・五歳ぐらいの男の子である。
「誰?」
 人の気配を感じたのか、彼が振り返る。
「あなたは」
「ああ。もしかして、君が菊池那智?」
 深いブラウンの瞳。
 癖のない漆黒の髪。
 透き通るような白い肌。
 先ほど見た正と優里によく似ている。
 そうだとしたら、目の前にいるのは――。
 心臓が音を立てて、鼓動が早くなる。自分に近い存在のせいなのか、体が、血が歓喜で震えている。
 たった今会ったはずなのに、あるのは心地よさと懐かしさ。
 求めていたのはこの人だと心が叫んでいた。
 やっと、やっと、主にしたいという人を見つけたのだ。
 仕えたいと思える人と出会ったのだ。
 こんな湧き出るような感情は初めてだった。
 ならば、誓いを立てるのみ。
「失礼しました。あなたが澪様?」
 那智は自然と膝を地面につく。
「何のつもり?」
 澪の表情が厳しくなった。
 視線が突き刺さる。
「私はあなたを一生守り続けます」
「誓いなら、要兄様にやってくれないか? 本橋家の跡継ぎは兄様だ」
 瞳の中に見え隠れするのは、間違いなく寂しさで、儚さと脆さを持ち合わせていた。
「どうして?」
「所詮、スペアでしかないから、一人で大丈夫だ」
「本当に大丈夫ですか?」
 那智は咄嗟に聞いてしまう。そうでなければ、壊れてしまいそうだった。
「那智様?」
「那智でいいです。澪様は澪様。要様は要様。兄弟とはいえ、お互い一人の人間です。だから、だから、スペアだなんて悲しいことを言わないでください。私はあなたの味方です」
「従姉妹とはいえあまり深入りしない方がいい。一つ、忠告をしておこう。言葉は時に刃となる。人に突き刺さり、抜けない棘になる。そのことを覚えておくといい」
 小さな子供が言う言葉ではない。那智が聞いていても、重みがあった。大人の汚さと欲望を見てしまいそれを、知っているからこその発言だろう。
 一人娘ということもあり、両親である心と穂高に大切に育てられてきた自分とは違う。背負っているものの大きさと覚悟が違っていた。
 それに比べ、自分に澪のような覚悟があるだろうか?
 ちっぽけな自分に何ができるのだろうか?
 那智は手を握りしめた。
 澪はその手をそっと開く。
「澪様は家族がいるとはいえ、一人でこの重圧に耐えてきたのですね。耐え続けてきたのですね。私にはできないことです」
「那智は那智のままでいい。ありのままでいい。変わらないでいいと思う」
「私は私のままでいいのですか?」
「そう。那智がきちんと気持ちを伝えることで救われる人もいるだろう」
「ありがとうございます」
 いつか、いつの日か。
 認められるように、澪の背中に追いつけるように頑張りたかった。
 陰からでもいい。
 支えたかった。
 すると、本橋家の執事がやってきた。二人に一礼して敬意を示す。
「どうした?」
「那智様。落ち着いて聞いてください。あなたのご両親――心様と穂高様が反乱により死去。すぐに、退去せよとの指示が出ています」
 那智は止めようとする執事を振り切って走り始めた。明らかに、本橋家・本家と分家の菊池家が、劣勢であることが伺える。やはり、武器を持たずに、人数が多い相手と戦うのは不利のようだった。
 自分はまだ小さいからと、遠ざけられ何もできないことが歯がゆかった。今、行ったとしても邪魔にしかならないだろう。それは、那智も同じはずだ。澪を止めようとしたが、振り切られてしまう。火事場のバカ力といったやつだろう。澪もその後を追いかけた。

「父さん、母さん!」
 丁度、心と穂高の遺体が運び出されるところだった。二人の体を揺らす那智を澪は止める。彼女は澪の胸を何回も叩いた。
「那智」
「あなたの血筋でなければ、父さんと母さんが死ぬことはなかった!」
『言葉は時に刃となる。人に突き刺さり、抜けない棘になる』
 その言葉を思い出して、那智はハッとした。
 澪を傷つけてしまった。
 ただ、自分が弱かっただけだ。
 大切な人を守る力をもっていなかっただけ。
 なのに、ひどいことを言ってしまった。
「申し訳ありません――澪様、私」
「那智!」
 那智は突然、突き飛ばされた。その場に倒れこんだ瞬間――銃声が響く。
 目の前が赤く染まった。
「み、お様? 澪様!」
 そこには、左肩から血を流している澪の姿が。
 ようやく、自分を守ってくれたことに気が付く。
「見つけた! こいつが菊池家の跡継ぎだ! 本橋家の子供もいる。殺せ!」
 怪我をしているはずなのに、澪は歯を食いしばりながら、男たちを倒していく。突破できそうなところで、限界がきたのか弾き飛ばされた。手を伸ばした那智より先に、現れた少年が澪を受け止めた。
 那智に澪を預けると男たちを蹴散らしていく。
 鋭い眼差し。
 舞うように人を倒す澪とは違い荒々しい戦い方。
 間違いない。
 澪の兄である要だ。
 男たちを倒すと、澪に寄り添う。
「要兄様。申し訳ありません」
「どうして、澪が謝る?」
「要兄様の手を煩わせてしまった」
「本当に無理をする。できることがあれば、お互いをフォローする。それが、兄弟だろう?」
「要兄様がいてくれてよかった」
 要がくるまで意識を保っていたのも己のプライド故か。
 安心したのか澪は意識を失ってしまう。
 要は様子を見ながら、退避していく。任務をこなす姿は鮮やかだというしかなかった。迷うことなく、自分よりも小さい二人の体を抱え上げて、止まった車に乗り込む。
「要様。私、私。澪様を傷つけてしまいました」
「那智は悪くない。俺たちの関係は始まったばかりだろう?」
「そうですね」
「疲れただろう? 少し休むといい」
 要は那智の頭にポンと手をおく。
 その温かさに那智は目を閉じた。

 数時間後――。
「正様、優里様」
「先生、澪は?」
「大丈夫です。小さな体でよく頑張りました」
 澪はまだ、眠っていた。何かあれば呼んでくださいと本橋家専属の医者は部屋を出ていく。
「正様、優里様。私のせいで澪様が」
(このまま、目を覚まさなかったら、どうしよう?)
 那智は泣きそうになるのを必死に我慢する。
「澪は回復するから大丈夫だ。それよりも、心配なのは君の方だよ」
 要が那智と視線を合わせる。
「我慢しなくてもいいのよ。那智ちゃん」
「俺たちは家族みたいなものだ」
「どうして、そこまで、私に優しくしてくれるのですか?」
 同情?
 それとも、両親を助けられなかった償い?
 そんな気持ちが那智の頭の中をぐるぐると回る。
「血のつながりがあるからだろう」
「血のつながり?」
「そう、君にもあったはずだ。那智」
 正、優里、要に言われて体が歓喜で震えたことを思い出した。
 この人についていきたい。
 澪を見た時。傍にいたいという思いを確かに感じていた。
 あの出会いこそ運命だと思った。
「だからこそ、私たちは家族だと思っている」
「私、私」
「無理をしなくてもいいの。泣いていいのよ」
 那智の小さな肩が震える。
 正と優里、要も安堵したかのように息を吐きだす。優里は泣き始めた那智を抱きしめた。まだ、「家族」だと思わせる頃の懐かしいやり取りだった。



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