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第九章
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血まみれのナイフを持ったままも佐和の姿を見て、ありさと雄一は悲鳴を上げた。樹を襲撃したあと、物足りず猫や犬、鳥などを殺してきたのだろう。へたすれば、一般人も殺しかねない事態になる。
佐和が雄一に愛してもらいたい心でやったらしいが、邪魔者でしかなかった。迷惑でしかなかった。今も彼女の視線は定まっておらず、これで、雄一さんに愛してもらえると呟いていた。
雄一さんに抱いてもらえるとずっと言っていた。
「あなたの命令どおり、新聞記者の息子を殺してきたわよ。あれは、重症ね」
恐怖で足が震える。ありさは震える足で手当たり次第の物を佐和に投げつけた。彼女は流れるように投げつけられる物を避けていく。
ありさは気が付けば壁際に追い詰められていた。電気の光でナイフがきらりと煌めく。不穏な輝きを放つ。動物を殺したナイフなんかでありさは死にたくなかった。
「嫌、嫌――死にたくない」
まさか、自分の母親が暗殺者だったなんて――。
人殺しだったなんて。
(誰か助けて!)
思わず涙を流す。
学校での女王様然としたありさの姿はなかった。そこにいるのは、自分の命だけを優先した憎い人の姿である。生きることに執着したありさの本心だった。
「ありさ。こんなに大きくなっちゃって」
「どうして、この家に帰って来たのよ!」
「どうして? 私の居場所はここなの。だから、帰ってきたのよ。お帰りと言ってちょうだい」
佐和はふふふと笑う。その狂気じみた笑顔に二人の背中に冷や汗が流れていく。佐和の瞳に輝きはない。元から精神を病んでいた佐和は真一によって完全に壊されていた。
廃人になっていた。
最初から壊れたいたからとはいえこれが、人間がいきつくなれの果てなのだろうか――。
愛のないセックスだけでここまで堕してしまうものなのだろうか。
「出て行け。私はお前がどうなろうと知らない」
「あら、冷たいのね。私はあなたを思ってやったのよ」
佐和は座り込んで雄一を見上げる。その瞳には彼に対する甘えが含まれていた。
褒めてほしい。
よくやったと言ってほしい。
そう訴える姿はまるで、親の愛情に飢えた子供みたいだった。
「け…警察」
ありさは携帯電話で一一〇を入力する。警察なら言うことを聞いてくれる。
従ってくれる。
警察の上層部は自分たちの味方なのだから。
手下であり、駒なのだから。
あとは、発信ボタンを押すところまできたが、雄一に止められた。ありさには止められた理由が分からない。
「父さん、どうして?」
「逃げるしかない」
佐和のこともあり、権力を失いかけている雄一の立場で警察が動いてくれるのかが分からない。ここから、先は自分で自分の身を守るしかない。何としてでも、生き延びるしかない。
「ダメよ――そんなの嫌!」
(笹木君も佐伯真一も手に入らなんて……何の意味があるのよ!)
ありさは髪を乱して激しく抵抗をする。今の生活を捨てるなんて許せなかった。居場所がなくなるなんて信じたくなかった。
心のよりどころを失いたくなかったのである。
「安心しろ。私は別の方法で復活してみせる」
「なら、どうするのかを説明してよ! そうじゃないと私は納得がいかない!」
「ありさ。お父さんが困っているのよ。我儘を言ったらいけないわ」
「お母さんは黙っていて!」
佐和の言葉にありさはヒステリックに叫んだ。
*
「落ち着け、ありさ」
興奮している彼女には雄一の言葉は届かない。
「触らないで」
差し伸べられた手を振り払う。ぱしりと乾いた音が部屋に響いた。
「うるさい」
真一の不機嫌な声がした。いつの間に来ていたのだろう。職業柄、佐和ぐらいしか気が付いていなかった。佐和は鎖で拘束されありさの体を脇に抱えている。先程の何かを叩いたようなドスという音は、真一がありさのお腹を殴ったものだったのだろう。
別々に行動していた四人が揃ったのである。
異様な空間――空気が出来上がっていた。
ここに一般人がいれば、立っていることも声を発することもできないだろう。
「佐伯――貴様」
小動物を殺した佐和の件は、真一の監督不行届だと思っていた。
(こうなったのも、佐伯が佐和の奴をきちんと見ていなかったせいだ)
彼さえいなければ立て直しはできた。佐和をどこかに監禁して、裏から手を回してもらえれば逃げられた。隠し通すことはできた。
もう、家族などどうでもいい。
「なぜ、私が怒られないといけないのですか?」
「佐伯。私とお前は違う」
「私はあなたの命令に従っただけです」
誘拐――人体実験――いじめの隠蔽。
真一は雄一の欲望に、答えただけだという。
希望を叶えただけだという。
彼にとって雄一の権力は魅力的だった。その魅力がなくなったことにより、興味は失せた。
「今回の滝本佐和の件に関してはあなたの教育不足です」
「だから、お前に預けたのに何をしてくれる?」
「そう言って怒鳴りつけることしかできない。惨めですね」
怒りを露わにしている雄一とは違い真一は淡々と言葉を紡いでいく。取り出された銃は真っ直ぐ、自分に向けられていた。
抵抗できずに言葉を飲み込む。
ただ、利用でできるものは利用してお互いの利益でつながっているだけだった。
そこに、信頼関係などない。
どちらにしろ、仲間割れをしている時間などない。争いをやっている余裕はない。今は誰に見つかることもなく、ここから逃げることが先決である。丑三つ時の今なら、闇に紛れて姿を隠すことができる。
逃亡するにはちょうどよかった。
「とりあえず、今は逃げるしかない」
「ふふ。私は雄一さんと一緒ならどこにでも行くわ」
雄一と真一、ありさ、佐和はその場をあとにした。
佐和が雄一に愛してもらいたい心でやったらしいが、邪魔者でしかなかった。迷惑でしかなかった。今も彼女の視線は定まっておらず、これで、雄一さんに愛してもらえると呟いていた。
雄一さんに抱いてもらえるとずっと言っていた。
「あなたの命令どおり、新聞記者の息子を殺してきたわよ。あれは、重症ね」
恐怖で足が震える。ありさは震える足で手当たり次第の物を佐和に投げつけた。彼女は流れるように投げつけられる物を避けていく。
ありさは気が付けば壁際に追い詰められていた。電気の光でナイフがきらりと煌めく。不穏な輝きを放つ。動物を殺したナイフなんかでありさは死にたくなかった。
「嫌、嫌――死にたくない」
まさか、自分の母親が暗殺者だったなんて――。
人殺しだったなんて。
(誰か助けて!)
思わず涙を流す。
学校での女王様然としたありさの姿はなかった。そこにいるのは、自分の命だけを優先した憎い人の姿である。生きることに執着したありさの本心だった。
「ありさ。こんなに大きくなっちゃって」
「どうして、この家に帰って来たのよ!」
「どうして? 私の居場所はここなの。だから、帰ってきたのよ。お帰りと言ってちょうだい」
佐和はふふふと笑う。その狂気じみた笑顔に二人の背中に冷や汗が流れていく。佐和の瞳に輝きはない。元から精神を病んでいた佐和は真一によって完全に壊されていた。
廃人になっていた。
最初から壊れたいたからとはいえこれが、人間がいきつくなれの果てなのだろうか――。
愛のないセックスだけでここまで堕してしまうものなのだろうか。
「出て行け。私はお前がどうなろうと知らない」
「あら、冷たいのね。私はあなたを思ってやったのよ」
佐和は座り込んで雄一を見上げる。その瞳には彼に対する甘えが含まれていた。
褒めてほしい。
よくやったと言ってほしい。
そう訴える姿はまるで、親の愛情に飢えた子供みたいだった。
「け…警察」
ありさは携帯電話で一一〇を入力する。警察なら言うことを聞いてくれる。
従ってくれる。
警察の上層部は自分たちの味方なのだから。
手下であり、駒なのだから。
あとは、発信ボタンを押すところまできたが、雄一に止められた。ありさには止められた理由が分からない。
「父さん、どうして?」
「逃げるしかない」
佐和のこともあり、権力を失いかけている雄一の立場で警察が動いてくれるのかが分からない。ここから、先は自分で自分の身を守るしかない。何としてでも、生き延びるしかない。
「ダメよ――そんなの嫌!」
(笹木君も佐伯真一も手に入らなんて……何の意味があるのよ!)
ありさは髪を乱して激しく抵抗をする。今の生活を捨てるなんて許せなかった。居場所がなくなるなんて信じたくなかった。
心のよりどころを失いたくなかったのである。
「安心しろ。私は別の方法で復活してみせる」
「なら、どうするのかを説明してよ! そうじゃないと私は納得がいかない!」
「ありさ。お父さんが困っているのよ。我儘を言ったらいけないわ」
「お母さんは黙っていて!」
佐和の言葉にありさはヒステリックに叫んだ。
*
「落ち着け、ありさ」
興奮している彼女には雄一の言葉は届かない。
「触らないで」
差し伸べられた手を振り払う。ぱしりと乾いた音が部屋に響いた。
「うるさい」
真一の不機嫌な声がした。いつの間に来ていたのだろう。職業柄、佐和ぐらいしか気が付いていなかった。佐和は鎖で拘束されありさの体を脇に抱えている。先程の何かを叩いたようなドスという音は、真一がありさのお腹を殴ったものだったのだろう。
別々に行動していた四人が揃ったのである。
異様な空間――空気が出来上がっていた。
ここに一般人がいれば、立っていることも声を発することもできないだろう。
「佐伯――貴様」
小動物を殺した佐和の件は、真一の監督不行届だと思っていた。
(こうなったのも、佐伯が佐和の奴をきちんと見ていなかったせいだ)
彼さえいなければ立て直しはできた。佐和をどこかに監禁して、裏から手を回してもらえれば逃げられた。隠し通すことはできた。
もう、家族などどうでもいい。
「なぜ、私が怒られないといけないのですか?」
「佐伯。私とお前は違う」
「私はあなたの命令に従っただけです」
誘拐――人体実験――いじめの隠蔽。
真一は雄一の欲望に、答えただけだという。
希望を叶えただけだという。
彼にとって雄一の権力は魅力的だった。その魅力がなくなったことにより、興味は失せた。
「今回の滝本佐和の件に関してはあなたの教育不足です」
「だから、お前に預けたのに何をしてくれる?」
「そう言って怒鳴りつけることしかできない。惨めですね」
怒りを露わにしている雄一とは違い真一は淡々と言葉を紡いでいく。取り出された銃は真っ直ぐ、自分に向けられていた。
抵抗できずに言葉を飲み込む。
ただ、利用でできるものは利用してお互いの利益でつながっているだけだった。
そこに、信頼関係などない。
どちらにしろ、仲間割れをしている時間などない。争いをやっている余裕はない。今は誰に見つかることもなく、ここから逃げることが先決である。丑三つ時の今なら、闇に紛れて姿を隠すことができる。
逃亡するにはちょうどよかった。
「とりあえず、今は逃げるしかない」
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