「エンド・リターン」

朝海

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第一章

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「父さん、母さん。樹が来たよ」
 美月は樹の腕を引っ張った。玄関前が水浸しになる。美月の父親である坂本昭が、水をかけようとしてきたのである。濡れる前に避けるとはさすがの身体の身体能力だった。昭が舌打ちをしたのが聞こえてくる。
「よく、顔を見せられたものだ。 樹君」
 困った顔をした母親の坂本桜がバケツを持った昭の隣に立っていた。美月の青みかかった瞳は、昭譲りであり天然の茶色い髪は母親の桜の遺伝子だった。誰が見ても間違えることなく美月の両親である。
「今日は謝りに来ました。僕は幼馴染と言いながら美月を守ることができなかった。申し訳ありません」
 樹は桜と昭に頭を下げた。今までなかった真摯な姿に、昭と桜は顔を見合わせる。
「樹君、入って」
 桜が樹に入るように促す。四人は見合わせるようにリビングの椅子に座った。
「率直に言います。美月さんを僕にください」
「あらあら。ストレートな言い方ね」
 桜が頬に手をあてて笑う。美月は大きく目を見開いて驚いていた。突然のプロポーズに頭の中が真っ白になっているのかもしれない。
「樹――プロポーズ!?」
 美月は何を言われたか、やっと理解をする。
「うん。プロポーズ。正式には社会人になってからだけどね。嫌かな?」
「嬉しいに決まっているじゃない!」
 美月はいきよいよく頭を左右にふった。
「じゃあ、決定だな」
「樹君は美月に謝ってくれた。それだけで充分だわ」
「謝罪を受け入れよう。美月を頼む」
 これでは、昭は認めるしかない。
「楽しくなりそうね」
「桜」
 昭は桜と目を合わせて、小さく頷いた。
「美月、買い忘れた物があるの。付き合って」
 美月を連れてリビングを出て行く。

「さて、プロポーズや謝罪だけではないだろう? 何をしに来た?」
 美月や桜がいた時みたいに甘い空気ではない。
 どちらから話を切り出すか――。
 樹と昭。
 探りあうような視線が交錯する。ここからは、表の人間が聞いていい内容ではない。桜に目配せをして、美月を連れ出してもらった。
「探偵としてあなたに調べてほしい人がいます」
 静寂を破ったのは樹だった。そう、昭は裏業界では有名な探偵である。桜は探偵事務所を手伝ってはいるが、このことは知らない。きっと、困っている人の手助けをしていると思っているのだろう。
「調べてほしい人」
「この人を調べてほしいです」
 樹がありさと雄一の写真を取り出す。まだ、小学生の時の写真だろう。彼と彼女の背後に誰がいるのかを知りたい。弱みを握り何かあった時のために証拠として使うつもりだった。立てる計画の材料となれば、樹としては動きやすい。
「滝本ありさ。市会議員の滝本雄一の娘だったな」
「はい」
「調べてみるのはいいが、どうするつもりだ?」
 樹の返事によっては引き受けないぞ、という意思が昭の表情から読み取れた。
 彼なりの親心だろう。
「証拠を使って早めに対策をとりたい。それが、いけないことでしょうか?」
 そう話す樹の瞳は冷たかった。
 桜や美月。
 母親の美晴の前では見せたことがない表情だった。
 三人が知らない樹の顔。
 大人の昭でさえも背中に冷たいものが走った。何もできなかったという樹自身の怒りが伝わってくるようだった。
「代償は何だ?」
 裏社会では逃げるのを防ぐために、代償を支払わないといけないことがある。
「僕の命。なんて、冗談です。代償と言えるかどうかは分かりませんが、あなたの探偵事務所で働かせてもらえませんか?」
 つまり、樹は昭の仕事を手伝う。
 樹はそう決断したのである。
「私の元で?」
「そうすれば、美月を守りやすくなります」
「分かった」
「ありがとうございます。もう一つ、気になるのが、僕の父親の死に方です」
「聡の?」
(聡の死に方は交通事故。あれは、事件として処理されたはずだ。樹君が言うように何かかがあるのか?)
 新聞記者だった樹の父親の聡は交通事故で亡くなっていた。有名な交通鑑定士によると、タイヤの跡や道路に不自然な部分が見つかったという。
 その結果はマスコミがテレビや記事にすることはなかった。内容自体、美晴ではなく樹にのみ知らされたのである。聡を溺愛していた彼女が聞いてしまえば、きっとショックを受けるという判断である。
 聡は滝本家に関する何かしらのスクープを手に入れようとしていた。そのために、聡は交通事故に見せかけて殺されたと樹は考えている。そうでなければ、聡が死ぬ理由がなかった。
 きっと、裏では滝本家が絡んでいるはず。
 樹としてはそれに対するヒントがほしかった。
 だから、裏社会に強い昭に依頼をしたのである。

「樹君。私は君のことを甘く見ていたようだ」
 代償は僕の命など、自分を犠牲にしてもかまわないという樹の態度に昭は見直したようだった。
「引き受けてくれますか?」
「美月の幼馴染の依頼だ。引き受けないわけにはいかない。それにしても、君みたいなのが中学生か。末恐ろしいな」
 子供ながらに大人を利用する。以前の樹なら考えられない行動だった。プロポーズも謝罪も桜や昭に何か言われる前に打った先手である。
「誉め言葉として受け取っておきます。それと、三人には言わないでください」
「どうしてだ?」
「あの三人には闇は似合わない」
 汚れるのは自分の手だけでいい。
「分かった。言わないと約束しよう」
「ありがとうございます」
 樹は昭に手を差し出す。
 昭はその手を握り返した。

「あれ? 帰るの? 樹」
 家を出ると買い物から帰ってきた桜と美月が立っていた。
「樹君がよかったら、食べてから帰らないかしら?」
 買いすぎたのだろう。
 手には沢山の荷物を持っている。
「母が入学祝を作ってくれて、待っているので今日は帰ります。美月。じゃあ、また学校で」
 樹は美月に額に口づけを落とす。その様子を桜が携帯のカメラで写す。ベストショットねと桜がはしゃいでいる。写真に撮られたからだろう。美月の頬がプロポーズの時以上に赤く染まる。
 初々しい表情をする彼女がかわいかった。
(美月はこのまま純粋でいてほしい)
 例え、僕自身が変わってしまっても。
 どうか、お願い――。
 君だけは変わらないでほしい。
 樹はそう願わずにはいられなかった。



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