「エンド・リターン」

朝海

文字の大きさ
上 下
1 / 16

序章1

しおりを挟む
 ただただショックだった。


 現れてくれるなと思っていたリアスが来た。
 それだけでなく、彼が謎の女性と密会しているという事実を、この目で見る日が来てしまったことが。


 ここからは彼らの横顔しか見えないが、一瞬だけ見えた女性は異国情緒じょうちょあふれる妖艶ようえんな雰囲気をまとった人物のようだった。


 きっと、あの見た目だけで男性を陥落かんらくさせるなど、彼女にとっては容易たやすいことだろうと想像させるほどの余裕も感じる。


 見間違いであることを祈って、もう一度彼らを一瞥する。だが、視界に映るのは間違いなく、愛する夫と少しあどけなさ残るエキゾチックな面立ちの美女の姿だった。


――まさか彼女と会うために、ここに来ていたの?


 何を話しているかははっきりと聞こえないが、後方から時折女性の楽しそうな笑い声が聞こえる。


 そのたびに、この女性はきっとリアスに好意を持っているのだと思い知らされた。


 眉目秀麗、高身長、細身ながら鍛え抜かれた精悍な身体を持つリアスは、声も良いうえ賢さまで兼ね備えている。


 しかも、彼のまさに黄金比と言えるほど、左右対称の完璧な顔の左目の下には、人間味を感じる小さな可愛いほくろがあるんだから、ほっとけない気持ちも分かる。


 それでいて、優しくて健気なうえに真面目だから好きになっちゃうわよね……分かるわ。


――どうしたらいいの……?


 あまりのショックに自分が何を考えているのかもよく分からなくなり、ユアンさんの顔を見る。
 刹那、ある言葉が脳内でリフレインした。


『ああ、あのときはエリーゼ様への片想いで、恋煩っていたんです。まさに、今のような感じでしたよ』


――まさか、リアスの不調は恋煩い……?


 新しく好きな人が出来たから、最近おかしかったのだろうか。そう考えると何だか辻褄があってしまうことに、とても嫌な気持ちが込上げる。


 でも、でも……もしかしたら仕事の話をしているだけかもしれない。だって、彼は決して不倫なんてするような人ではないもの。


 仮にほかに好きな人ができたとしても、絶対に私との関係を精算してから関係を持つ。


 私の知るラディリアス・ヴィルナーとは、そういう男なのだ。


 そう思った矢先、彼らの会話の一部が明瞭に耳に入ってきた。


「そんなに好きになって大丈夫? ふふっ」
「本能だから仕方ない……。好きなんて言葉じゃ足りないくらい愛してるよ」


 ポタリっ……。
 固く握り締めた手の甲に水滴が落ちる感覚がした。


 ゆるゆると震える拳を広げ、そっと頬に触れる。すると、氷のように冷たくなった指先が涙で濡れた。


「エリーゼ様」


 決して周囲には聞こえない、細心の注意を払ったユアンさんの声が耳に届く。
 ハッとユアンさんに集中すると、青筋を立て、見たこともないほど怖い顔をした彼が口を開いた。


「あなた次第です。乗り込みますか? もしそうでしたら、私は全力であなたの味方になりましょう」


 さあ、どうする――そんな視線でユアンさんが見つめる中、私は力なく首を横に振った。


「突入しません。もしするにしても、もう少し状況証拠を集める必要があるわ。それに……場所が悪すぎよ」


 どれだけショックであろうと、感情任せに今すぐ勢いで突入しても、ろくな事にならないということだけは理解できる。
 悪いことはあれど、良いことなど何も無いのだ。


 すると、そんな私の意図が伝わったのだろう。
 依然としていつもの色気など台無しなほど厳しい顔つきのままではあるが、ユアンさんは少し冷静さを取り戻した。


「確かにその通りです。すみません、少々頭に血が上っておりました」
「……」


 大丈夫だとでも言ってあげた方が良いのは分かっている。だが、そんな声掛けをするほどの余裕は、今の私にはなかった。


「っ……! 二人が席を立ちました」


 神妙な面持ちのユアンさんが、囁き声で報告してきた。


「一緒にですか?」
「はい。ただ……」


 ユアンさんの返事と重なるように、カランカランと店の扉のベルが鳴る。きっと二人が出て行った音だろう。


 私はユアンさんの返事を聞く前に、思い切って二人の動向を追うべく背後に振り返った。


 すると、一部ガラス張りになった店内に置いてある観葉植物の隙間から、別れる二人の姿が見えた。


「どうやらここで解散みたいですね」


 恐ろしいほどに冷静なユアンさんの声が耳に届く。その声を聞き、私は彼の方へと振り返った。

 
「っ……」

 
 振り返った私の顔が、きっと酷く情けないものだったのだろう。ユアンさんは私の顔を見るなり、痛ましげに表情を歪めた。


「エリーゼ様、今日は戻りましょう。私はあの女をつけますので、母と一緒に先にお帰りください」
「ええ……お願いします」


 何とか彼の言葉に返事をした私は、ユアンさんとともに店を出ることになった。


 幸い女性は、喫茶の目の前の建物に入っていった。
 そのため、ユアンさんは女性を見失うこと無く、私をメリダさんが待つ馬車まで送ってくれた。


「奥様、まさかっ……」


 馬車で待機していたメリダさんは、きっと店から出てきたリアスと女性を見たことだろう。


 そして今、私とユアンさんの表情とその情報を照らし合わせ何かを察したのか、いつも温和なその表情を悲痛に染めた。


 彼女は私が馬車に乗り込むと、嘆きながら私の手を包み撫でてくれた。


 ただ、女性といるリアスを目の前にしても私にはまだ彼を信じたい気持ちがあった。


 だからだろう。
 そのメリダさんの優しく慰めるような手の温かみを感じるたび、私の心はひどく痛んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

もう尽くして耐えるのは辞めます!!

月居 結深
恋愛
 国のために決められた婚約者。私は彼のことが好きだったけど、彼が恋したのは第二皇女殿下。振り向いて欲しくて努力したけど、無駄だったみたい。  婚約者に蔑ろにされて、それを令嬢達に蔑まれて。もう耐えられない。私は我慢してきた。国のため、身を粉にしてきた。  こんなにも報われないのなら、自由になってもいいでしょう?  小説家になろうの方でも公開しています。 2024/08/27  なろうと合わせるために、ちょこちょこいじりました。大筋は変わっていません。

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...